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 この身体から、命が流れ落ちていく。
 ようやっと完成して安定したのに、したいことも出来ずに――――なんて勿体ない。

 無駄に流れていく命。
 どうにかしてせき止めたい。
 だが、自分にはどうしようもない。
 必死に繋ぎ止めてくれようと、名前を何度も呼んでくれる少女の声も意味が無い。

 守りたかった。
 守れなかった。
 これじゃあ何の為にここまで必死に走ってきたのか分からない。ただ殺されに来ただけになってしまった。
 結局は不為(ふため)の足掻きだった。

 どんなに抗おうとも、ただ大切な有間を苦しめて、シナリオ通りに導く為の駒でしかなかったのだ。それ以上にもそれ以下にもなれやしないのだ。
 サチェグさんのように、私が女神の夢に無い存在であったなら、こんなことにはならなかったのだろうか。

 死ぬ前に滝の姫神様に願い事をしたかったな……。
 目を伏せると、少女が悲鳴に近い声で、大きく名前を呼んでくれた。
 止めさせないと。無駄な行為を続けさせてその可愛らしい声が嗄(か)れてしまっては悪い。
 それに、彼女が呼ぶべきなのは敵である自分ではない。有間だ。

 だけど声が上手く出せない。

 痛くて、苦しくて、辛くて。
 どうしても声が詰まってしまうのだ。
 嗚呼、せめてこの苦痛が消えて無くなってしまえば、言葉だけでも発せられれば良かったのに。

 そう、言葉だけでも――――。


『伝えるのは、言葉だけ? その少女だけ?』


 ……?
 声が、頭の中に反響する。
 少女とは違う、大人びたやや低めの女性のものだ。聞き覚えは全く無い。
 誰、と意識の中で問いかける。

 けれど声は冷たい答えを返す。


『名乗ったって、どうせあなたには分からないわ。無意味なことはするべきではないでしょう。面倒だし』


 それで、本当に伝えるべきことを、伝えるべき子に伝えなくて、本当に良いの?
 声は語気を強めて早口に問う。返答しないでいるとすぐに繰り返して急かした。こちらの命が尽きる前に、返答をさせたいのだろう。

 けども、彼女の伝えるべき子は、もういないのだ。
 もう、別人格に殺されているのだから。
 だのにどうやって伝えられると言うのか。
 もたもたとしているのに痺れを切らしたらしい。声はやや大きくして叱りつけるように告げた。


『あいつが殺せる筈がないでしょう。本体の人格に寄生しているのだから、本体が死ねば自分も消える。それをわざわざ殺したとか嘘ついてまでして、あいつは異国人をこれ以上巻き込まないようにしているだけ。ほら、言いたいのか言いたくないのか――――会いたいのか会いたくないのか、はっきりしなさいよ』


 声は自信を持って断じている。
 まるで、『あいつ』のことをこちらよりも理解しているようではないか。
 この声は、一体誰なんだろう……。

 ……なんて、分からないのなら考えても無駄か。

 声と会話している間にも、命は止め処なく溢れ出ていく。
 時間は幾らも残っていない。
 なら――――……。

 ……会いたい。

 有間ちゃんに会いたい。

 会って、あの日――――私が死ぬ前にしたかったことだけでも、伝えたい。
 もう私がやりたかったこと、有間ちゃんを守ることも出来ないなら、それだけでも、教えたい。知っていて欲しい。

 友人でなくて良い。今の彼女にとって今の自分が化け物で、気持ちが悪い存在だと思われて構わない。
 死者の山茶花ではなく、生者の山茶花が死ぬその時までずっとずっと持っていた願い事を、彼女の記憶の片隅にでも、置いていて欲しいのだ。
 それは愚かで、お人好し過ぎると笑われてしまうだろうけれど。

