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 我が目を疑った。
 狩間────否、狩間に殺された筈の有間は、夕暮れと向き合い無表情に天を仰いでいる。

 彼女は夕暮れには構わず沈黙した神々の返答を待つ。
 夕暮れが攻撃しようとすれば、


「良いの? うちの中、今狩間だけじゃなくて本体の魂も入ってるんだけど。その状態であんたがうちを殺したら、暁にも影響が行くんじゃない?」


 天に視線を留めたまま、告げる。

 夕暮れは色を失った。ふざけるな、嘘をつくな────激しい怒号を浴びせた。
 されど有間はさらりと受け流してしまう。涼しい無表情で。
 その態度が嘘ではないと答えを返している。
 夕暮れは忌々しげに顔を歪め、両手に拳を堅く握り締めた。衝動を堪えるように、歯軋り。

 この状況下で有間の薙いだ表情はむしろ狩間に近い。だが瞳は間違い無く紫。有間の色だ。

 有間が神に乞うたのは神の滅亡。
 ヒノモトの滅亡ではなかった。
 ……いや、ある意味では、ヒノモトの滅亡と言えるか。
 ヒノモトの生き物達の破滅がシナリオにあったというのに────自分達の破滅を願う有間の言葉を、果たして二柱が聞き入れるかどうか……。

 果たして、二柱の反応や如何に。


『……何と、おどろしきことを言うのでしょう』

『狂(たぶ)ったか、我らが子らよ』

「キチガイは、お前らの子供まで自分達の駒にしたお前らだ。盤上の駒にされて、山茶花も弄ばれて、うちが赦すとでも思う訳? どれだけ神ってのは自分勝手なんだ。あんたらに生み出されたとか、冗談じゃないね。親がそんなで、子供に慕われると本気で思ってんのか」


 有間は軽蔑するように吐き捨て、そこでようやくアルフレート達を振り返った。
 彼女はゆっくりと歩み寄り、サチェグに抱かれた山茶花の頬を撫でた。目を細め、舌を打つ。
 すると、錫が待ってましたとばかりに有間に飛びついた。アルフレートはそこでようやっと、錫がディルクの側にいたことに気付いた。そんなことにも気付ける状態ではなかったのだった。
 咄嗟に抱き留めるとぺろぺろと顔を舐めてくる。有間は嫌そうな顔をして錫の顔を押しやった。が、降ろそうとはしない。


「アリマ」


 アルフレートがやや震える手を伸ばすと、すっと身を引いた。逃げるような仕種を誤魔化すように苦笑めいた微笑を浮かべ、彼らに背を向ける。


「山茶花だって、うちの実父だって────他の邪眼一族だって皆あんたらの子ってことなんだろう。何故夢に従って見殺しにした。それが、あんたらが子供に向ける愛情なのか。だとしたら神なのに人間よりも糞(くそ)だな」

『何ということを……! 我が子なれど、そのおぞましき言の葉、けして赦されまいぞ』

「その前に、うちがあんたら赦さない。糞が造り直した世界とか結局は糞なままだ。それならあんたら神々のいない世界で生きていた方が、何百倍もましだね」

『嗚呼……』


 女神が嘆いた。声を震わせ、啜り泣く。
 それに男神は慌てた。その怒りの矛を有間に向けるが、有間自身に恐れる様子は無い。それどころか絶対的な存在に対して嘲笑すら浮かべていた。

 やはり、有間よりは狩間に見える。だけどそこに立ってるのは確かに有間だ。躊躇い無くアリマと呼べる。
 けれど────見ているだけでその違和感に心の底で微かなむず痒さを覚えた。

