謝意を込めた和泉の微笑みに、晴明は背を向けた。

 晴明が与えたのは神器を集めるその意味を、きちんと受け止める為の時間だ。

 先程の――――帰路を辿っていた時のことである。ふと和泉の様子を窺ったことがあった。八咫鏡を見ながら、和泉は眉間に皺を寄せて思案深げだった。

 もしかするとあの時彼は神器を手にした現実に戸惑っていたのかもしれない。表に出さぬようにしていたようだが、ふとした時に出てしまったみたいだ。


「……何を考えているかは知らんが、納得したのならばそれでいい。その課程にまで口を出す気はない」

「あはは、そっか。まぁ、それでもいいさ。……ありがとう、晴明」


 真っ直ぐに向けられた感謝の念に、晴明は素っ気ない。
 多分照れ隠しだろうけれども、彩雪の位置から見える晴明の横顔はそうとは思えない程に涼やかだ。

 分かりにくいなあ、本当。
 心の中でぼやくと、源信が覆面の下で小さく笑う。


「なんにせよ、わたくしも安倍様の考えに賛成ですね。ただでさえ、沙汰衆の力は強大です。実を申しますと、澪のことでわたくしも少々混乱しております。ですから心乱されたまま沙汰衆と相対するのは少々分が悪いかもしれません。特に今は澪の体調も判然としませんから……澪達がいなければあの異界を探すのは難しいでしょう。異界の住人達が、彼女達がいないわたくし達を歓迎して下さるとも分かりませんし」


 仕事人達を見渡し、ライコウに笑いかける。
 今は遠回りでも万全を期す為にも、澪の為にも休息を取るべきだ。……というか、彩雪としては重要なことにはちゃんと万全にして臨みたい。


「そういうことだ。今すぐに向かうのではなく、休養ののち、万全の体勢で向かった方がいいだろう。晴明、確認しておきたいんだけど、澪は明日には身体は大丈夫かな」

「鏡の力を借りたのだから、負担は軽くなっていただろうが……一人でアヤカシ達を片付けたのだから、お前達以上の疲労はあるだろうな」


 和泉は頷き、静かに晴明に同意を示す。ライコウを見上げた。


「できるだけ早くというライコウの意見はもっともだ。ただ、用意準備を怠っては、不測の事態に対処はできないからね。特にそこで育った澪達に無理をさせて何か遭ったら大事だ。これは万が一にも、間違いの許される密仕ではない。だからこそ、焦らずに万全を期す。……いいね?」


 笑みを消し真摯な表情で諭す彼を前に、ライコウに拒絶は許されなかった。
 言を発しないライコウの様子を視認し、和泉は仕事人達を見渡す。


「みな、今日は解散して、十分休んでおくれ」


 皆が頷こうとした、その時だ。
 ライコウが一礼して和泉を呼んだ。


「剣の回収は後日――――というのは、拙者も納得しました。速度よりも確実性を優先すべきだと思います」


 彼は晴明の提案を認めつつ、下調べの必要を上げる。沙汰衆への探りと共に、それを自らが請け負うと申し出た。夜が明けるのを待ってからかと思いきや、本人は今すぐにでも行くつもりだ。和泉に為に考えたことなのだろうけれど、それではライコウが休めなくなってしまうではないか。

 和泉は露骨に許しかねるような顔をした。

 和泉の顔を窺って、彩雪はライコウへ一歩近付いた。


「あの……ライコウさんは疲れてないかもしれませんが、やっぱり休んで下さい」

「参号殿……」


 戸惑うように、鋭利な眼差しが揺れる。
 それを真っ直ぐに見上げ、彩雪はまた口を開いた。


「わたしはちゃんと休んだ方が良いと思います。やっぱりライコウさんだって澪のこと、混乱していない訳じゃないですよね? それに一人で行って迷わないとも限らないし……下調べや準備も大切だと思いますけど、本当に大切なのは明日ですからね。それなのに混乱とか、下調べでの疲れとか引きずって全力が出せなかったら意味がないですよ!」


 生意気だったかな、と彩雪は頭の片隅で思った。
 けれどもやっぱりライコウも澪のことで混乱が少ないながらもある筈だ。ライコウに限ってそんなことは無いだろうとは思うけれど、万が一の事態でさえも回避しておきたかった。


「……一つ言い忘れていたが」

「いたっ」


 晴明の扇に頭をはたかれる。
 抗議に睨め上げるも、晴明は涼しい顔をしてライコウを呼んだ。


「澪や漣のあるなしに関わらず、心穏やかでない者は、あの異界は弾くぞ。特にそれが澪に対する不審の類であれば、確実にな。あの森は、そう言う場所だ。だから澪達もあの世界にいたのだからな」

「……何だか、澪達の為に存在するかのような世界だね」

「元々あった異界が、澪の為にそのように変化したのだ。そう聞いている」

「澪本人から?」

「さあな」


 そこは嘯(うそぶ)く。また背を向けて帰ろうという姿勢を以てはぐらかした。
 和泉は苦笑を滲ませ小さく肩をすくめた。


「だ、そうだから。各々澪についてはちゃんと考えて、混乱を鎮めておくように。……まあ、その必要も無いと思うけど」


 茶化すように言って、ライコウに目配せする。


「明日も九頭で動くんだから、そんなにひとりで気負わなくてもいいんじゃないかい、ライコウ。それに、俺はお前を頼りにしてるんだ。十分休んで、明日期待通りに動いてくれる方が、ありがたいよ?」


 諭されたライコウは口を真一文字に引き結び渋面を作るが、澪を振り返って渋々頷いた。和泉の言葉は勿論、仕事寮の仲間として認めている澪に対して思うこともあろう。複雑そうだが、それを押しとどめたような硬い表情だ。


「まだ納得していないようだな? 主人の言葉を素直に聞き入れられんとは、ライコウにしては珍しい話だな」

「別に、納得していないわけではない。宮の考えならば拙者は尊重する。……澪のことも、拙者とて混乱していない訳ではない。このまま行けば、不審になりそうな程にな」

「そうか? 言葉と表情が結びついていないように思うがな」


――――それとも何か? 他に何か人に言えない理由でもあるのか?
 挑発的に、晴明は笑みを濃くする。無意味に煽っているように思えて、主人の意図を図りかねて彩雪は眉間に皺を寄せた。

 ライコウは目を細めた。

 空気が悪くなる。


「……なにが言いたい?」

「そう殺気立つな。思い通りに動けん不満を、私にぶつけても仕方あるまい? ライコウが行かずとも、下調べならば漣にさせれば良い」

「え……?」


 漣、晴明が静かに呼ぶのに答えて、漣が腰を上げてひらりと仕事人達の足をすり抜けて、階段の前で振り返る。一声鳴いて一足先に部屋を出ていった。


「あれならば異界の住人に話を聞けば済む。そして、そこに住んでいた漣だからこそ、誰よりも確実。これで十分だろう」


 これでお前が行く必要はなかろう?
 そう同意を得るように問われ、ライコウはやや驚きがちに頷いた。

 それを見て、


「はは、それじゃあ、話もまとまったことだし、他に何も意見がないようなら、今度こそ解散にしようか?」


 ぱん、と手を叩いて、彼は笑った。



●○●

 次の話では夢主だけでなく漣にも変化がある……予定です。



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