 生者の山茶花にとって、その願い事は大事な本心でもあった。

 だから、それを、少しでも伝えさせて下さい。
 僅かでも有間ちゃんに、本当に届くのならば――――……。


『その願い、聞き届けましょう。ああでも、勘違いしないでちょうだいね。別に同族だからとか、そんなお優しいこと、私は考えていないから』


 ただ、ヒノモトが消えるのに納得がいかないから、あなたを利用させてもらうだけよ。
 声はその科白を最後に、ぱたりと途絶えた。



‡‡‡




 腕の中の山茶花が、もぞりと動く。
 ティアナは力の宿った華奢な身体に即座に気付いた。大音声で呼びかけようとした。やはり声は出ない。


「……あ、ぁ、有間、ちゃん……」


 開かれた赤い目は濁っている。
 何かを探すようにさまようが、やがて諦めたように目を伏せた。口だけが、動く。


「有間ちゃん……私、ね。あの日、有間ちゃんと加代ちゃんに、教えてあげたかったの。紗苑(しゃおん)お姉ちゃんがね、幻術で私達を隠して、悠久の滝に連れて行ってくれるって……」

「……死にかけの寝言か」


 狩間が振り返り、目を細める。だが、脅威に取る程でもないとまた視線を上に上げた。

 山茶花のか細い声に乗せた言葉は続く。


「悠久の滝に行ってね……私、一日だけでも良いから、一瞬だけでも良いから……姫神様にお願いがしたかったの」

「……」

「ずっと……ずっとね、思ってたんだ。いつも三人で遊ぶのも楽しいけど、他の皆と一緒に遊ぶのもとても楽しいの。だったら、人間の子供達も一緒に遊んだら、もっと、もっと楽しいよね……って。だから私、お願いしたかったんだぁ……。人間と邪眼が、仲良くなって……沢山、沢山、遊べますようにって。私達しか知らない遊びを教えてね、人間の子供達の遊びも教えてもらってね、楽しく遊びたかったの。私、今度こそ、ここでお願いしたかったよ。昔に死んだ私の代わりに……」


 人間と邪眼の共存という、幼少の願い事。
 これは……これが、山茶花が反魂に答えた理由。
 山茶花は、ここで――――この滝の姫神に願い事をしたかったのだ。
 その為に蘇ったのに、壊され、踊らされて、今ようやっと自分を取り戻したかと思えば狩間の手に掛かって。

 そんなの、あんまりだわ。
 ティアナは自分でも驚く程の怒りを感じている。
 だって、本当にあんまりだ。
 有間も、鯨も、田中東平も、山茶花も、その他の生きとし生ける者達も。
 終焉の為だけにマリオネットにされていた。
 もっと別の方法は無かったのかと、もう一度、今度は怒鳴りつけて責め立ててやりたい。声が出せない、動けない身体がもどかしい。


「人間の子供達と、遊んでみたかったなぁ……有間ちゃんと加代ちゃんと一緒に悪戯をして、皆のお父さんとかお母さんの雷を受けて、でも、懲りずに悪戯をして……そうやって、大人になるまで笑い合って、みたかったな。……やっぱり、どうしても無理だったのかなぁ……」


 無理じゃない。
 無理じゃないのよ。
 東雲鶯さんや東雲朱鷺さんみたいに、邪眼の女性を慕っていた人がいた。
 私もマティアスもアルフレートもルシアもエリクもクラウスもロッテも、アリマやイサさんのこと、何とも思っていない。
 サチェグさんとコルネリアさんだって親友だった。ファザーンで、サチェグさんは彼女との約束を守った。

 だから、ヒノモトだって、何か方法があった筈なのよ。
 誰か考えられる人がいたら良かったんだ。
 誰か、邪眼一族の一人一人を見れる人がいたら良かったんだ。

 誰か、その可能性に気付けたら、可能性の先にある未来に希望を見いだせていたら。

 こんなことにはならなかったのに!
 心の中でティアナは叫んだ。必死に、必死に叫んだ。

 けれども――――。


「……だけど、もう良いや……有間ちゃんと狭間さんが、人間と一緒にいて、幸せそうだから……それが、ずっと続いてくれたら……」


 昔の山茶花も、それで十分だと思うの。
 もう、ヒノモトに邪眼一族はいないから。私も、皆も、この世からいなくなってしまったから。
 だから有間ちゃんと狭間さんがティアナさん達と仲良しになってるんなら、それで良いや。
 その言葉を最後に、山茶花は口の動きを止めるのだ。

 瞬間ずんと重たくなる真っ赤な身体。
 ごろりとティアナの腕から転がり落ちた。



 山茶花は、もう、微動だにすらしなかった。



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