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つまらない嫉妬だ。
本当は分かってるくせに。
有間の言葉につい、かっとなってしまった。
ティアナは安全の為についてきてくれた鯨を後方に、岩に腰掛けて何度目かの重い溜息を漏らした。
肺の中の全ての空気を吐き出しても、どんよりと沈んだ胸中はちっとも軽くならない。自己嫌悪で全身が鉛のようだった。
本当に、つまらない嫉妬だったのだ。
山茶花は有間の幼馴染み。しかも、目の前で死んでしまった娘だ。
有間にとって、何よりも心に刻みつけられていることだろう。だから蘇らされた山茶花を殺そうとしていたのだし、変わり果てた山茶花の姿を見て、茫然自失になっていた。
分かっている。
有間のことを、ティアナなりに分かっているつもりだった。
だのに――――。
『うち、多分ティアナよりも山茶花の方が大事なんだと思う。ティアナよりも、そっちを優先して考えてるから』
彼女の言葉で、かっとなってしまったのだった。
そこにはティアナを食い下がらせずに安全なファザーンに戻す為の、有間の気遣いの嘘が含まれていたのだと、今更分かった。
だがもう遅い。
我が儘を言い捨てて、逃げてしまった。
そしてサチェグ達に自分を肯定して欲しいなんて浅ましい考えをやんわりと否定されて、また逃げた。
私、なんて馬鹿なことをしているの。
こんな状況で、ほとほと呆れかえる。
有間の心を分かっていたつもりで、本当は分かっていなかったんだ、私は。
必ず一緒に帰って、ずっと笑ったりして同じ時間を過ごしていくんだって、ティアナは思い込んでいた。
そしてそれを、無意識のうちに有間に強要していたのだ。
アルフレート以上に役に立ってもいないのに、なんて図々しい。
有間はティアナが必ず皆で帰るのだと思い込んでいる間にも、山茶花のことで色んなことを考えて、悩んでいたのだ。
加えて、山茶花の言葉だ。
有間がヒノモトの終焉を決める。
山茶花はその為だけに蘇らされたのだとしたら――――有間がそれに責任と怒りを感じない筈がない。
有間がティアナの為に邪眼を殺してまでザルディーネについて行こうとしたのを、もう忘れてしまったのか。
ティアナがゲルダから呪いを受けた時、狩間に変わる程に怒り狂ったのを、もう忘れてしまったのか。
有間は己を淡泊だと、無情だと言いつつ、友人の為に感情を動かしてくれたではないか。色々と助けてくれたではないか。
それがどうして、幼馴染みで目の前で死んでしまった山茶花に向けられないなんて思い上がったのか。
自分が有間の一番の友達なんて、間違って思っていたのか。
最低。
最低。
……本当に最低。
私の側にいるのが当たり前だと思っていたから、それが正しいんだと思っていたから、有間にヒノモトに残るとはっきりと告げられた時、酷く困惑した。周章狼狽した。
それは間違っていると、傲慢にもそう思ってしまった。
謝らないといけない。
謝って、ちゃんと有間の気持ちを聞かないと、そして、私自身それを受け入れないと駄目。
分かっているけれど、自己嫌悪が身体を重くしてなかなか腰を上げられない。
有間の父代わりを勤めていた鯨は黙ってティアナの側にいてくれた。安全を考えて、周囲に気を配って、放っておいてくれる。
愚かな自分を鯨が責めてこないのが、この場では小さな救いだった。
ティアナは深呼吸を繰り返す。
謝らないと、謝らないと、謝らないと……。
自分に言い聞かせ、勇気づけるように大きく頷く。
立ち上がると、そこで初めて鯨が口を開いた。
「ティアナ殿」
「ひゃっ……あっ、は、はい」
「……お教えしたいことがある」
驚き振り返ったティアナの、有間に対する愚考か単独行動を怒るかと思いきや、鯨は無表情に言う。
ティアナはちょっとだけ拍子抜けして、無意識に入れてしまった力を身体から抜いた。
しかし、鯨が無表情だからだろう、どうにも不安を感じてしまう。
「な、何ですか……?」
