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 一度滅びましょう────彼女は、確かにそう言った。
 そこにもう嘘は無い。
 夫に殺されるより、それによって永久なる孤独と苦痛を与えるより、神々の存在だけをリセットすることを選んだ。
 光の男神が従うなと大音声でがなり、夕暮れが縋って止めるように乞う。
 だが、闇の女神は、今度は神妙だった。


『ですが……我々が消え去れば、この現世、ようよう衰滅(すいめつ)の一途を辿りましょう。我が子よ、その身に余る大罪を背負う覚悟が、真実あるのですか』

「覚悟が無ければ暁が許さない。一応は、暁には許可を出されてるからあいつの試験に合格したって思ってるけど?」

『暁が……最後まで、移ろいやすき子でした』


 闇の女神は、そこで押し黙る。
 けれども空気が熱く張り詰め始めたのに、すぐにまた言葉を発した。


『我が兄。我が子の願い、受け入れましょう。我らの罪故に』

『我が妹、我が妹よ。我らが消えたるは過ちぞ。世の理も失せるも同じことぞ』

『ですが、我が子は我が夢を受け入れませぬ。なればこそ我が兄の腕の中で、共に瞑(めい)したく。我が願い、何とぞ受け入れ給え』


 これに、男神は何も答えなかった。

 夕暮れがその場に座り込んだのに、サチェグと鯨が左右を構えてそれぞれ刃を向けた。だが、闇の女神が有間の要求を受け入れてしまったことが余程ショックだったようだ。天を仰いで声も無く、ぱくぱくと口を動かしている。
 ……彼女からしてみれば、暁と共に負った今までの苦労を泡が割れるように一瞬でふいにされたのだ。両親の為になると信じて、褒めてもらえると信じて────それが、滅びを招いてしまった。
 有間が、そう選んだから。

 サチェグがいなければ、ヘルタータがいなければ、夢の通りになったのだろう。
 だが、有間はサチェグと親しくなり、サチェグは有間と同行すると受け入れた。異分子として夢に介入すると決めた。
 ヘルタータも事ここに至り、介入して女神の選択肢を奪い取った。

 ヒノモトを支えていた全ての神が消えることに不安が無いワケではない。むしろ懸念ばかりだ。
 けれど選ぶことに少しも躊躇いは無い。
 きっとまた違う形であろうと似たような事態になるのかもしれないのなら、その度に造り直されるのなら、神々が消えるべきだと思った自分に偽りは無い。
 これからの苦労は、甘んじて受け入れる。徹頭徹尾この矮小な命を尽くして────その覚悟も、出来ている。

 有間がほうと吐息を漏らす。
 ようやっと終わる────微かな声で呟いた。
 そして自分はこれから安息の無い償いに移る。

 そこに、有間の大切なものは、いない。

 あるのは、山茶花の墓標のみ。
 それで良いのだ。


『……あい分かった。我が妹の願い、聞き届けようぞ。後のことなぞ、我は知らぬ』

『ありがとう存知まする。我が兄』


 その声を聞いて、一呼吸置いた後のことだ。
 激しい耳鳴りに襲われ有間は耳を押さえてその場に崩れ落ちた。落ちた錫が身体を回転させて着地し主人を見上げる。

 アルフレートもティアナも、彼女の異変に顔色を変えて飛びついた。


「アリマ!?」

「大丈夫? アリマ!」

「……っ」


 鼓膜を突き刺すような鋭い耳鳴りは激しい頭痛を引き起こす。
 唸りながら奥歯を噛み締めた。

 けれども突如、それが一瞬で失せて身体が軽くなる。
 えっと思うよりも急に苦痛から解放された身体がぐらりと傾ぎ、アルフレートに抱き留められた。
 どくどくと心臓が五月蠅く騒ぎ立てる。荒い呼吸を整えている間に、ヘルタータが静かに告げた。


「……死んだわ。意外とあっさりね」

「死んだ……」


 ……死んだのか。
 本当に、死ぬのはあっさりだ。
 そこは人間と同じなのか。
 アルフレートに支えられながら立ち上がり、有間は天を仰いだ。

 その顔が、堅く強ばる。


「アリマ?」

「……あー……やっぱりこうなるか」

「当たり前でしょう。この聖域も元々光の加護ありきだったんだから」


 二柱がいなくなれば聖域でなくなるのは当然の結果だわ。
 ですよねー……と、力無く呟く有間に、アルフレートも察した。


「……まさか、妖が」

「それはもう大勢押し寄せてくるわよ。今まで以上に軽くなった身体で、各地で餌の争奪戦を始めるでしょう」


 有間をティアナとディルクに任せ、双剣を構えた。

 だが、サチェグと鯨が小走りに戻ってアルフレートを止めた。


「ここは危険だ。じきに湖の鬼も封印が解ける筈。殿下、一旦離脱しましょう。イサが道を繋げますから、先にティアナちゃんから順に。ヒノモト組は妖に当たりますんで。アリマ、お前も少しは働けっての」

「さっきから働いてましたけど! あれ、結構怖かったんだからな……」

「俺だってそうだよ。それで夕暮れちゃんと戦わなきゃいけなかったんだからな」


 サチェグはこつんと有間の頭を小突いた。

 その短い会話の間に、鯨が術で次元を歪めて道を生み出す。
 ヘルタータが更に何かをかけたようだが、術式が見えたのは一瞬のこと。どんなものなのかは分からなかった。


 彼女に問いかけようとすると、朱鷺が歩み寄って有間に耳打ちする。アルフレートに聞こえぬように。滝壺や山茶花を示しながらなのは、カモフラージュだ。内容にはほとんど関係が無い。
 その内容に、有間はまた顔を強ばらせた。サチェグを見、目を伏せる。

