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ヘルタータは腰に手を当て、天に向かって不敵な笑みを向けた。
有間はそれを見、サチェグを見る。
窮地に現れた鯨が援護に回ることで夕暮れに対して辛うじて優勢になりかけてはいる。
だが────先程の砂月呼びと言い、その身のこなしと良い、どうも鯨らしくない。
怪訝に鯨の動きをじっと見つめていると、突如としてヘルタータの谷間が視界を埋め尽くした。かと思えば自分の顔が埋まる。息が出来なくなった。
「なっ」
「嗚呼、やっぱり可愛い子は正義だわ」
「アリマ……! あの、アリマが息出来ていません……!」
「あら本当。ごめんなさい。やっぱり胸が大きいと満足に抱き締められないわね」
心底迷惑そうな声で彼女は言う。少し、イラッと来た。
解放されて圧迫された顔を押さえると、ヘルタータは小さく笑い、「顔が真っ赤。可愛いわ」と暢気なことを言ってくる。
しかし、サチェグの妹だったとは意外だ。昔サチェグが殺したの何だの言っていたが、それを訊ねると厄介な事情で話が長くなりそうだ。
ひとまず、ヘルタータを見上げ天を見上げた。アルフレートが何も言わず間に入ってくれたことは、正直有り難い。
「それで、一体何を……」
「闇の女神の言質(げんち)は取ったんだもの、何もする気は無いわ」
「は?」
ヘルタータは再び天を仰ぐ。
「そうでしょう? 闇の女神」
暫しの沈黙を置き、穏やかな声が応(いら)えを返す。
『我が国への入り口があなたに閉ざされた今……もう戻れはしますまい。然れば我が身も、我が兄の御光を受け朽ち果てるのみ』
「そうね。太極変動が中断した状態のこの国には、あなたはいられない。光が強すぎるから。かと言って私が閉ざした以上あなたには戻ることすら出来ないでしょう。だって、そこにはあなたには解くことの出来ない魔女の術式があるのだから」
有間は舌を巻いた。
根の国への入り口を、魔女の術を用いて閉ざしたことで、太極変動を停止させたばかりか、闇の女神が戻ることすら阻んだのだ。
自分の知らぬところで女神の夢に無かった色んなことが起こっているのが、信じられない。これこそが、都合の良い夢なのか。
これが、夢に組み込まれていない存在による歪み、なのか。
「……うちの今までの行動って一体……」
思わずぼそりと呟くと、
「あら、これは全てあなたのお陰よ」
ヘルタータが不思議そうに言った。
「あなたと親しくしていたからお兄様はこの夢に介入したのよ。私だって、朱鷺があなたを助けたいと願わなければここまでしなかったわ。それに、その人達も一緒には来なかったでしょうし。夢に歪みを作らせたのはあなたの行動だわ」
随分と無理矢理な言い方だ。
だが、ヘルタータはしれっと言い切ってしまう。それは実際そう思っているからなのだろうか。
有間はサチェグやティアナ達を見やり、溜息を漏らした。何か、慰められたような気がする。
しかも相手は途中参加の、あまり良い記憶の無い女である。素直に彼女の言葉を受け入れる気になれない。
「それで、消えてくれるのでしょう? 男神が妻殺しになる前に」
『なんと、憎らかなる娘よ……』
男神は唸る。
「男神にはもうどうすることも出来ないわ。自分の力が、最愛の妻を殺すのだから。太極変動が進んでさえいれば、使っても問題は無かった。でも止められた以上、その力は毒となって女神の身体を犯していくでしょう。太極変動が完成間近であっても、入り口が閉じられてしまえば男神がいる限り女神は光によって照らされ、急速に弱り行く」
『……』
「ついでだったから、太極変動について調べさせてもらったわ。今までのヒノモトの現象は、正確には太極変動ではなかった。男神が光の加護を意図的に弱めて引き起こした、太極変動の為の下準備だったのよ。妖の跋扈(ばっこ)するヒノモトは陰陽を入れ替える為の地盤を作っただけに過ぎない。ヒノモトの異変はもう変わらないけれど、私の術に阻まれて根の国に戻れぬ女神は、男神の支配するこの世界で衰弱した身体を更に弱らせていくだけ。……昔程の力があれば、平気だったのにね」
自らの光が女神を殺す。
男神にとって、それは最も忌避すべきことだ。
自らが生み出した光の人間達によって弱められた彼女を、自らが死期を早めてしまうなど。
「女神にとって光が毒になったのは、光の人間達の思想が原因。つまりはあなたの力故のものよ。ねえ、もう有耶無耶にしたって意味は無いわよ。潔くこの子の願いを叶えたらどう? 闇の女神が愛おしい夫に殺される前に」
小馬鹿にしたように、ヘルタータは忠告する。
そうしながら、アルフレートを退かそうとした。アルフレートも決して退きはしないが。
困ったように、朱鷺が笑ってまた違う名前でヘルタータを呼んだ。
「ほととぎす。今は、真面目にしていよう」
「分かったわ」
「早!」
何今の早さ!
有間がツッコむ前で、朱鷺の口にした名前にアルフレートが反応する。
朱鷺の一声で対応を改めたヘルタータは、沈黙した二柱の返答を待った。
時間をかけて最終決断を下したのは、やはり闇の女神である。
草臥れたような弱々しい声で、
『分かりました。我らは一度滅びましょう』
今度こそ、有間の願いを聞き入れたのだ。
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