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 有間、加代、山茶花。
 邪眼一族は彼女らのことをまとめて『邪眼の雪月花』と表した。
 他にも邪眼の子供はいたが、彼らと差別化している訳ではない。ただその中でいつも一緒にいる三人の娘の髪の色が、偶然にもそれぞれ雪、月、花に喩(たと)えられたのだ。


 雪月花。
 古より邪眼一族に伝わる歌がある。
 邪眼ならば誰もが知り、誰もが歌うもの。
 されども、その歌には別なる登場人物が歌詞に隠されて三人在るとは、もう伝えられてはいなかった。

 奇しくも、歌詞に並ぶ雪月花は彼女らと同じ髪の色をした三人の邪眼の少年達。
 それを織り交ぜれば、この歌詞はまた別の物語と変わる。

 雪女と人間の男の悲恋は。雪山に潜んで暮らしていた邪眼の娘と、邪眼と敵対関係にあった男を結びつけた、愚かな雪月花の過ちに。

 邪眼の娘と人間の男を結びつけた為に、邪眼一族と人間達の争いは激化する。
 邪眼の娘が仲間を誑かしたのだと怒り狂い、娘を火炙りにして殺してしまう。
 男は悲嘆に暮れ気が狂い、娘を殺した同族を殺して回り、妖化した。その後に、とある姫神の手により湖の底に封印された。

 激化した邪眼と人間との戦いのさなか、雪月花は事態の鎮静に奔走する。それが、娘と男に出来る罪滅ぼしであった。
 されども、月は毒霧に呑まれ、花は剣の嵐に呑まれ、雪を残して息絶える。

 誰よりも親しかった親友達に残された雪は狂人となった。凶行に走る前に、僅かに残った善の心に引きずられ、その身を一本の桃の木に同化させた。
 妖樹と化した桃の木は約一年、周囲に恨みの毒を放ち、生きとし生ける者を全て殺し尽くした。


 どの史書からも除外されたその物語は、現在は風化。誰も知らぬ。

 もしも邪眼の誰かがこの物語を知っていたならば、誰も彼女らを『邪眼の雪月花』などとは呼ばなかっただろう。三人を無理矢理にでも引き離したかもしれない。

 しかし畢竟(ひっきょう)、三人は古の雪月花と同じく、姉妹同然の強い絆を持った。

 人間との争いの中で花が死に、月が死に――――再び蘇った花は、今度は雪の手に掛かる。

 雪月花になぞらえられた三人の娘は、翻弄する状況こそ違えども、雪の心を苛(さいな)んでいった。

 このまま似るというのなら、この雪もまた心を病み、何かしらの災厄を生むのだろう。

 そんな雪を、暁の神は利用する。
 記憶に無い古の雪月花に境遇が似ていると気付いた上で、雪を《試す》――――……。



‡‡‡




「アリマ!!」


 叫んだ瞬間、アルフレートは違うと心の中で己の言葉を否定する。
 崩れ落ちる山茶花を抱き留め、丁寧に寝かせる白銀の髪を持つ邪眼一族の娘は、有間ではない。


 狩間だ。


 ゆっくりと面を上げた彼女の双眸は黄色。透き通り、金色にも見える。
 有間の目は紫だ。
 黄色の瞳は、もう一人の人格、狩間の証。
 狩間は無表情に山茶花の身体から長巻を引き抜き後方へ投げつけた。その先にいたサチェグは狼狽した様子で身を捩(よじ)って回避した。

 そして、悪びれも無く告げるのだ。


「……悪いな、有間は殺したよ」

「何……?」

「有間じゃもう、ウチらの思うように動きゃしねえ。っつーことで今からウチが有間だ。よろしく、どうも」


 サチェグの足下で錫が吠える。全身の毛を逆立てて身体を大きく見せ威嚇する。主人の異変を敏感に感じ取っているのだ。

 アルフレートは狩間を見据え、双剣に手をやった。

 すると、狩間は苦笑混じりに両手を挙げる。


「おいおい。そう殺気立つなって。お前らには何の危害も加えねえよ。ウチはただシナリオ通りに進めたいだけだ。お前らはちゃんと無事にファザーンに帰してやる。……そこの、サチェグ以外はな」


 サチェグにやる視線は冷たく、鋭い。サチェグに強い敵対心を持っていた。

 ティアナは狩間に害意が無いと判断すると、素早く身を起こして山茶花のもとへ駆けつけた。身体を起こし、頬に手を添える。何度も何度も名前を呼んだ。


「サザンカ! サザンカ、しっかりして……!!」


 何の為にここに来たの!
 アリマに会いに来たんでしょう?
 折角イサさんに傷を癒してもらったのに。
 カルマの手で死んでしまって良いの!?
 山茶花は苦しげに、浅い呼吸を繰り返している。まだ、辛うじて生きている。だがそれも時間の問題だ。

