日が暮れる前に集う仕事寮の奥の間。
 澪は源信の隣に腰を下ろし、源信から与えられた干菓子をばりぼりと食していた。

 面々が揃い、和泉の言葉を待つ。


「――――それじゃあ、そろそろ説明を始めようか」


 穏やかな和泉の声が、沈黙する空間の空気を震わせる。


「ここのところ別れて仕事を担当してもらっていたと思うけど、今夜は九頭(くず)であたってもらうことになる」

「九頭……ということは、神器について何か進展があったのですか?」


 源信の問いに、和泉は曖昧に肯定した。けれど、些末でも不確かでも、現状で手がかりがあるというのは非常に有り難い。

 今回の密仕の説明は、和泉が行う。仕事人達を見渡し、それぞれと目を合わせた後に前を見据えて目を細める。


「ここのところ、付喪神が多く目撃されてる場所があるそうだ。晴明が担当してくれた依頼についても、原因は付喪神だったみたいでね」


 あの、虫好きの姫の依頼だ。
 昼の報告では、姫に大事にされている虫を羨んだ中途半端な付喪神から、死した虫が現世に残り姫を守ろうとしていたと言う。


「ひとつの場所にいるだけならいいけど、外に害をなすなら放ってはおけない」


 それに、彩雪が口を挟んだ。
 付喪神の件と神器がどう関係しているのか、上手く掴めなかったのだ。
 疑問を怪訝そうにぶつける彩雪に、和泉は緩く頷いて答えた。


「そうだね……、正確に言うと、神器だと確信してるわけじゃないんだ。だけど、物に魂を宿らせた存在……っていう付喪神の性質上、神器が近くにある可能性が高い」


 和泉の返答を受け、彩雪は沈黙し、思案する。
 何かを思い出しそうで思い出せないらしく、眉間に皺が寄っていた。晴明から、甚儀の特長について教わっていたのだろう。
 が――――彼女が思い出す前に、澪が手を挙げて「鏡!」と元気良く叫んだ。爪先に立ちになって源信に無表情に、しかし誇らしげに言う。


「昔の本、に、書くの、されたの、読む、を、した!」

「ああ……そう言えばこの間源信がそんな本を読んでやってたな」


 壱号が視線をやや上にやりつつ言う。

 源信が頷き、澪の頭を撫でて褒めてやる。もし澪に尻尾が生えていれば、はちきれんばかりに振れていたことだろう。
 ほんの少しだけ胸を張ってみせる澪に、彩雪もそうだと掌の上に拳を落とした。その直後に、頭頂に衝撃。見上げれば、それは晴明で。咄嗟に抗議したけれど呆れた様子の彼にうっと声を詰まらせた。


「あまりに頭の回りが悪いのでな。多少衝撃を与えた方がいいかと思ったのだが……どうだ?」

「どうだ……っで、さっき思い出したばっかりだったのに!」

「あの澪に負けたんだぞ、お前は。私の式でありながら」

「うぅぅ……」


 それはきっとたまたまだ。そう……きっと、たまたま。
 頭を撫で澪を見ると、自分の袖を噛みながら不思議そうに彩雪と晴明を見ていた。


「鏡……というか、八咫鏡(やたのかがみ)、でしたよね。確か力を宿す? か何かでしたっけ?」

「ふん、なんだ、まったく覚えていないというわけではなかったのか」

「さっきから思い出そうとしていたんです! 澪が鏡って言ってくれたから思い出せたんですけど……」


 また、鼻で一笑に付される。

 彩雪は両腕をだらりと垂らし、はあぁと大きく息を吐き出した。拗ねたように唇を尖らせた。
 それに何を思ったか、澪が突進して抱きつく。悲鳴が上がってまた晴明に扇で二人共々叩かれた。

 その様に、一時和やかな空気が流れる。


「ふふ、みんなも知っているかもしれないけど、八咫鏡には式神ちゃんの言う通りの性質や、他にももうひとつ……保持する性質がある。そう考えると、付喪神が多発している理由も察しがつくと思う。鏡の持つ力を宿らせる効果。……それはつまり、物に力――――魂を宿らせることもできるんだ」


 可能性が高いだけで、それは決して確証のある話ではない。
 されども、今までの情報よりは余程神器に近い、確かめるだけの価値がある手がかりではあった。これでもし澪の目が反応すれば――――何よりの証左(しょうさ)となる。

 彩雪の目が、ほんの少しだけ期待に輝いたのが分かった。


「そういうことだから、これから八咫鏡の存在の確認、そして回収に行きたいと思ってる。確認には澪の目が頼りになってくるだろうから、式神ちゃんは澪のことを頼むよ」

「あ、う、うん」


 理由も分からず澪に抱きつかれたままの彩雪は慌てて頷く。

 彼女に笑いかけ、和泉は仕事人達を再び見回す。
 密仕に臨む頼もしい顔つきの面々に異論の色が無いことを確認し、彼は静かに告げた。


「……行こう」


 笑みを消した和泉に、彼らは一様に身を翻す。

 傍観していた彼――――漣も、ゆっくりと腰を上げて、彩雪から離れてこちらに駆け寄ってくる澪を迎える。後ろから、彼女のことを任された彩雪も追いかけてきた。
 澪は漣の前に屈み込むと、両手で顔を持ちぐりぐりと滅茶苦茶に撫でてきた。

 彩雪が慌てて止めるが、澪は止めない。

 通り過ぎる和泉やライコウも苦笑混じりだった。



――――彼らは、気付いていない。



 漣は目を伏せ、澪にすり寄った。
 彼の手触りの良い毛並みを大事そうに撫でる澪は、漣にだけ見えるように《微笑んでいた》。






 漣以外誰も知らない、《昔》のように。



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