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 ゆらりゆらりとゆらめくでもなく。

 ふらりふらりとたゆたうでもなく。

 ただただ、そこにいるだけ。



 ここは何処だろうか。
 分からない。
 ここが《場所》乃至(ないし)は《空間》として認識出来るのかすらも分からない。
 そこにあるのは黒だけだ。
 色も臭いも温度も味も音も感じられない。

 ただ、そこにいる。
 何も喋らず、何も聞かず。
 意識も酷く茫漠とし、自分の名前すら分からない。
 だのに、存在していることだけは分かっていた。

 どんなに考えようとも続かない。すぐにどうでも良くなってしまうのだ。

 お前は何も何もしなくて良い。感じなくて良い。何も考えなくて良い。
 誰かにそう言われているような気がした。
 ではその誰かは誰なのかを考えようにも、やはり続かない。すぐに思考を止めてしまう。

 どうしてここいいるのか。
 いつまでここにいるのか。
 自分は────何なのか。
 分からない。

 ずっと考えてはすぐに止めて、忘れて、同じことを考えてはすぐに止めて、また忘れて────。
 果ても知らず、同じことを延々と繰り返した。

 それが無意味なことだという考えに辿り着けない。

 何も無いそこから抜け出せない限り、明確な答えを自ら導き出せはしないのだ。


 そんな折に────それは突如として響いた。


『有間ちゃん……私、ね。あの日、有間ちゃんと加代ちゃんに、教えてあげたかったの。紗苑お姉ちゃんがね、幻術で私達を隠して、悠久の滝に連れて行ってくれるって……』


 ようやっと出来た、《聞く》ということ。
 その声は自分という存在にに染み渡るように広がっていった。
 聞き覚えのある声だった。染み渡る感覚がとても心地良く《感じる》。

 だけども、その声の主は思い出せなかった。


『悠久の滝に行ってね……私、一日だけでも良いから、一瞬だけでも良いから……姫神様にお願いがしたかったの』

『ずっと……ずっとね、思ってたんだ。いつも三人で遊ぶのも楽しいけど、他の皆と一緒に遊ぶのもとても楽しいの。だったら、人間の子供達も一緒に遊んだら、もっと、もっと楽しいよね……って。だから私、お願いしたかったんだぁ……。人間と邪眼が、仲良くなって……沢山、沢山、遊べますようにって。私達しか知らない遊びを教えてね、人間の子供達の遊びも教えてもらってね、楽しく遊びたかったの。私、今度こそ、ここでお願いしたかったよ。昔に死んだ私の代わりに……』

『人間の子供達と、遊んでみたかったなぁ……有間ちゃんと加代ちゃんと一緒に悪戯をして、皆のお父さんとかお母さんの雷を受けて、でも、懲りずに悪戯をして……そうやって、大人になるまで笑い合って、みたかったな。……やっぱり、どうしても無理だったのかなぁ……』


 その時また別の声が、また違う響きを持って、か細く届く。それもまた懐かしさを感じるものの、明確には思い出せなかった。

 ヒノモトだって、何か方法があった筈なのよ。
 誰か考えられる人がいたら良かったんだ。
 誰か、邪眼一族の一人一人を見れる人がいたら良かったんだ。

 誰か、その可能性に気付けたら、可能性の先にある未来に希望を見いだせていたら。

 こんなことにはならなかったのに!

 叫ぶ。悲しげに叫ぶ。


『……だけど、もう良いや……有間ちゃんと狭間さんが、人間と一緒にいて、幸せそうだから……それが、ずっと続いてくれたら……昔の山茶花も、それで十分だと思うの。もう……ヒノモトに邪眼一族はいないから。私も、皆も……この世からいなくなってしまったから……だから有間ちゃんと狭間さんがティアナさん達と仲良しになってるんなら、それで良いや……』


 比較的はっきりと聞こえていた声は、次第に弱まってくる。
 それ以後、その声が聞こえることは無かった。幽(かそ)けき声も同様である。

 聞こえなくなれば、そこはもう元の、何も無い状態に戻る。

 嗚呼、終わった。
 何かを感じる時が終わってしまった。
 また、繰り返すのだ。
 同じことを、何度も何度も、永遠に────……。


『それは、駄目だ』


 ……また、声。
 今度は低く、落ち着いている。
 これも聞き覚えがあるが、先程の二つに比べると微かなものだ。

 されど、先程とは明確に違う変化が訪れる。


 背後から、ふわりと暖かいモノに包まれたのだ。


 頭を何かに撫でられているような、とても安らぐ《感触》だった。


『ここに何も無いのではない。無量に積み重なっているが故の黒なのだ。しっかりと《見て》みれば、すぐに分かる』


 見ろ、と声は促す。
 お前はまだ何も見ていないだけだ。
 試されているのだと気付いていないだけだ。
 あの方の真意は、この停滞した空間には無い。
 お前が動かした瞬間にこそ、露わとなるものだ。

 目を開け。
 広がる景色を────あの方の真意を、自分の目で確かめろ。

 見る。

 見れるのか?


『ああ、確かに見える。ただ見ようとしていないからこそ、見えないのだ。その意識の中、少しでも見たいと望めば、簡単に黒は広がり、圧縮された全てが広がっていく』


 見よ。

 その目を開け。

 声は、促す。

 そうか、見れるのか。
 見れるのなら────見たい。
 それは、何も無い状態のさなかようやっと芽生えた欲である。

 声の言う通りとなった。

 その欲を待っていたのだとばかりに、耳に喚くような大音声の合唱が届いた。

 強く冷たい風が肌を撫でた。

 青い匂いが鼻腔を突いた。

 目を、《開く》。


 目の前には大いなる大地が、広がっている。地平線は遙か遠く、世界が、果て無く続いている。

 それがどのような場所であるか、すぐに分かった。
 そしてそれが、自分が見るべき光景であることも察した。
 周囲を見渡せば、その世界に在るべき者達がいない。

 その所為で、世界は急速に弱まっていく。
 生きる動物、人間は、脅威に対抗する術も無く、数を急速に減らして行くのみ。
 全てが死に行くだけの世界だ。


 あいつが見せたかったのは、この《未来》だ。


 この景色を見た上で、それでも自分の選択を押し通すのかと、覚悟を問うてくる。
 責任を果たせないのなら止めろ、こちらに任せて、滅びを眺めておけ────そんな、冷たくて優しいメッセージも、そこにある。

 これこそが、自分がここで見るべきだっただったものなのだ。

────《うち》、は……。

 景色を眺め、拳を握る。痛みを感じる。

 だが、それでも。
 うちはこの選択を選ぶ。
 それは絶対に変わらない。

 責任は果たす。必ず。
 償いも、一生かけてしよう。

 このまま大地が急速に死に行くだけなら、うちも一緒に死のうじゃないか。

 脳裏に再び反響する、ここにまで届いた彼女らの声。
 誰の仕業か知らないが、その声のお陰で選択肢は一つとなった。他にはもう何も選ばない。


 ヒノモトは滅する。
 だが、人間と動物、ついでに妖も残そう。



 滅びるのは、ふざけた夢を見た闇の女神────否、ヒノモトに存在する全ての神々だ。



 決然と佇むその眼前に、光が生まれる。
 その光は徐々に形を、色を帯び、一人の青年と変わる。

 青年は、微笑んで手を伸ばした。


『今度こそ、私に君を助けさせてはくれないか』


 空と同じ色の髪をした青年は、そう請うた。



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