朱雀門を出た辺りで、晴明は足を止めて彩雪に向き直った。無表情に彩雪を見つめる。

 不審な凝視に彩雪はたじろいで一歩後退した。叩かれるでもなく、ただ見つめられるというのはいたたまれない。
 それに、昨夜のことも、まだ……。

 晴明の視線の所為だ。
 昨夜の、一条戻り橋での出来事が脳裏に蘇る。きりりと胸が痛んだ。

 仕事寮では淡々と簡潔に報告をしたけれど、あの時彩雪は主に逆らうも同じ過ちを犯していた。

 女の怨念に狂(たぶ)った瀬織津媛に取り憑かれた彼女は女の怨みに沿って、晴明(おとこ)を殺めんと彼に後ろから絡みついた。

 その時の生々しい感触は、未だはっきり身体に残っている。
 蒼闇の色をした髪が頬を擽る感触、指を食い込ませた首から感じた彼の脈動、体温。
 今でも恥ずかしさと罪悪感で胸を重くさせる。

 殺されようとしていたにも関わらず、晴明は抵抗をしなかった。怨念が彼の力を求めて顔を間近に近付けても、瞳の奥に憂いを漂わせて彩雪を見つめるばかりで、何もしなかった。

 『生きて』――――彩雪が、そう叫ぶまで。

 その直後に、ようやっと晴明は詠唱を始め、彩雪はどす黒い怨念から解放されたのだった。
 あの冷たくも熱くもある、胸を裂かれるような悲しい感情に流されて晴明を殺めずに済んで、あんな悲しい目をしたまま彼を殺めずに済んで、本当に良かった。

 けれど……やっぱり異性にあそこまで密着してしまったのが恥ずかしくて、恥ずかしくて。
 胸の痛みと全身を巡る熱に、彩雪は視線を地面に落として晴明の言葉を待った。


「……気の所為か」

「……、え?」


 顔を上げると、晴明は口角をつり上げていた。ああ、その嗜虐的な笑み、嫌な予感がする。


「な、何ですか晴明様……」

「いや、お前なりに和泉に気を遣ったのかと、珍しく気の利いたことをした故に褒めてやろうと思ったのだが……どうやら私の勘違いだったらしい。実に、自分に素直な式神なことだ。呆れを通り越して笑いも出ぬな」


 ……それってつまり自己中心的って言われてるよね。
 和泉とライコウが澪の動向に不自然に臆病であるとは気付いている。それは澪の友人のことがあるからであろうという推測も持っている。

 わたし、ちゃんとそのことも考えていたんだけど……。
 けれど彩雪の何を見てか、晴明は違うと判断してしまったようだ。
 しかもいつもと違って遠回りせずにはっきりした皮肉を言ってくる。それもそれで心に来る。

 どうやら晴明も、澪については和泉達に思うところがあるようだ。何だかんだ言って、晴明も彼女には甘いし、意外に世話を焼いている。

 でも、澪は和泉達を嫌ってはいないと思うんだけど。
 澪は和泉達が友達を殺したのだとは思っていない。それに、色々と敏感な娘だ、和泉達が何を思っているのか、野性的な感覚で察している部分もあるかもしれない。
 そもそも、嫌いになったならもっと露骨な態度を取る筈だ。彼女はまだ人間よりも動物に近い。心中を隠して円滑な関係を維持するなんて高度な真似が出来る筈がない。
 短い付き合いの彩雪すら、彼らに気を遣わなくたって大丈夫だったんじゃないか、なんて考えが頭の片隅にあった。それでも晴明との依頼を選んで気を遣ったのは、和泉とライコウの様子が見ていられなかったというのが大きい。


「大丈夫だと思いますよ。澪、和泉達のこと嫌ってないと思います。あと、人聞きが悪いので言っておきますけど、わたしが晴明様と一緒に行くって決めたのは澪達のことを考えてのことです」

「……」

「そ、そこで意外そうな顔をしないで下さい!」


 わたしはあなたの中でどれだけ出来が悪いんですか……!
 心の中で、彩雪は嘆く。

 こんなことなら源信さん達のところに行けば良かった!



‡‡‡




 都を出て一刻も歩けば景色もがらりと変わった。
 周囲には人影も建物も無く、美しい自然が広がっているのみである。辛うじて人々に踏み均(なら)された道が微かな人の気配を醸いていた。

 興味を引かれて道を逸れそうになる澪は和泉と手を繋ぎ、牛車の後に続いた。
 牛車の中には内親王がいる。独り、斎宮として神に仕える為に。

 天皇の名代として未婚の内親王、または女王から選ばれた斎王は伊勢神宮へ奉仕する。斎王は、その命を神に捧げ仕えなければならない。色恋沙汰など以ての外だ。周りからは丁重に扱われるが、そこに自由は無い。神の為に篭の鳥にされるのだった。

 勿論、そのようなことは澪が知る由(よし)も無く。
 ただの散策気分で歩いていた。
 周囲を見渡しながら歩いていた澪は、ふと和泉が足を止めたのに一歩前に出て立ち止まった。振り返れば和泉が穏やかに微笑みかけてくる。


「だいぶ歩いたし、そろそろ休憩にしようか?」

「休憩?」

「うん」


 澪は大丈夫そうだけれどね。
 頭を撫でられ、目を細めた。

 和泉は目元を和ませて、後ろに続いていた漣を呼んだ。


「俺は彼女を降ろしてくるから、澪と漣は先に休んでいるといいよ。ただし、あまり遠くに行かないようにね」


 漣は不吉な声で任せろと鳴いた。
 和泉の手が離れ、澪は歩き出した和泉の後ろ姿を見送り首を傾けた。

 内親王と合流してから、和泉の様子がおかしい。
 澪には難しい複雑な雰囲気をまとっていて、分かるのはそれが内親王に向けられていることくらいだ。
 進みを止めた牛車に声をかける和泉を見つめていた澪は、袖を漣に引かれて身体を反転させた。

 漣と目を合わせ、がばっと抱きつく。
 そのままじゃれ合って地面を転がった。

 彼らの様子に気付いたライコウが、慌てた風情で駆け寄ってきた。


「澪! 土手から落ちてしまうぞ」

「ごろごろー」

「なっ、言った側から……!」


 転がった先には茂みがあり、草まみれになった澪と漣が顔を出せば、土手を駆け下りてきたライコウは仕方がないなと言わんばかりに苦々しい笑みを浮かべた。



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