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※注意
その世界は、救い無き弱肉強食の、滅びの世界だった。
何処を見ても抗う力を失った獣達、人間達は妖の餌食となる以外に定めは無い。
神を失えば、避けられない未来だ。
だがもう、彼女はその未来を選んだ。
だって、全てを零にされ、新たに世界を造り直されるよりはずっと良いじゃないか。
可能性を探そうとしなかった神とは違う。
自分の人生全てを使って、可能性を模索しよう。何が何でも、解決させて見せよう。
それもまた、《償い》の一つ。
自分がこれから犯す罪は、どんなことをしても赦されぬ。分かっているから、赦されずとも良いのだ。ただ、ただ、自分の勝手で不幸になるならそれを少しでも助けなければならないと、自分が思うだけだ。恨むならばそれで構わない。
勝手でやったのだから、最期まで勝手にやらせてもらうだけ。この命尽きるまで、自分勝手な償いとして世界を少しでも暮らし易く戻すだけだ。
目の前で、自分と歳の変わらぬ娘が妖に生きたまま喰われている。悲鳴を上げ必死に抵抗するも、内臓を喰われる痛みからじきに意識を手放し、絶命する。
死体となった娘の腹からずるんと引き出されたのは────赤子の入った子宮だ。
新しい命すら、生まれることが出来ない。
未来を、この世界は赦さない。
それでも可能性が無いなんて認めない。
だって誰もそんなことを言っていない。ただこの世界を見せているだけで、可能性の否定にはならない。
自分が考えるだけでも手札は数枚残されている。それを駆使すれば、小さな可能性でも見いだせる筈だ。
この世界が未来を赦さないのならば、うちがこの世界を赦さない。
彼女は母になりかけていた死体を貪る妖の側を通り過ぎた。
青い平原を真っ直ぐに歩く。
彼女の後ろには、空と同じ爽やかな髪色をした青年。喋ろうと思えば喋れるのだろうが、姿を現しての一言以降、声すら発しなかった。
ただ、彼女を守る為、側に居続ける。
この世界は何処を見ても妖ばかりだ。餌が数を減らしていくうちに飢える者も現れ、同じ妖すらも喰らっていく。
蠱毒(こどく)────その秘術が、頭に浮かんだ。
人間や獣が消えれば、今度は妖同士が殺し合い、喰らい合う。そうして最後に残った最強の妖は────きっと、その牙を外国に向けるであろう。
その頃にはもうティアナ達は生きていない。
だが、彼女らの足跡残る国にまで滅びの手が伸びることは何としても阻止しなければならない。
いいや、絶対に阻止する。阻止してやる。
山茶花を、弔いながらでも。
『それで、本当に良いのかよ』
「……」
彼女は────有間は、足を止める。
ゆっくりと振り返り目を細めた。
そこには自分そっくりの少女がいた。ただ違うのは、瞳の色。
透き通った黄色の双眼が、有間を痛ましげに見つめていた。憐れみも、呆れも、怒りも含んだその目は、しかし害意や敵意は一切無い。
嗚呼、やはりこの存在は最初からうちに全てを委ねるつもりだったのだ。
異分子(サチェグ)が入り込んだ時点で、諦めていたのだ。
けれどもこの世界を見せて、自分を試している。自分の覚悟が半端かどうかを試している。
無駄だと思いもしたが、この未来を見せられたことで自分のすべきことを改めて定められた。増えもした。
一応、感謝はする。殺すだの自分が有間になるとふざけたことを言われたのには腹が立ったが。
『暁と呼んで良いよ。一応は、オレは本体から直接お前の夢に来てるの。狩間は表で時間稼ぎをしておる』
「……」
沈黙で返せば、暁は苦笑する。
『んな顔すんなって。アンタも分かってる通り、アタシは砂月が介入した時点で少し諦めが入っていたわ。決定的になったのは、あそこで竜の王子と山茶花が生き残ってしまった時。砂月の存在はとても強い毒性を持っていた。こうなるだろうと予想していたからこそ、先にオイラが干渉しないでって頼んでたんだ。その結果こうなってしまった以上、俺にはもう何もする気は無い。だがお前はここに来るまでただ成り行きに流されているようにも見えた。君の覚悟が中途半端なら、さすがにそれは看過出来なかった。それくらいは、許しておくれ。夕暮れ程じゃないけれど、私も親のことが大事なんだ』
