何の生きた気配も無くなった廃れた邸を後にした仕事人達は、一様に沈黙していた。

 絶入(ぜつじゅ)した澪は、晴明の腕からライコウへと預けられた。
 彼女は寝顔こそあどけなく、いつも通りの姿だ。

――――先程の姿とは似ても似つかない。

 何だったのかな……さっきの澪。
 あれじゃ完全に別人じゃない。


『ならば、私が終わらせて差し上げましょうか』

『さあ……お還りなさい。哀れな仔らよ』



 澪はあんな慈母のような微笑みで、流暢な人語を話せる筈がない。
 あれは一体誰だったんだろう。
 彩雪と同じ疑問を持つのは、恐らくは晴明以外全員。
 唯一彼女の変化の謎を知っているらしい主は、何も語らず終い。全身で仕事人達からの質問を拒絶している。

 でもやっぱり訊ねたい。
 澪の、澪じゃない姿は、異様だった。
 彼女の足下から広がっていった黒い影が無抵抗のアヤカシや付喪神達を呑み込む様は、普段の純真無垢な獣の振る舞いとは剰りにもかけ離れていた。あの時側に控えていた漣も、正真正銘人に仇為すアヤカシに見えてしまったくらいだ。普段は、アヤカシとは思えないくらいに人間のことに詳しくて、澪の世話を甲斐甲斐しく焼いているのに。

 異様すぎるのが、こんなにも怖い。
 扱いにちょっと困るけど、とても愛くるしい澪が、あの時だけは――――まるで、冥府の住人のように、悪いモノのように思えてしまった。仲間に対して、とても失礼な話である。罪悪感に胸と足が非常に重かった。

 ライコウに背負われた澪を見やり、彩雪は眦を下げた。

 すると、隣を歩く壱号がばしんと肩を叩いてくる。
 質問するとでも思われたようで、彩雪が顔を向けるなり厳しい顔で首を左右に振った。

 彩雪は瞼を伏せ、短く頷いて見せた。

 仕事寮に戻るまで、誰もが口を開かなかった。あの弐号すら、壱号の肩の上でずっとだんまりだった。
 彩雪は皆の様子を窺いながら、合間に月を見上げる。毎夜毎夜食われる様を眺める月も、一層不穏さを増している。見ているだけでせり上がるナニかにぞわりとして吐き気を催した。

 見慣れた部屋に入って、彩雪は長々と嘆息する。

 奥の間に入れば和泉はすぐに八咫鏡を部屋に張り巡らされた布の裏側に隠した。
 色々な感情が複雑に絡まって、彩雪はどんな顔をすれば良いか分からなかった。
 和泉は思案深げな、何処か物憂げな表情をして鏡の隠された布に触れる。そしてライコウの背で眠る澪と己の足下に控える漣を順に見やって視線を仕事人達に向けた。


「みんな。今日は本当にご苦労さま、今日は九頭だったからね。情報のすり合わせはしなくてもいいね。明日からは剣と勾玉の捜索に当たってもらうことになるから、今日は……」

「いや、待て」


 和泉の言葉を遮って待ったをかけたのは晴明だ。


「……晴明? どうしたのかい?」


 晴明は頷き、報告しておきたいことがあると。
 もしかして澪のことなのかも――――そう期待したのも一瞬。


「先ほどのことだ。和泉が鏡に触れ、封印が解けた瞬間のことを覚えているか?」

「それはもちろん……、なかなか忘れられる体験じゃないさ。――――強い光と、大気の震え、後は……」


 そこで、和泉は口を噤んだ。視線を下に落とし、僅かに目を潜める。考え事をしているのか焦点は定まっていなかった。


「和泉……? どうかしたの?」


 彩雪が怪訝に呼びかけると、彼ははっとして取り繕うように笑った。


「なんでもないよ。あの瞬間のことを少し思い出してしまってね」


 彩雪は緩く瞬きして、首を傾けた。いったいどうしたんだろ?


