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「――――なるほど。そういう訳だったのか」

「そ、そう、なの……!!」

「えへへ、ごめんねぇ、ティアナさん」


 どうして私だけが疲れてるの!
 悠久の滝の側、雪の上にへたり込んで息を整えるティアナは、けろりとして笑顔で謝罪してくる山茶花と、事態を完全に把握して苦笑混じりのアルフレートを見上げた。

 周囲には歪(いびつ)な獣達が息絶えている。全てアルフレートが倒した妖達だ。

 何故聖域の中心に妖達がいるのか。
 それは、山茶花が追われていた妖化した神に起因する。
 強大な妖気によって一時的に聖域の空気が汚され、妖達が侵入してきたのだ。
 真っ先に襲われて助けを呼んだのだけれど、アルフレートに届いて本当に良かった。
 暫くそのままでいると、山茶花が背中を撫でてくれた。


「本当にごめんね。私、昔っから拗音も上手く言えないし、物覚えも悪くって……あ、拗音はね、や行はちゃんと言えるんだよ」

「拗音……いや、あ行も言えていたように記憶しているのだが。先日、確かにフィナーレと言っていた」


 山茶花はきょとんと首を傾け、記憶を手繰る。


「……」

「……」

「……」

「……」

「……あ、そうか! 私言えてたんだ! 凄い!」

「おい、本当にこの女はあの時の化け物と同一人物なのか」


 ディルクが五月蠅そうに言うのに、ティアナは小さく頷く。


「え、えっと……同一人物と言うよりは、元々のサザンカがこっち……なんだと思います」


 ディルクは口角をひきつらせマイペースを極める山茶花を忌々しそうに見やる。


「ええと……ヒナーレ、ハザーン……あれ? 言えなくなっちゃってる……あれれ?」

「……この間抜けに僕は……」

「……あはは」


 言葉も無い。
 されど、アルフレートやディルクとは距離を取っているところを見ると、彼らに対しても罪悪感はあるようだ。ティアナが立ち上がると、彼女からもまた距離を取った。
 ティアナはもう敵だとは思っていないけれど、山茶花は敵と警戒、或いは攻撃されてもおかしくないと自覚している。だから、自分から親しくしようとはしない。……マイペースさで全てが台無しになっているようにも思えるが、そこはさすがに本人は無自覚か。

 ティアナは山茶花の手を掴んだ。


「アリマに会う前にサチェグさんに会いましょう。アルフレート、サチェグさんは何処に行ったの?」

「アリマと共にあちらに――――オレも共に行くか?」

「ううん。大丈夫。それに、もしかしたら、また妖が出てくるかもしれないから、ディルク殿下を守らないと。イサさんが戻ってきたらサチェグさんとアリマのところに行ったって伝えてくれる?」

「分かった。では、気を付けて」


 ティアナは頷き、山茶花に笑いかける。

 しかし、またここで山茶花がマイペースを発揮する。


「イサ……って誰?」

「え……」

「……気付いていないのか?」

「?」


 ……そう言えば、サザンカ、イサさんをまだハザマさんって呼んでたわね。
 でも、私普通にイサさんって呼んでたと思うんだけど。
 周囲を見渡して『イサ』を探す山茶花に、呆れを通り越して笑いが出てしまう。
 アルフレートに視線をやると彼も苦笑混じりにティアナを見返した。

 自分達の見てきた山茶花とは、あまりに違う山茶花に、だからこそ思う。
 今の彼女で生きていたなら、どんなに良かっただろうか。
 有間も、きっとこんな彼女が放っておけずにあれこれ叱りながら世話を焼いていただろう。ちょっと妬けちゃうけど、その中に自分もいたらカトライアの生活も、もっと楽しかったかもしれないと思ってしまう。

 反魂は完成している。ならばこのまま生きていても良いんじゃないか――――浮かんだ考えは、即座に振り払った。
 それは駄目なのよね。
 山茶花も死ぬべきだと分かっている。間違った存在であると自覚している。
 余所者のティアナは何も言わずにおくべきなのだ、そう言い聞かせた。


「イサさんっていうのは、ハザマさんの本当の名前なの」

「えっ、そうなの?」

「ええ。本当のハザマさんはもう亡くなっていて、親友だったイサさんが代わりにハザマさんの名前を名乗って、実の父親としてハザマさんとその奥さんの忘れ形見のアリマを育てていたの」


 山茶花はほうと吐息を漏らしながら数度頷いた。


「そうだったんだ。だから、二人とも似てなかったんだね」

「そうなの。だから、」

「でも、私は狭間さんって呼ぶよ。多分、呼んで欲しくないだろうし」


 にっこりと、彼女は言う。
 ティアナは彼女の笑顔に、胸が痛む。

 だから、あなたがそんな風に距離を取ろうとしなくたって……諦めなくたって良いのに。


「よぉし、行こっか! チアナ……じゃなかった、チ……ティアナさん!」

「あ……ええ」


 ティアナはぎこちない笑みを返し、背中を押してくる山茶花に従う。

 しかし、


「……待ってくれ」


 アルフレートが、呼び止めたのだ。


「あ……アルフレート?」

「サザンカ。オレから一つ、良いだろうか?」

「うん。何ですか?」


 きょとんと首を傾ける。

 アルフレートは山茶花を見据え、


「アリマは、まだお前のことを大事な友人だと思っている。だから……アリマに対してだけは、そんな風に距離を取らないで良い。友人だと思いたいなら、それで構わないんだ。サザンカが無理をする必要は何処にも無い」

「アルフレートさ――――」


――――刹那である。
 山茶花ははっと表情を強ばらせティアナを突き飛ばした。

 倒れ込んだティアナは目の前を駆け抜ける影に悲鳴を上げる。


「逃げろサザンカ!!」


 聞こえたのはアルフレートの声だったのか、サチェグの声だったのか――――そのどちらもだったのか。

 白銀が赤に混じり、触れ合う。

 二人の足下で舞い上がったのは、雪。


「あ……ぁ……」

「サザンカ!!」

「……」


 ティアナは両手で口を覆う。目を剥き、山茶花と、もう一人の少女を愕然と見上げる。
 どうして、何故、何で。
 何がどうなってこうなってしまったのか。
 座り込んだままただただ混乱した。眼前の光景を、有り得ないと信じていた現実を受け入れられずにいる。

 山茶花の背中から突き出した生々しい赤をまとう禍々しい銀。そこから落ちる温かい真っ赤な血が白い雪に幾つもの赤い穴を穿(うが)った。
 山茶花は己にぴったりと密着する白銀を見下ろした。こぼれる吐息は震えていた。


「……嗚呼」


 遅かった。
 私、間に合わなかったんだ。

 白銀から覗く、丸い双眼。


 そこに見慣れた色は無く。



 透き通る黄色が二つ、酷薄な笑みに歪んでいた。



 そんな笑顔、有間ちゃんには似合わないのに。
 山茶花は、思う。





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