「身構えることではない。山茶花と加代。この二人は有間と特別仲が良かった。親友でもあり、姉妹でもあり、よく俺が三人まとめて面倒を見て、叱りつけていた。討伐軍に追われている間、邪眼の大人はその三人を含め無邪気さを忘れず笑いながら遊び回る子供達の姿を見守ることは、疲労と心労が募るばかりの苦境の中のささやかな幸せだった」
「……そうなんですか」
「山茶花や加代と遊んでいた頃は、有間もまだ幸せだった。その記憶があったからこそ、ティアナ殿とも上手くやれていたのだろう。そうでなければ、ティアナ殿が有間の為にここまで来ることも、今のようになることも無かった」
鯨の瞳が、段々と柔らかみを帯びてくる。
ティアナはその目を見上げながら、眦を下げた。鯨の言葉は遠回しに自分を肯定してくれてもいる。
けれど、それ以上に、有間の思いを理解してくれと、ティアナに願っているのだった。
「イサさん……」
「そして、有間もティアナ殿の為に必死になることも無かった」
有間にとって、山茶花や加代、ティアナ殿にどれ程の違いも差も無い。
鯨は、断じる。
けれどもすぐに、僅かに視線を逸らして、
「……などと、俺が言っても、さほどの信憑性も無いが」
「あ、いえ。そんなことは全然……」
だけど、本当にそんなことがあるのだろうか。
有間にとって、私も、サザンカ達も、変わらないなんて――――。
「暫し会えなくなるだけだと思えば良い。ヒノモトがどうなるのかは俺にも分からぬが、有間のように悪い方向にのみ考えている訳ではない。一生離ればなれになるとも限らぬ。ただ住む場所を違えるだけやもしれぬと思えば、気も軽い。もし、そうならぬ時は――――」
それを想定したことを、今ここで、ティアナ殿が俺に命じれば良い。
ティアナは瞠目した。どうしてそうなるのか、戸惑っていると、
「ティアナ殿の発する言葉は、俺にとっては陛下の言葉も同然。正妃となる方の命ならば、俺も従おう」
ティアナと有間の為に、そう言っているのだ。
きっと、彼なりに、加代と山茶花との友情と同じくらい、有間とティアナの仲を大切に思ってくれているから。
彼の顔を見ていて、思い出した。
母のいた地下室を前に、闇二胡を奏でていた彼の姿を。
泣きそうなのを懸命に堪えているのだと、そうティアナに思わせた頑なな姿が。
私のことを簡単に解剖出来るなんて言って、こうして気を遣ってくれている。
やっぱり、あなたはちゃんとした人です。
化け物なんかじゃない。
お師匠様の言う通り、ちゃんと私達と同じ人になっているじゃないですか。
鯨の気遣いに、ティアナは唇を引き結んだ。胸を押さえ、開きそうになる口を必死に止める。だってそれは、我が儘だもの。
けれど、鯨は後押しをするように、
「あなたのその願いは、今やあなただけのものではない筈だ」
「イサ、さん……」
思い出す。
……ああ、そうか。
有間や鯨に帰れと言ったのは、私だけじゃなかった。
マティアスもそうだった。それに、きっとエリクやルシアも、その場にいたらきっと戻ってこいと言葉をかける筈だ。
鯨の言う通り、ただ住む場所が変わっただけになれば、いつでも、会いに行けるのではないだろうか。
もしもそれが無理だと分かったって……イサさんやサチェグなら、きっと――――。
単純だと、自分でも思う。
しかもマティアス達を持ち出して自分の我が儘を正当化している。
されど鯨の言葉は優しく、ティアナの心を簡単に引き寄せてしまうのだ。
自分に情は無いのだと断じる鯨が、有間とティアナの仲を、守ろうとしてくれているのが分かるから。
「――――お願い……しても良いんですか? 本当に」
確かめるように、問いかける。声は震えていた。
鯨は頷き、ティアナの前に移動し、片膝をついた。マティアスの正妃を見上げ、
「何なりと」
「――――」
ありがとうございます。
……そして、ごめんなさい。
絞り出した声と共に、心の中で、謝罪する。
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