「で、それがどうかしたのかい? みんなも体験しただろう? 報告することはとくにないと思うけど……」

「いや、重要なのはそれ自体ではない、その感覚が何だったのか、だ」


 勿体ぶるような物言いだが、彼の顔は真剣そのもの。
 不穏なモノを感じて、彩雪はまた口を開いた。


「いったいどういうことなんですか?」

「鏡が封印されていたということは、他の神器も封じられている確率が高いということだ」

「それはそうだろうね。封じられていなければ、俺たちもこれほど捜索に苦心はしなかったさ」


 晴明は頷いた。


「あぁ、だが三種の神器には、確かなつながりがある。それは例え力が封じられていたとしても変わらんことだ」

「……それは、神器は神器を手にした者の元に集まるという話と関係があるのかい?」

「……そうだな、あると言っていいだろう。八咫鏡にかけられていた封印が解けた瞬間――――鏡は他の神器と共鳴していた」


 和泉は軽く瞠目した。晴明の言葉を反芻(はんすう)する。

 あの凄まじい光の中に……心当たりはある。けれどもそれが共鳴による現象だとは思っていなかった。ただ、封印を解いた為の反応だとばかり思っていた。
 彩雪も目を丸くして晴明を見つめていると、


「共鳴か。つまり他の神器も……」

「あぁ、鏡を和泉が……正当な継承者が手にしたことにより、他の神器――――草薙剣が反応を示した」

「そう……、それで、剣が何処にあるのか、見当はついたのかい?」


 晴明はそこで、澪を見やる。


「あぁ、都の守り神、守護神がいる……糺の森だ。……いや、正しくは守護神が作り出した糺の森に隣り合わせに存在する異界」


 糺の森。
 それに重なるように、隣り合わせに存在する異世界。
 つまりは――――。


「澪達の、故郷……」


 源信が思わず漏らすと肯定するように漣が鳴いた。

 糺の森で育ったとだけ聞いていた彩雪には初耳だけれど、これを訊くよりも早くライコウが晴明に噛みついた。


「晴明……貴様、そこまで気がついていて、なぜ今まで黙っていたのだッ!? 神器の回収は一刻を争う! これで他の者に奪われてしまえば……」


 晴明は鼻を鳴らした。


「落ち着け、ライコウ」

「これが落ち着いていられるか! 神器を求めているのは、我々だけではないのだぞ!?」

「だからこそ、だ」

「……だからこそ、だと?」


 口角をつり上げ、ライコウを挑発するような笑みを浮かべる。……こんな状況でしなくても……。


「誰が剣を求めようと、あれは正当な継承者にしか抜けん。つまり、今向かおうが、明日向かおうが、先に奪われることはないということだ」

「悠長なことを! 魔王が復活してからでは遅いのだ! 万が一を考えれば、呆けている時間などないはずだ! それに、澪のことも黙ったまま――――」


 気色ばむライコウに、晴明はこれ見よがしに嘆息し、更に挑発的な言葉を吐く。

 それに、ライコウは噛みついた。

 一気に場の空気を悪くする二人に水を差すのは源信。


「落ち着いてください、源様。澪が起きてしまいますよ。安倍様もあまりそのようなことは……」


 ライコウの背中で眠る澪を示して咎めれば、双方口を閉じた。
 ライコウばつが悪そうに澪を振り返る、起きる気配が無いことに安堵する。


「ライコウ、すこし落ち着こうね?」

「宮……」

「澪のことは、澪がいつもの状態では話せないと言っているだろう。漣もずっと隠していたんだし、澪のことは、晴明でも簡単には話せないことなんじゃない? 神器のことだって、晴明なりに俺を気遣ってのことだ」


 ……俺に時間をくれるつもりなんだよ。
 そう言う和泉に、ライコウは息を呑む。



 神器を手にした、これ即ち。
 和泉が皇位継承者としての証を得るということなのだ。



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