内親王は、ライコウと共に花を見に行った。
 ライコウが澪の姿を遠くに見かけて大声で窘(たしな)めようとしたのを和泉が迎えに行くと止めたのだった。

 澪は、和泉もライコウも拒絶しなかった。仕事寮を出てずっと一緒にいたけれど、そんな気配は微塵も見受けられない。獣同然の彼女は好悪を隠すなんて高度なことは全く出来ないから、これが有りの儘の彼女の感情なのだった。
 それに、自分も、恐らくはライコウも酷く安堵している。

 純粋な澪に、精神的に救われた面は多かった。
 だからこそ澪に嫌われるというのは、とても辛い。
 澪の手を引いて元いた場所に腰を下ろす。澪は隣にごろんと横になってばたばたと両足を動かした。その腹に、漣が猿の顔を乗せて和泉を気遣うように見つめてくる。

 奇異なことだ。
 人の姿をした澪よりも、こちらを案じる鵺の方が何倍も人らしく思える。
 あべこべなそれが少しだけおかしくて、和泉は笑った。手を伸ばし頭を撫でると彼は目を細めて小さく鳴く。内親王がこの場にいないから出来ることだった。

 ゆらりゆらりと蛇が機嫌良さげに上向いて揺れる。蛇にも意思があるようだが、基本的に漣自身に逆らうことは無い。
 人間めいた妖はふと首を擡(もた)げて和泉の更に向こうを見て顔を上げた。お座りの姿勢を取り視線を川へと落とす。

 和泉に影が落ちるのと、内親王のささやかな声がしたのはほぼ同時だった。


「お待たせしました、おふたりとも」


 にこりと微笑み、内親王はまた着物を気にしながら和泉の隣に腰を下ろした。

――――彼女には、心から同情する。
 生まれながらに死ぬまで自由は無く。
 神にのみ仕え、斎宮として真綿にくるまれた生活を送るさなか、誰かと燃えるような恋をすることは一生無いのだ。

 恋とは程遠いが、自由の塊の澪とは正反対だ。

 ……だが、それとて自分も同じこと。
 いつまで澪と他愛なく遊んでいられるか分からない。参号や、晴明や、源信や――――仕事寮の皆と笑顔を交わし合うのも、きっとあと僅かだろう。
 それが、自分の宿命なのだ。
 抗っても無駄。覆ることは絶対に無い。

 じっと見つめていると、内親王はほんのりと頬を赤らめて首を傾けた。


「どうかなさいましたか?」


 和泉は緩くかぶりを振って謝罪した。


「……いや、そろそろ戻ろうと思って。そういえば、花はどうしたんだい?」

「先ほど源殿が牛車に運んでくださいました」


 あのライコウが、花……。
 その様を想像して和泉は小さく笑う。それは一目見たかったかもしれない。

 内親王もくすりと笑って、前を向いた。暫し沈黙し、目を伏せる。意を決したように和泉を見た。


「……あの、宮様」

「ん? なんだい?」


 堅く緊張した声は、言葉の最後で僅かに震えた。

 熱っぽく見つめてくる彼女の眼差しに、和泉は瞠目した。同時に、彼女の言おうとすることが分かって、胸が痛んだ。

 内親王の目はじんわりと潤み、瞳がゆらゆらと揺れる。


「わ、わたくし……、宮様のことが……」


 ……嗚呼、なんと哀れな子だろう。
 顔を背ければ、自由の少女が不思議そうに和泉の顔を窺っている様が視界に映る。それにも、胸は突かれた。


「……それは、違うよ。それは……ただの憧れだ。君の思っているような気持ちじゃない」

「そんなこと……!」


 和泉は彼女の言葉を堅く拒絶する。自由を与えられぬ内親王を憐れみながら、自由を生きる澪の視線に胸を突かれながら。


「その気持ちはね……禁じられてしまうからこそ、それが許される最後の一瞬に抱いてしまった、ただの幻想に過ぎないんだ」

「……そんな」


 内親王の声は涙を孕んでいた。

 和泉は沈黙を保ち、内親王を見ようとはしなかった。澪の瞳に責められているような錯覚を覚えながらも、今の内親王を見るよりは少しだけましだった。

 やがて、内親王は深呼吸をし「……わかりました」と。


「そろそろ、参りましょう」

「……そうだね」


 内親王が立ち上がると、澪が小さくくしゃみをする。
 周囲を鼻を袖で擦り、うー、と小さく唸る。離した途端、またくしゃみ。

 内親王は澪の様子に笑って、一足先に牛車へと向かった。

 その様子を見上げ、和泉は目を細める。


「……澪」


 呼び、手を伸ばす。身を起こした彼女の頭を撫でると、澪はこてんと首を傾けた。


「正直を言うとね、俺は心底君が羨ましいよ」

「みお、が、うらやましー?」

「うん。たまに、とても眩しくなって、苦しくなる」


 側に置いておきたいけれど、同時に置きたくないと思ってしまう。
 自分が灯火に群がる蛾のように思えて、その果てに燃え落ちるように思えて――――怖いのだ。
 前は無垢な姿が可愛らしくて、こんな風には思わなかった筈だのに。最近になって、澪が眩しく見える。

 理解出来ずにいる澪に笑いかけ、和泉はその視線から逃れるように立ち上がった。


「ごめんね。今のは忘れて良いよ。……さあ、行こうか」


 前を見据えたまま手を差し出せば、澪はその手を取らなかった。
 脇をそのまま通り過ぎ、ライコウの方へと駆け出す。

 和泉は苦笑をこぼし、隣の漣を見下ろす。

 漣はまた、気遣うように和泉を見上げていた。



●○●

 次の話で夢主と漣に明確な変化が起こります。
 じわじわ恋愛にしていきたい。


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