斬った。
斬った。
斬った、斬った、斬った。
斬 ら れ た!
「ふふふ……はは、は――――あっははははははははははは!」
斬られた、斬られた!
彼女が切ったのだ。
彼女が――――関羽が、双子の姉を!
哄笑が止まらない。何がおかしいのか分からない。分からないけれどおかしくて仕方がない。洪水のように気味の悪い笑声が大きく開けた口から飛び出した。
目の前に双子の妹がいる。○○に臆して数歩後退する。
何故怯えるの?
何が怖いの?
「○○、傷を!」
「ねえ、どうして気付かなかったの?」
後ろから肩を掴んで引き寄せる曹操を黙殺し、異様なまでに口角をつり上げて関羽に問いかける。
何故気付かなかったのか。
何故そんなに怖がるのか。
何故、自分を斬れたのか。
矢継ぎ早にぶつけられる問いに、関羽はただただ困惑して黒の瞳を揺らして○○を見つめる。
「な、何、を――――」
「……関羽。ここまで言っても気付かないんだね。……お姉さんは悲しいよ」
「え?」
関羽は瞠目し、怪訝そうに眉根を寄せた。
それでも気付かないんだ。
いや。もしかしたら双子の姉がいたことも忘れてしまったのかな。
そこまで、あたしを排他してしまったんだね。あたしの双子の妹も、あたしを育てたあの男も――――猫族も。
再び、哄笑が飛び出した。
嗚呼、おかしい。
おかしくておかしくてたまらない!
「な、何は楽しいの?」
「教えてあげよう。あたしは元々猫族の村にいたんだよ」
「え? ……じゃ、じゃあ、あなたも、猫族……?」
そこで、曹操が○○を咎めるように鋭く呼ぶ。
けれども○○は嗤(わら)いに震えた声で話を続ける。
「いいや、混血。あたしにはね、双子の妹がいたんだ。母親の幼なじみの男に育てられていた。けれど、曹操に拐かされて以来二度と猫族のもとに戻ることは無かった。そして今、あたしはその双子の妹と対峙している」
ここまで言えば、馬鹿でも分かる。だってとっても分かりやすいもの。
だから――――関羽はざっと青ざめた。
唇を戦慄(わなな)かせて○○を見つめてくる。
楽しい。
愉しい。
何が楽しいの?
何が愉しいの?
分からない。
でも、嗤いたいんだよね。
「君が今殺そうとしたのは、躊躇い無く斬りつけたのは、君のたった一人の血の繋がった双子の姉なんだよ。関羽」
けたけたと笑声を上げれば、関羽は数歩後退した。首を左右に降って拒絶したいのは双子の姉を殺しかけたと言う事実か、それとも○○の存在そのものか。
「惜しかったねえ! もう少しで思い出すことも無く双子の姉を殺してしまえたのに! 敵の家臣だと信じ切ったまま殺せたのに! その方が、幸せだったよねぇ? 関羽」
両手を広げて彼女が付けた深い斬り傷を見せつければ、関羽は偃月刀を落とした。
彼女に背を向けて、○○は曹操に向き直った。
痛ましげな顔に、優しく穏やかに微笑んでみせる。
「ほうら、曹操。これであたしは完全に君のものだ。だって猫族も、関羽も、張世平も、みぃんなあたしを忘れてしまっている。その上で、あたしを殺そうとした。だからもうあたしは猫族じゃないよ。あたしの言った通りでしょ?」
だから永久に君の傍を離れない。
君が望むのなら今ここで関羽を殺してあげる。
君が望むのなら今ここで猫族全てを殺してあげる。
あたしは君の望むままに生きよう。
だから。
だから君はあたしを捨てないで。
猫族みたいに、忘れてしまわないで。
君だけは。
君だけは、《あたし》を見て欲しい。
言外の願いに曹操は舌打ちして○○の身体を抱き上げた。
「戻るぞ。呂布が兌州を攻めているのならば、早急に戻らねば民が危うい」
「御意のままに」
曹操の胸に顔をすり寄せて、○○は言う。
○○永遠に求めるのはこの温もりだけだ。
もう、猫族なんか要らない。双子の妹なんて要らない。関羽と○○は、もう双子の姉妹ではない。赤の他人、まったき敵なのだ。
曹操が走り出せば、後ろから関羽が○○を呼ぶ。
だが○○の感情を僅かたりとも波立たせることは無かった。
何故なら――――。
それは、○○の名前ではなかったから。
昔に捨てられた名前だったから。
○○が覚えている筈もなかったのだ。
‡‡‡
怪我を治療した直後に、○○は曹操に抱かれた。
犯すように乱暴に掻き乱された身体は当然塞がれた傷が開き、曹操に起きたまま縫合し直された。
その間、○○は関羽の最後に見た顔を思い出して、笑いが止まらなかった。
「ねえ、曹操。あれって誰のことなんだろうね。関羽は別の誰かを間違えているのかな。あれ、双子の姉だって分からなかったのか? あの子頭悪くないと思うんだけど」
手際良く包帯を巻いていく曹操に上機嫌に話しかける○○を、曹操は少しだけ気味が悪そうに見上げた。
それを気にした風も無く、話を続ける。
愉しい。
関羽が自分を姉と気付かずに殺そうとしたのが愉しい。
これで○○と猫族との関係は確実なものとなった。
自分はもう、猫族ではない。
「もう、曹操の傍から離れないよ」
曹操の頬を両手で挟み込み、○○は鼻先に口付ける。
するとその片手を取って曹操はその指を噛む。少し痛いくらいだ。
「食べないでくれよ。指が無くなってしまったら戦えない」
「……」
指の腹を舌で舐め上げられてぞくりと悪寒。
嗚呼、そんなことをされたらまた欲しくなってしまうじゃないか。
細く吐息をこぼすと、曹操は今度は吸い付いて指を放し、
○○を押し倒した。
首筋を撫でる彼に、○○は笑った。
「……あまり、十三支の話はするな。気分が悪い」
「いつか戻るかもしれないって不安になるの? 馬鹿だね、君は。さっきからあたしは君から離れないと言っているじゃないか。君は頭が良かっただろう。それとも、あたしのことは信用出来ないのかな。君はそんな年になっても我が儘な子供だからね」
けれどそれを向けるのもあたしだけ。
関羽は絶対に君のものにはならない。……いや、そんなこと、あたしがさせる訳がない。
あたしは曹操のものであるように、曹操もあたしのものだ。
絶対に――――絶対に、曹操の傍から離れないしあたしの傍から離れさせない。
こんな形の愛を恋とは言わない。
愛は愛でも綺麗な愛じゃない。
そんなことは分かっている。あたしがどれだけ汚いかも自覚してる。
だけどそれでも良いんだ。
あたしがあたしでいる為に、あたしなりに彼を支える為に、あたしは彼を愛する。
そう、決めたんだ。
首筋に噛みついてきた彼に○○はくすくすと笑った。
「また、包帯が無駄になってしまうよ。君が折角手当してくれたのに」
咎めるように言いつつも、○○は嬉しげで。
再び訪れた波にうっとりと歌うように言うのだ。
「ねえ、曹操。君は馬鹿だね」
あたし達は、捨て猫同士だ。
お互いにしか、お互いを満たせないんだよ。
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