「……あんたなら可能性を探すことも出来たんじゃなかったのか」
『駄目なのです。俺は所詮女神と男神の子供。女神の夢を覆すことも、変えることも、序列が赦しはすまい。犯せばわたくしも夕暮れも、消されてしまうでしょう。私はどうなっても良いけれど……夕暮れだけは、愛おしいあの子だけは、消したくなかったの。それは、あなたがティアナ達を守りたいと思うのと、少しばかり似ているのではなくって?』
「神と人間じゃ思考回路が違う」
『だから少しばかりって言ったんじゃねえか』
暁は後頭部を掻いた。彼が有間に見せている世界を広く見渡し、笑みを消した。
『……本当に、あなたはそれでよろしいのですか。神殺しの罪を背負うことに、何の後悔も持たないの? 今のうちに、よく考えてみろ。太極変動の完成までは、もうちょっとだけ時間がある。まだ、女神の国への道が僅かに開いただけだ。意志の強い死者以外は出られない』
そこで、暁が見たのは青年だ。
悲しげに微笑み、会釈する。
青年は首を左右に振り、恭しく拱手(きょうしゅ)した。
『思えば、お前さんも異分子に関わってしまった存在であったな。今の君なら、彼女の正体も分かっている筈だ。その罪も知っているのに、それでもアンタはまだ彼女を愛している訳?』
『……』
青年は即座に首肯した。
彼女とは、青年の愛した邪眼一族の娘のことだろう。異分子────サチェグに関わっているというのが非常に気になりはしたが、自分が知るべきことでもないだろう。
暁は苦笑し、ほうと、吐息を漏らした。
『何だか、今の方が良いような気にもなるし、駄目なような気もするんだよなあ』
「あんたがどう言おうがうちはもう変えるつもりはないよ。後々後悔したって、自分のやることに変更は無い。最期までやるべきことをやるまでさ」
『ティアナ達と別れてしまうのに? いつ会えるかも分からないのに?』
有間は小さく頷く。
うちはティアナ達が好きだ。
だからこそ、在るべき場所で幸せで在れば良い。
ティアナ達も、小劇場の友人達も好き。今まで自分を変えてくれたカトライアが好き。
ファザーンだって、あのままいれば好きになっていただろう。食べたソーセージの味も覚えているし、兵士達に貰った花束も鮮明に記憶している。
変わった。
昔と比べて、随分と変わった。
カトライアに来てから今まで出会った人々が、自分は好きになった。
命を尽くして自分がやることは好きな者を守ることにもなる。
────それで、良い。
《好き》だけで良い。
今必要なのはそれだけだ。
そこに特別は含まれてはいけない。あればそれ理由ではなく未練に変わる。
脳裏に浮かんだ人物の姿を掻き消し、有間は暁に歩み寄った。
結局は応えぬまま言わぬまま、相手の方も自然と消失するのならばそれが一番良い。
『本当に良いんだね。切り捨てる未練もまた、いつか理由になるかもしれないのに』
有間は肩をすくめた。
いつか────そのいつかの前に、今未練が覚悟を乱しては意味が無い。
暁は眦を下げ、そっと両手を有間へと伸ばした。
そっと抱き締め、頭を撫でる。
『そんな顔をしていたら、未練の方が縋りついてしまうよ』
「……そこは、君がどうにかしてくれよ」
『無茶言うんじゃねえよ馬鹿。……ま、表情はあたしが調整してやっても良いけどさ』
どうにかしてくれるんじゃないか。
有間は小さく笑い、目を伏せた。
不意に足下が無くなり、身体は落下する。二人揃って、落下する。
『また、後で』
青年が、穏やかな笑みで、送り出した。
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