 ティアナは血が付くのも構わずに山茶花の身体を揺すった。必死に、必死に彼女の命を繋ぎ止めようとした。

 そんなティアナに、狩間は笑みを浮かべたかまま冷酷に言い捨てる。


「本当ならそれも死んでいた筈なのだ。だのに、サチェグが介入した為にディルクと共に死なずに……己を取り戻しやがった」

「……っどうしてそんなに、終焉に拘(こだわ)るの?」


 狩間は、ふ、と微笑する。


「光の男神と闇の女神を――――我らの両親を、幸せにする為だ」

「両親を、幸せに……?」

「……ああ、そうか。お前らはウチが何なのか、知らないんだったか。ディルクは覚えているだろう? この目の色に見覚えがある筈だ」


 ディルクを見やり、狩間は首を傾けてみせる。

 視線を向けられたディルクは片目を細め、やおら頷いた。


「……暁だな」

「アカ、ツキ……?」

「夕暮れちゃんの対だよ。遙か昔、邪眼一族は夕暮れちゃんと共に生まれ、夕暮れちゃんと、その番(つがい)になった暁の君によって邪眼が授けられた。その管理の中で、混血の膨大した力を制御する為に暁は混血児に自分の魂の一部を混ぜるんだ。それが、時を経て別人格を形成する。今出ているカルマという人格は、邪眼が持つ力の親の一部なんだよ」


 サチェグが説明を挟む。

 狩間はうざったそうにサチェグを睨めつけた。しかし何も言わずに、ティアナを見下ろした。


「……そういうことだ。ウチらは、両親の為に動いている。ヒノモトの人間も光の男神の子供だ。だが、贅沢に甘え堕落した果てに闇の女神に方向違いの嫉妬を抱き貶めた。女神の心を苛み、兄弟も同じ邪眼すら排他せんとし、現在のヒノモトを形成した罪は重い。女神の夢の中で、光の人間達は制裁を受け、全て滅ぼされる。……そして、ヒノモト以上により良い国を、女神と男神が再び作り上げるのさ。それが、一番良い形なんだ」


 長い間、女神は苦しんだ。夢を見たことで己を責め、しかし光の人間達の心無き澱んだ思いの為に傷ついたその身には夢を止める力ももはや残っていないと深く嘆き――――安らぎを求めても光の男神は傍には行けぬ。
 永き苦痛に涙し続けた母を、恋い焦がれる父に会わせ、そしてその原因の一切を取り除く。そして、もう一度ヒノモトをやり直す。
 それが、我らの役目だ。
 狩間は胸を張り、そう言う。


「そんな……どうして回避しようとしないの?」

「出来る筈がない。母の夢を、子の我らが覆すことは出来ねえんだ」


 神々の序列は絶対だ。
 母の夢を子が覆すなど――――到底許されぬ。
 ティアナ達も然り。
 彼らにも変えられない。そうでなければならいのだ。
 変えてはならないからこそ、危険因子のサチェグは排除せねばならない。
 狩間は肩をすくめ、滝を見上げた。


「さて……遅れてしまったが、そろそろ、時が来るか」

「時だと?」

「もうこの国は死者と生者が同時に存在出来るまでに澱んだ。太極変動がじきに完成する。女神と男神が再会するその時に、ウチは有間として男神に光の人間が歪めたヒノモトの滅びを願うよ」


 そして、女神も男神も救われる。
 今まで傲慢な光の人間に殺された邪眼の者達も、報われる。
 そう、嬉しげに狩間は語る。ゆっくりと、湖の方へと進む。

 サチェグも、悔しげだ。有間の身体だから、有間の力を制御する人格だから、危害を加えられない。ただ、錫と共に傍観するだけだ。

 このままでは駄目――――そう思って動こうとしたティアナは、しかし、意思に反してぴくりともしない身体にぎょっとした。


「え……」

「無理ぞ」


 不意に、女性の声。

 狩間に、そっと寄り添う影があった。
 いつの間にこんなに近付いていたのだろう。
 赤目に黒髪の女が、疲れ切った顔で狩間の腕に抱きついた。

 彼女こそが、夕暮れの君。

 狩間は彼女の頭を撫で、目を細めた。

 待って……アリマ。
 カルマじゃない。アリマ、出てきて。
 このままじゃあ……本当にヒノモトが滅んでしまう。

 終焉を迎えてしまう!

 ティアナは必死に、有間に向けて心の中から叫ぶ。

 だが、届かない。



 有間は、狩間が殺したのだ。



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