病院 | ナノ

よん







 エリクと共に暗い廊下を歩く。
 化け物を警戒して、懐中電灯は点けていない。自分達以外に誰か人間がいるならば灯りを点ければそれに気付いて接触出来るかもしれないが、なまじ化け物の恐怖を知っているので、佐代子は断固拒絶した。

 足音を立てぬよう、慎重に歩いていくとふと遠くから誰かの怒声が聞こえてきた。少年の、高めの濁声だ。何かを止めようとしているのか、『待て』や『止まれ』を繰り返している。
 それに、エリクと顔を見合わせ、聞き覚えはないと首を左右に振る。


「どうする? 聞いた限りでは化け物ではなさそうだけれど……接触してみて良い?」

「……で、でも、もし化け物の罠だったりしたら、」

「その時は、逃げよう」


 ね、と微笑まれ、佐代子はつかの間の沈黙の後こくりと頷いた。エリクに頭を撫でられ、声の聞こえた方へと足先の向きを変えた。

 近付くと、相手もこちらに接近しているようで、二人程の声が、徐々に徐々にはっきりと聞き取れるようになった。


「だーっ!! 何っっであいつあんなに速いんだよーっ!」

「張飛! 叫んでる暇があったら速度を上げろよ! このままじゃ見失うだろ!」

「わーってるよ!!」


 ……張飛?
 佐代子は首を傾ける。
 つい最近読んだ書物に、似た名前を見た。
 いいえ、まさかね。
 その人物に憧れた親がそんな名前を付けたんだろう。そう決めつける。

 トの字に交差した辺りで足を止めた直後、右の角から何かが躍り出た。
 それはぶつかりかけたエリクを上手く避け、何故か佐代子に飛びついた。


「えっ、え!?」


 何かの正体は少女だった。和風の着物をまとう彼女は佐代子と同じ歳程に見える。何かに怯えたように、ふるふると小さく震えていた。
 困惑しつつ呼びかけると、ややあって少女が顔を上げる。その目に強い引力を感じ、佐代子は息を呑んだ。
 少女は佐代子の顔を見た瞬間はっとして離れた。しゅんとして俯く。


「さゆき、違う」

「え? さゆき?」

「さゆき、いない。さざなみ、いない。げんしん、いない。いずみ、いない。らいこー、いない。せーめー、いない。いちごー、いない。にごー、いない」


 必死な拙(つたな)い言葉の羅列を上手く解読出来なかった佐代子はエリクに助けを求めた。いや。誰かがいないとは分かるけれども。

 エリクは暫し思案し、少女が飛び出してきた角を見て咄嗟に二人を庇った。

 間も無く、


「ああっ、やっと追いついた! 人もいたぜーっ、蘇双!」

「ああ、もう……!」


 飛び出してきた二人の少年を、エリクが懐中電灯で照らす。
 二人は驚いてたじろいだが、もっと驚いたのはこちらである。

 少年らの頭に、ぴんと立った猫の耳が生えていたのだから。
 それが飾りだと思ったのは一瞬で、ぴくぴくと本物の猫のように自然に動く様を見れば玩具の類でないことは明らかだ。
 更には、佐代子の暮らす時代では不釣り合いな、昔の中国のような衣服を着ている。

 少女は彼らから逃げてきたのだろう。
 佐代子が少女を抱き締めてエリクが背に庇うように立つと、懐中電灯がっただの灯りだと察したらしい、中性的な少年が深呼吸を一つしてエリクの前に立った。


「ここの人?」

「いいや、違う。僕も後ろの彼女も、気付いたらこの建物の一室にいた。君達は? 見てくれにも驚いたけれど、言葉を上手く話せない女の子を追い回すなんて、穏やかじゃないね」

「だってそいつが逃げるんだよ! 何か知ってるかと思って訊いただけなのに――――」

「上手く話せない彼女に苛立ってこの馬鹿が怒鳴ったから敵と見なされて逃げられたんだ。ボク達はここが何処だか知りたかっただけで、彼女に害を加えようなんて考えていないよ。この馬鹿が全部悪い」


 エリクが佐代子を振り返る。
 多分、彼らは嘘を付いていない、ように見える。少なくとも中性的な少年が『馬鹿』と言う少年は、裏表が無さそうだ。

 中性的な少年は少女を見据え、頭を下げて謝罪した。

 すると、意外にも少女はこくりと頷いた。佐代子から離れ、また何処かへ走り出そうとするのを、エリクが腕を掴んで止めた。


「待って。何処に行くの?」

「探すの、仲間。知らないとこわ、迷子なる」

「さっき言ってた人達のこと?」

「みお、一人わ駄目」

「ミオ? ……ああ、それが君の名前なんだね」


 エリクはみおの腕を引いて、佐代子の前に立たせる。


「ミオ。じゃあ、僕達と一緒に君の仲間を捜そう。僕も僕の仲間を捜しているんだ。手伝うよ」


 みおは首を左右に振った。


「……知らない、行くわ拒め、げんしん言う」


 つまりは、知らない人にはついて行っちゃ駄目って言われてるのかな。
 しかし、分かりにくい。
 みおを見下ろし、佐代子は考えあぐねた。

 と、エリクがみおの手を握り、唐突に自己紹介する。佐代子のことも紹介した。


「ほら、これで僕らは知らない仲じゃないよね。手伝わせて欲しいな」

「……」


 少しだけ考えた後、みおは頷く。
 とても素直な子なのだろう。一人にしておくのは、たった今彼女と出会った佐代子でも不安だ。
 きっと、彼女の捜している人達はとても心配しているんだろうな。

 エリクに頭を撫でられて目を細めるみおを見つめ、見も知らぬ彼女の仲間のことを考えた。
 そんな佐代子を余所に、


「それで、君達はどうする?」

「ボク達も仲間を捜してる。けど、一緒には行かないよ。別行動で捜した方が良いだろう? もしそっちの捜してる人が見つかれば、君達のことを教えるよ」

「ありがとう。じゃあ、君達の名前を教えて欲しいな。こちらでも、君達の仲間を見つけたら教えておくよ」


 中性的な少年は張蘇双。
 もう片方の闊達(かったつ)な少年は張飛。
 短く名乗った彼らは、すぐに元来た道を戻っていった。みおが何も知らず、また佐代子達も同じ被害者の立場であることが分かったからだろう。早急に仲間を捜したいのだ。

 彼らに頭を下げ、エリクは右手に佐代子、左手にみおの手を握って歩き出した。
 蘇双達とは違う方――――真っ直ぐに。



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