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振り下ろされた腕を、双剣を交差させて受け止める。
人間の腕である筈の細いそれは、まるで鋼鉄のように堅かった。甲高い金属の悲鳴と共に小さな火花が飛び散った。
有間が慌てた声でアルフレートを呼んだ。退がれと、言外に告げられた忠告には気付かぬフリをした。
夕暮れが退いた隙に有間の手を引き駆け出す。サチェグが擦れ違った。
駆け戻ったディルクは、その札をティアナに押さえられていた。何も考えずに飛び出した為にディルクの札が疎かになってしまったのだ。
小さく謝罪し、有間をティアナの方に押しやった。
夕暮れに襲いかかったサチェグの方へ駆け寄ろうとすると、有間がアルフレートの腕を掴んで引き留めた。
刹那、足先のすぐ先がごっそりと穿たれる。それはサチェグ達の一メートル手前まで及んだ。
もう一歩前に出ていたら────考えるだけでぞっとする。
有間が強く引いてくるのに従い、アルフレートは後退した。
「多分、男神の鉄槌だよ。神話にもよく出てくるんだ」
やっぱりあの女郎(めろう)……男神と夕暮れに有耶無耶にさせるつもりか。
有間の声は堅い。
見下ろした彼女の顔は青ざめて強ばっていた。
神話だけの現象。それを、まざまざと見せつけられてアルフレートだけでなく彼女も狼狽えていた。いや、アルフレート以上にその力を感じているだろう彼女の方が、ずっと恐ろしいに違い無い。
アルフレートは有間を退がらせようとした。
けれどもそれを先に制したのはティアナだ。
「逃げて!!」悲鳴に近い金切り声にはっとした時にはもう遅かった。
アルフレートは上を仰ぎ、ほぼ反射的に有間を突き飛ばした。
見えない。
されど確かにそこに有る。
何か途轍(とてつ)もない力がアルフレート達を踏み潰そうと────。
「アルフレート!!」
有間がティアナと似た甲高い声を上げた。
逃げろと言われてももう遅い。
身体は縫いつけられたように動かず、ただ迫り来る不可視の圧力を睨め上げるしか無かった。
────潰される!!
直前まで目を開いたままだったのはアルフレート自身の維持だった。
神に潰される。神の鉄槌を受ける。
けれどもそれに少しでも怯えて俯きたくなどなかった。
彼らの駒とされ、最後まで報われなかった田中東平や、山茶花の死に様が脳裏によぎったから。
そしてそれに怒りを抱く、有間の背中を見たから。
せめてもの、抵抗のつもりだった。ちんけで下らないが。それくらいしか、その瞬間の彼には出来なかったのだ。
圧力が髪に触れた瞬間、心中にて謝罪をしようとした。
されど。
そんなことすら、許されはしなかった。
「────っはああぁぁぁ!!」
裂帛(れっぱく)の気合いを乗せた大音声と共に、色を持たぬ圧力に斬りかかる影。
一瞬、空と同化して見えたのは薄衣だろうか。
否。
それは髪だ。
風にたなびく長い髪だ。
それを持つ人間を、アルフレート達は知っていた。
「……ウグイス殿」
東雲鶯。
今は亡き五大将軍が一人、東雲朱鷺(とき)の妹。
兄の遺志を継ぎ、これまで有間の、邪眼一族の生き残りの為に尽力するべくファザーンに手を貸してきた、華奢な娘。
彼女もここに駆けつけたのか。
どうやってとは思ったが、圧力が消え、雪の上に着地した彼女には感謝の念をこそ強く抱いた。
鶯は何かを払うように刀を振り、アルフレートを振り返った。うっすらと微笑みを浮かべてみせる。
違和感。
「ウグイス殿……?」
「遅参、まことに申し訳ない。我が愚妹の身体が思いの外軽く、すぐには馴染めなかった」
……『我が愚妹』?
自分の妹を遜(へりくだ)った言い回しが、鶯自身の口から出たことに、驚き困惑した。
所作も、鶯のものとはまるで違う。
鶯はアルフレートの様子に笑声を漏らし、有間に視線をやる。
つられて視線をやれば、彼女は苦虫を噛み潰したような顔して鶯を見つめていた。
「……本当に、来たんだ。うちがあんたを殺したのに。……東雲将軍」
「え?」
東雲将軍。
有間は確かにそう言った。
そしてそれに、鶯は笑って首を左右に振る。
「いや、私も夕暮れの君や女神に殺されたようなもの。私も君も、駒として夢の通りに動かされていたに過ぎない」
鶯────否、朱鷺は有間にゆっくりと歩み寄ってその頭を撫でた。
有間が顔を強ばらせて逃げようとしたのを手を掴み止める。
片膝をついて見上げる彼の顔は、幼子を諭すような、柔らかで温かいそれだ。そこに負の感情は一切無い。
「それに、私は元々、死にたいと願望を持っていた。君の重荷になってしまったことは申し訳ないと思いこそすれ、恨みも何も無い。あろう筈がない。私は、ただ君の助けになりたい。その為だけに、《彼女》の助けを借りて妹の身体を借り、ここに参上した。どうか今ここで、私にあの時君に要らぬ重荷を背負わせた償いをさせてはくれないか」
「……、……こんな所までついて来たんだ。うちが拒んでも勝手にやるんだろう」
だったら、あんたの好きにやれば良い。
気まずそうに答える有間に、かつて彼女に殺された青年は、妹の身体で嬉しそうに微笑んだ。
立ち上がり、アルフレートに向き直り、拱手する。
アルフレートも居住まいを正して頭を下げた。
「間に合って良かった」
「命を助けていただき、感謝する」
「私は、彼女の未来を守る為にここにいる故、貴殿が気になされることは無い」
見た目こそ鶯だが、立ち居振る舞いは軍を率いる将軍のそれだ。さすがは五大将軍の一人、といったところか。
有間に殺された彼が妹の身体を借りてこの世に存在しているということは、やはりもう死者と生者の世界が反転しつつあるということ。太極変動が完成間近────由々しき事態だ。
早くこの場に終止符を打たなければ、大変なことになる。
サチェグに顔を向けたアルフレートはしかし、朱鷺に肩を掴まれた瞬間女神の嘆くような声を聞いた。
『嗚呼、嗚呼……我が兄。なんと言うことでしょう……入り口が、閉じられてしまいました』
『なんと……!?』
『これでは入れ替えることも出来ませぬ。死者も戻れませぬ。嗚呼、何ということ。誰が斯様(かよう)に愚かしいことを……!』
「ごめんなさいね。私なの」
その声には、聞き覚えがあった。
途端に静まり返った場にヒビを入れるかのように、ざく、ざく、と雪を踏み締めて歩いてくるのは、女だ。
異民族の衣装の上からヒノモトの防寒具を羽織ったその女は、背中に弓矢を背負っている。
「ヘルタータ……」
以前、有間とアルフレートが対戦した、異民族の女だった。
されど、一人だけ彼女を別の呼び方で呼ぶ者がいる。
「桂月(けいげつ)……!?」
サチェグだ。
彼は、まるで死者を見ているようだった。
青ざめ、端が裂けんばかりに目を丸くしてヘルタータを凝視している。夕暮れもまた、信じられないとでも言わんばかりに睨んでいる。
そんなサチェグに、ヘルタータは艶然と微笑んで首を傾けて見せた。
「あの時から一体どのくらいになるのかしらね……お兄様」
あの時は本気で私を殺そうとしてくれて、本当にアリガトウ。
親しげに、甘ったるく、彼女は言い放った。
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