※ちょっと注意。



 張飛の双子の妹、○○は――――性格に《少々》難がある。
 それを抜かせば兄に劣らずとも武に長け、大局を見つめる慧眼は申し分ない。

 性格に付いた瑕(きず)が全てを台無しにしている……とは、蘇双の言である。

 本当に、戦闘に関しては兄よりも使えるのだ。以前虎牢関で暴走した張飛を笑顔で股間を渾身の力で蹴り上げ止めた功績もある。
 彼女は武将として有能だと世平にも言わしめた程の彼女の、唯一の、全ての価値を下げてしまう絶望的な欠点とは。


「関羽お姉ちゃん」

「……はい」

「……すっっごく虐めたい」

「止めてあげて。あと顔どうにかしなさい。曹操が変な目で見ているわ」


 頬を両手で挟んでぐにぐにと解すように揉んでやる。少し強めにしていたから、痛いと抗議された。だがこうでもしなければ彼女の弛み過ぎた顔は元には戻らない。
 張飛に代わって、この曹操軍で○○の面倒を見ている関羽は頭を悩ませている。

 ○○は、今は顔が不細工になっているけれど、その視線はまるで獲物を狙う虎の目だ。ある意味では、暴走した張飛よりももっと危険なのかもしれない。
 彼女の火傷しそうな程に熱く、槍のように真っ直ぐな視線は――――鍛錬に精を出す夏侯惇に注がれている。

 この時ばかりは、夏侯惇に心から同情する。


「○○、どうどう」

「ヒヒーン……ってあたしは馬か!!」

「いいえ、目だけで言うなら虎ね」

「え……」

「どうしてそこで頬を赤らめるの?」

「だって猫科の交」

「止めてそれ以上言わないで。あなたは女の子なのよ」


 卑猥なことを恥じらいも無く言ってのけてしまう○○の口を塞ぎ、関羽は深い溜息をついた。

 徐州の戦いで関羽は曹操に無理矢理に彼の軍へと組み込まれた。高く買っていた○○も、関羽と共に問答無用で連れて行かれた。その時は張飛の代わりに関羽を守るんだと可愛くも頼もしいことを言ってくれたのだけれども……。

 まさか、夏侯惇に惚れて表に出るとは思わなかった。


「○○」

「はあぁ……」

「○○」

「泣いたり血塗れだったりしたらすっごく綺麗だと思うの、夏侯惇さん」

「……わたしのこと、見えてる?」


 端的に言えば○○は《変態》なのだ。
 呂布とは少し類が違うが、彼女の趣向に酷似している。

 ○○という少女は、好きになった相手に対してとことん加虐的になる。相手の苦しむ顔、泣く顔、赤く染まった顔を妄想しては楽しむという、少々――――いやかなり難のある趣味をしているのだった。
 呂布と違って妄想で満足出来る理性があるのだけれど……妄想が妄想である分、いつでも何処でも出来てしまう。だから常のように顔が不気味に歪んでしまうのだ。
 兄ににこやかに痛いことをするのも、彼への愛故のことである。

 これが張飛と双子だと言うのだから、世の中何が起こるか分からない。ほぼ同じ環境で育っている筈だのに、兄と妹で果てしない差があるのだ。兄の張飛から心配されるくらいに、彼女の性癖は救いようが無いまでの地点まで到達している。

 ○○の将来の為にも、猫族で彼女の致命的な瑕については隠し通そうとしていたのだけれども、今回ばかりはそうもいかない。

 この曹操軍の中でも夏侯惇だけでなく周囲にバレてしまっていた。夏侯惇を守ろうとする曹操軍と夏侯惇に猛烈に攻めていく彼女との水面下の何気に激しい攻防は、非常に馬鹿らしいものである。

 夏侯惇も、○○に惚れられたのが運の尽きね。
 ○○の恋心はとても執念深い。きっと年単位で苦しめられるだろう。
 妹のように可愛がってきた○○の恋を応援したい気持ちはあるが……余所様の為には抑止力に徹した方が良いだろう。夏侯惇の為にも。

 夏侯惇と目が合った瞬間に走り出そうとした○○を即座に後ろから羽交い締めにし、関羽は鍛錬場を離れようと○○を引きずる。

 夏侯惇は……明らかに○○に対して怯えていた。



‡‡‡




 ○○は直情的だ。
 だが、その方向性が明らかに違う。行ってはならない方へと行っているのだ。
 たった一つの、しかし大きすぎる欠点を抜かせば、見目の良い天真爛漫な娘なのだけれども……。

 女性の苦手な夏侯惇と彼女は、確実に相性が悪いと関羽は思う。


「夏侯惇さん! 今度お食事行きませんか!? 大丈夫痺れ薬しか盛りませんから!」

「ふざけるな!! 誰が痺れ薬の入っていると分かって食うか!!」

「えっ、致死量以下の毒でも良いんですか!? やだ、嬉しい! 愛してます!! あたし一生あなたにまとわりつきますそれはもう岩に張り付く苔のように!!」

「止めろ!! 近付くな!」


 遠くで強烈な愛情表現をする変態から逃げ回る夏侯惇を眺め。関羽は眩暈を覚えた。
 この軍の中に一人しかいないことが、非常に疲れる。せめて世平がいてくれたなら、問答無用で○○を黙らせてくれるのに。
 こめかみを揉みつつ、そろそろ止めた方が良いかと足を踏み出した、その直後である。