 有間は一瞬だけアルフレートとティアナを振り返り、視線を周囲にやった。鯨を捜しているのだ。だが彼はここにはいない。無事だとは思うのだが。

 有間に、女神は努めて穏やかな声で問いかけた。


『何故、そのように恐ろしいことを言うのです』

「あんたの夢がうちをこうしたんだろ。今更、どうしてあんたが嘆くんだよ。あんたがうちらを殺したんだ。我が子と言いながら、見殺しにして、弄(もてあそ)んでこんな結末にしたんじゃないか。夢に過ぎないのだから変えれば良かったんだ。あんたじゃなくとも暁達から光の男神に言えばどうにかなったかもしれないじゃないか。そうすれば何か変わったかも知れない。あんたらだって別の解決法があったかもしれないし、邪眼一族だって助かったかもしれない。だのに、あんたらは最初からそうしなかった。あんたらは邪眼一族のことなど我が子とも思っちゃいなかったんだ」

『……』

「死ねよ。神々なんて、一人残らず消えてしまえ。うちはお前らの存在こそ赦さない。闇の女神など邪眼一族の母じゃない。憎らしい仇だ」


 はっきりと、有間は言う。強い憎悪を含んで。

 男神はますます怒りをたぎらせる。場の空気で分かる。今にも何処かで爆発が起きてしまいそうな程に、張り詰め熱を帯びていく。

 しかし、女神が言を発すればそれも一旦は鎮まった。


『……何と、恐ろしい子が生まれてしまったのか』


 有間は舌を打った。


「恐ろしい? 恐ろしいのはそっちだろう。あんたはただ、自分の見た夢を理由にして解放されたかっただけだ。人間達の思想に弱っていくだけの自分を悲観視して夢の果ての自由を手に入れたかっただけだ。その為にヒノモトだけじゃない、無関係の他国にまで巻き込んだ。あんたが見たのは確かに夢だ。けれど、あんたの願望にまみれすぎていた。結局は、今に至るまでのほとんどがあんたの我が儘を形にしただけだったんだ」

『……、……ええ、ええ。そうかもしれませんね』


 いやにすんなりと、女神は肯定する。
 有間は一瞬口を噤み、またすぐに声を発した。


「へえ、素直に認めるんだね。でも、そうやって肯定を逃げにされるのも嫌だな。謝罪とかされてもうちの選択は変わらない。うちが今求めてるのは下らない無駄話じゃないよ。うちの願いを叶えてくれるのか、否か。その返答だけだ。さっさと答えてよ」


 有間は強固な態度を崩さない。このような事態のきっかけを生んだ闇の女神を、ひいてはその周囲の神々を────ヒノモト全土に暮らす無関係な八百万の神々ですら、厭(いと)い存在を否定する。消そうとする。


『赦さぬぞ、我が妹に生み出されておきながら我らを滅すと大言を吐くか!』


 怒りの男神が有間を怒鳴る。

 されど女神は冷静なものだ。
 今更罪悪感でもあるというのか、肯定して、有間の言葉に反論もしない。

 かと言って、夫を宥めようともしなかった。
 姿が見えないので表情を窺うことは不可能だが、何処か彼女の様子を探っているようにも思える。

 それが分かっているのかいないのか、有間は姿の見えぬ二柱と対峙し、涼しい顔で通す。
 男神の言葉など、まるで耳にすら入れるつもりもないかのように、平然と聞き流した。

 暫し、張り詰めた静寂がその場に横たわった。長いようにも思え、短いようにも思えた。

 言を発したのは女神が先だ。


『……分かりました。其の願い、聞き届けましょう』


 我々は、この世界を捨てます。
 静かに、しかし苦しげに囁かれた言葉に、有間が舌打ちする。

 その時夕暮れがその場に崩れ落ちた。


「あ、ああ……っ何故だ! 何故暁は止めぬ!?」

「その暁のお陰で覚悟が出来たんだよ。ドーモ、アリガトー」


 有間はぞんざいに片手を振った。

 夕暮れは更に気色ばむ。
 怒りの衝動を堪えきれなかった。
 獣の如き憤懣(ふんまん)の咆哮を上げ、有間へと襲いかかる。


「アリマ!!」


 アルフレートが動いたのは、ほぼ反射だった。



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