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 自分勝手だという思いを拭えぬまま、マティアス達もそう願っているからと理由を付けて鯨の厚意に甘えた。
 鯨は苦笑混じりに、ティアナの怖々とした《願い》に頷き、立ち上がる。一瞬躊躇った後、ティアナの頭をぎこちなく撫でた。
 彼なりの慰めのようだ。
 ティアナはくすりと笑って、謝辞をかけた。

 鯨はそれに細く吐息を漏らし、一歩退がって距離を取る。


――――だが次の瞬間身体を反転させた。


 身構え、俄(にわか)に殺気立つ。
 敵だ。妖、ではないだろう。ここはまだ滝の聖域内だ。出る直前に鯨に止められ、安全なここまで連れ戻されたのだから。
 ティアナは周囲を警戒しつつ、鯨の邪魔にならないように後退する。

 退がり過ぎた彼女が木の幹に背中をぶつけて軽く驚いたのと、鯨の前に広がる雪景色に鮮やかな色が飛び込んだのは同時だった。


「う……ぁ……っ」


 まろびながら、それでも必死に走って、雪の中に倒れる――――赤。


「サ、サザンカ……?」


 満身創痍の、山茶花だった。

 鯨は片手に真っ黒な渦巻く球体を生み出し、山茶花に敵意を向け続ける。しかし、なかなか攻撃に移ろうとはしなかった。

 ティアナは山茶花を見つめ――――ほんの僅かに、違和感を覚えた。
 今まで見てきた山茶花とは、雰囲気が違うような気がしたのだ。
 ティアナが一歩前に出ると鯨が諫めるように肩越しに睨んでくる。

 感じたことだけでも伝えようと、鯨を呼んだ。


「イサさん……何だか、」

「反魂が完成している」


 違和感はその為だ。
 鯨は短くティアナの言葉に答えた。

 ティアナはえっとなって山茶花を見やった。


「反魂が、完成してる……? え、今まで完成してなかったってことなんですか?」

「今、山茶花の状態を見て分かった」


 俺には、全く分からなかった。
 忌々しげに、彼は言う。鯨であっても、反魂については不明な点が多いのだ。

 ティアナは山茶花を見、唇を引き結ぶ。
 完成したということは……もしかして本当の彼女に戻れたってことなんじゃないだろうか。
 今なら、彼女が反魂に応じた本当の理由が分かるのでは――――。

 ティアナは意を決して駆け出した。鯨の脇を通り過ぎ、伸ばされた鯨の手を間一髪避けて山茶花の側に座り込む。伏した山茶花の身体を助け起こした。


「しっかりして!」

「あ……?」


 仰向けにすると、山茶花がうっすらと目を開けて、ティアナを捉えた。
 ティアナが何度か呼びかけると、はっとして飛び起きる。が、身体を負傷しているのか自分の身体を抱き締めて呻いた。


「だ、大丈夫!?」

「……っ大丈夫、私なら……大丈夫ですから……」


 声の質も何だか違う。
 今のこの子からは、危険という感じが全然しないわ。
 むしろ、何かに必死のように思えて、こちらの胸が締め付けられるような錯覚に襲われる。彼女の身に、一体何が起こったのか。

 とにかく手当てをしないと!!
 鯨を呼ぶと、彼は呆れたような苛立っているような、この後小言は免れないだろう、そんな表情で背後に立っていた。
 これ見よがしに嘆息しティアナの隣に片膝をつき、山茶花の身体に手を翳(かざ)す。

 すると、掌から生じた白い光が膨れ上がり、雨のように山茶花の身体に降り注ぐ。
 暖かな光の雨を受けて暫く、山茶花の顔から苦痛の色が消えていく。

 光が収まれば山茶花はティアナの手を借りて立ち上がり、周囲を見渡した。

 ……やっぱり、怖い気がしない。
 山茶花の様子を眺めていると、鯨がティアナの腕を引いて背中に庇う。


「何が遭った」


 キツく問いかける。

 それに、山茶花ははっとした様子だ。


「狭間さん……有間ちゃんは、今何処に」

「先に問うたのはこちらだ」

「あ……ごめんなさい」


 しゅん、と山茶花は肩も視線も落とす。
 しかし何と言おうかと考え込む素振りを見せ、時間をかけていると鯨が細く吐息を漏らした。


「……少しは賢くなっているかと思ったが」

「う……」

「自我が戻ったのか? それはお前の反魂が完全になった故か」


 助け船を出され、山茶花はほっとして表情を弛めた。小さく頷く。


「……私、花霞姉妹を、食べちゃったの。それで不完全のまま放置された身体が安定して、ちゃんと私に元に戻れました。えと……ご迷惑をかけちゃって、本当に、ごめんなさい……」

「お前を反魂で蘇らせたのは夕暮れだろうから、不完全だったのは儀式の最中に何か問題が生じたからではあるまい」

「あ、うん……じゃなくて、はい、そうなんです。私が反魂に答えた理由はあの人にとって都合が悪いことだったみたいで、あの人の意に添うようにって、私を中途半端に壊す為に敢えて不完全にしていたんです。その通りに、私は身体を維持する為に人間も妖も食べて、壊れてしまっていって……ええと、花霞姉妹の力を食べた時、私の中の妖気が、浄化……っていうのは違うんだけど、こう、……ぱきぃっと、すぅぅっと私の中から消えて……あ、あれ? 消えたんだっけ? あれ? ちょ、ちょっと待って今思い出すから……!」


 途中から頭を抱え出す。

 ……自然だ。
 こっちの方が、とても自然な山茶花だ。
 こんな子だったんだと、鯨の後ろからティアナは山茶花が慌てて頭を回転させる様を新鮮な気持ちで見ていた。
 同時に、安堵する。
 サザンカ……戻れたんだ。
 あんなおぞましい姿にならないのだと思うと、心から良かったと感じる――――なんて、さすがに安易な思考だろうか。今まで、あんなにも蹂躙されておきながら。
 だけども、はいそうですかとすんなりと受け入れられた。
 打って変わって綿菓子みたいになった山茶花の雰囲気が、そうさせているのかもしれない。

 鯨も取り敢えずは、山茶花に差し迫るような危険は無いと判断したみたいだ。うんうん唸る山茶花の頭を撫でてやった。


「それで、ここに来たという訳か。……無理に敬語を使わなくて良い。それと、別にその情報は要らん。どうせ、安定した直後でまだ記憶も曖昧な部分が多いんだろう。よく覚えていないのなら余計な情報を無理に説明するな。花霞姉妹の力でお前の反魂が完成したと聞けば、理由も大体は把握出来る」

「う、うん……良かった、狭間さんに先に会えて」


 やっぱり狭間さんは頭が良いから、私の言いたいことを察してくれるね。
 ふんわりと、気が抜けたように微笑む。

 そして、その笑みを浮かべたまま、言うのだ。


「あのね。狭間さん。私、しなくちゃいけないことがあるの。お願い、今すぐに有間ちゃんに会わせて。それでね……私がやるべきことを終えたら――――」


 狭間さんが私を殺して。



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