「なあぁっ!!」

「うわあぁっ!」

「あっ」


 転んだ。

 先に躓いたのは○○だ。
 それに気付いて身体を反転させた夏侯惇に覆い被さるように倒れ込んだ。元々女でありながら張飛と同じ身長の彼女の身体を、さしもの夏侯惇も咄嗟には支えきれず、二人揃って後ろに倒れてしまった。

 関羽が慌てて駆け寄ると、○○が奇声を上げて起き上がり、逃げるように関羽に抱きついた。


「わっ、ちょ、何!? どうしたの、○○」


 背中を宥めるように叩きながら彼女の顔を見ると、なんと耳まで真っ赤だ。
 暴走中だった彼女が珍しく恥ずかしがっている。乙女らしく。
 こんな顔も出来るんだったっけ、と酷いことを思いながら、関羽は夏侯惇の様子も窺った。こちらは非常に分かり易かった。

 上体を起こした姿で、口を押さえている。○○以上に真っ赤な顔だ。

 ……ああ、成る程。
 《ぶつかって》しまったのね。

 だからあの○○もこんなに恥ずかしがっているのか。
 納得した。
 関羽は黙り込んでしがみつく○○の頭を按撫(あんぶ)し、今は乙女らしい彼女に苦笑を滲ませた。

――――が。


「……くしょう」

「え?」


 ぼそりと○○が何かを呟く。
 その地を這うが如く低い声音に不穏を感じ、関羽は彼女を離して顔を覗き込む。

 ○○は泣いていた。口を押さえてぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。
 ぎゅっと堅く目を瞑ってしゃくりあげる彼女に、関羽は夏侯惇と顔を見合わせて慌てた。


「○○! どうしたの? 何処か怪我をしたの? それともこんな形で夏侯惇と口付けたのが嫌だったの?」

「この変態がそれで泣くか!」

「あなたは黙ってて!」


 未だ顔赤くそわそわと落ち着かない夏侯惇にぴしゃりと怒鳴りつけて、関羽は○○に怪我が無いか、汚れを払ってやりながら視認した。だが、夏侯惇が下敷きになってくれたことが幸いして、怪我は一つも無かった。

 では、何を泣いているのか。


「……○○、どうしたの? どうして泣いているの?」


 嗚咽に跳ねる肩を撫で下ろしながら優しく問いかけると、○○は目を乱暴にこすりながら、


「……った」

「え?」


 ……夏侯惇さんの舌、噛めば良かった。
 そう言って、逃げるように駆け出した。


「あっ、○○! ちゃんと目元を冷やしておくのよ!」


 瞬く間に小さくなっていく○○の背中に向けて声を張り上げて、関羽は夏侯惇を瞥見(べっけん)する。

 ……意外ね。

 彼は未だ落ち着く気配を見せない。女性の苦手な彼なのだから、それも仕方のないことだろう。
 まさか、追いかけっこの最中に事故で接吻をするという事態に陥るとは、誰も予想していなかった。

 そんな彼を見て、関羽が意外に思ったのは――――。


「夏侯惇、あなたそんなに嫌がっていないでしょう、○○のこと」


 ずざっとその場から大袈裟な距離を開けた夏侯惇に、関羽は片目を眇めた。
 恐らくは彼が本気で嫌がっているのは、○○の性癖なのだ。
 だから事故での接吻に、ここまで恥ずかしがっている。……相手は十三支と蔑む猫族の女の子なのに。

 本人の中でも、それはちゃんと自覚しているのだと思う。
 葛藤するのは彼の勝手だが、その勝手で○○を苦しめるのならば容赦はしない。

 けれどもし、いつか彼女を取るのであれば――――。


「あのね、夏侯惇。さっきの○○のあれ、照れ隠しよ」


 それくらいの判断は付けるようになってもらわないと困る。
 ……彼女の性癖に対する接し方はまた別の問題で。

 それだけを夏侯惇に教え、関羽は○○へお菓子でも作ってあげようとその場を離れた。

 相性悪そうだけど、大丈夫かしらと先行きを懸念しながら――――……。



‡‡‡




 ○○の私室の前で声をかけるが、中から反応は無い。
 警戒心を持って部屋に入ると、○○は寝台に横たわって熟睡していた。
 顔は冷やさなかったらしく赤く晴れ上がった目元は痛々しい。

 あれが照れ隠しだったとは信じがたいが、無防備に寝ている姿は十三支の娘だ。張飛の双子と言うだけあって多少の面影は見受けられる。

 起きている時でこそ強調される性癖で押し潰される事実は、今この時だけははっきりと自己主張し、こちらを責める。


 十三支。
 忌むべき大妖の子孫。


 ○○はそんな、ずっと蔑んできた忌まわしい種族なのだ。

――――けれど、今。
 自分は十三支を以前程厭ってはいなかった。


「……お前は、寝ている姿と起きている姿が違いすぎる」


 起きているよりも寝ている方が十三支に見える彼女は本当に奇異だ。
 夏侯惇は優しい手つきで顔にかかった○○の髪をよけて身体に布を掛けてやった。


 もぞり。
 身動ぎした○○の顔は、何処か微笑んでいるように見える。



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