 嗚呼、突如として訪れる。
 まるで昔の山茶花の時みたいだ。
 有間は目を開けてもう一度サチェグに視線をやった

 サチェグは肩をすくめ、鯨が生み出した道を指差した。
 好きな方を選べ。無言の言葉に、有間は静かに首を左右に振る。


「……分かった。急ごう。ティアナ。強い奴が集まる前に早く」

「……」


 ティアナは何故か、その場を動かない。
 唇を引き結んでサチェグと有間を順に見やった。

 その様子に、嫌な予感がした。


「ティアナちゃん?」

「あの……ちゃんと来ますよね? アリマも、イサさんも、サチェグさんも……」

「え、ティアナちゃんもしかして俺らに死ねと? さすがに妖を大量に相手にしたら俺以外死ぬって」


 サチェグが嘘で誤魔化すと、ティアナはぶんぶんと首を左右に振った。


「い、いえ! 違うんです。……その、何だか嫌な予感がしたから……」

「強大な神が死んだからでしょう? その子魔力があるようだから、本能的に怯えているのよ」


 ヘルタータも手伝う。
 するとティアナは殊の外すんなりと納得した。……納得してくれた。
 有間は心の底で安堵し、アルフレートに目配せした。


「ティアナが行ったらすぐに。あっちでも妖が現れないとも限らないから」

「ディルク殿下はアルフレート殿下の後に。今のうちに札をちょちょいと作り直しますから」

「……」

「ここじゃなくても作れるでしょう。亡骸の無い死人の墓なんて」


 朱鷺が山茶花の遺体を抱き上げる。それもまた、フリだった。
 ティアナは鯨に静かに促され、小さく頷いた。


「じゃあ、アリマ。無理しないで。すぐに来てね」

「了解。あっちでも警戒を怠らないようにね」

「ええ。それじゃあ、先に行きます」

「ああ」


 鯨は、ティアナの背中をそっと押してやる。
 ティアナは一瞬だけ有間を振り返り、次元の道へ飛び込んだ。


「次は、アルフレート殿下ですよ」

「ああ。分かった」


 アルフレートは有間を振り返り、何かを思い出したように周囲を見渡した。


「どうかした?」

「いや……アリマ、これを」


 差し出されたのはアルフレートの双剣、その片方だ。
 不思議そうに見上げると、彼は少し離れた場所を見て、


「長巻が使えるかどうか、分からないだろう」

「……ああ、そういうこと」


 確かに、妖刀と名高いあの長巻を使うのは、現状では難しいかもしれない。
 妖刀というのは人間がそのように言っているだけだが、そう思わせるだけの問題もある長巻が影響を受けている可能性も無いことは無い。
 まあ……警戒しておいて損は無いけれども。
 もしそんな必要が無かったらうちが長巻に怒られる。猛抗議される。

 ……が。

 有間は差し出された細身の剣を見下ろし、つかの間思案した。
 アルフレートを見上げ、小さく頷く。


「……じゃあ、これ《貰ってく》から」


 受け取った。
 有間の言葉にアルフレートは眉間に皺を寄せた。


「貰う? オレはただ────」

「早く行きなさい! 面倒なのが来たわよ!」

「な……」


 ヘルタータが声を荒げアルフレートの腕を掴み、無理矢理に道に押し込む。アルフレートに抵抗する暇など与えなかった。
 有間はヘルタータの声にはっとして周囲を見渡した。

 けれども、未だに『面倒な』妖は見受けられない。ようやっと、弱い妖が顔を出してこちらを窺っている。


「……今の嘘?」

「でないと行かないでしょう。あなた今墓穴掘ったって分かってる?」

「……」

「……」

「……あ」


 確かに掘った。墓穴。
 借りた剣を貰うって言ってしまった。
 今更口を押さえる有間に、ヘルタータは小さく笑った。


「お馬鹿さん。そんなところも可愛いけれど。それで、後は竜の王子様のみね」


 ちらりと視線をやったディルクは、今のやり取りで察したのだろう。怪訝そうにこちらを見ていた。


「どういうことだ。一旦移動するのだろう」

「ファザーンの皆様だけでね。この穴はオストヴァイス城のマティアス陛下の私室に直接繋げてあります」


 サチェグはあっさりとバラしてしまう。アルフレート達程に食い下がらないからだろう。
 ディルクは目を丸くした。
 少しだけ口を開け、目を伏せながら嘆息する。


「……なるほど。謀ったか」

「ええ。ここで帰しておかないと、戻れなくなっちまう。この術だって今ぎりぎりの状態で繋げてるんです。殿下が早く行って下さらないと────」

「そういうことなら僕は戻らない。ここに残り、あれを弔う」

「────でしょうね。なんで、殿下にはあっさりバラした訳ですけども。イサ」


 サチェグの呼びかけに応じ、鯨は道を閉じた。
 ディルクを一瞥するも、何も言わずに沈黙を保つ。

 ヘルタータは軽く驚いた。


「あら、良いの? お兄様」

「良いよ。竜の力を借りた方が、これからの大仕事も楽になるし。むしろ大歓迎」

「どういうことだ」

「まあ、なに、この世界を安定させるのよ」


 人柱(ひとばしら)を立てて。
 サチェグはさらりと、そう言った。



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