『もうすぐ』

『もうすぐ、戻ってこれるわ』

『私と、あなたが一つになって』

『片割れの元に、父の元に』

『その時が待ち遠しいわね』


 くすくすと笑う彼女は、とても嬉しそうだ。

 けれども、こちらはそれよりも疑問が胸中を占めていてそんな気分にはなれなかった。

 どうして、彼女は自分と同じ姿をしているのだろう?
 どうして、彼女は自分と同じ声をしているのだろう?



 どうして――――どうして、彼女を自分だと思えてしまうのだろう?


『もうじき、分かるわ』


 あなたと私は、元々一つ。
 彼女はそう言って、抱き締めてきた。




‡‡‡




 翌朝仕事寮にて約束通り壱号と双六に興じていると、側で眺めていた和泉がライコウを呼んだ。
――――仕事だ。
 壱号に言われて大人しく馬を片付けた。


「説明を頼めるかい?」


 じゃらじゃらと馬を小箱にしまう澪が落ち着くのを待って、彼は和泉に頷きかける。一歩前に出て口を開いた。


「依頼の内容を説明する。今回も参号殿と澪は、好きな依頼を選んでくれ」

「はい。わかりました」

「ましたー」


 両手を挙げると、和泉が苦笑混じりに頭を撫でる。手が触れる直前、彼の手は一瞬だけ躊躇った。不思議に思って見上げた和泉の顔は、ほんの少しだけ安堵していた。

 ライコウを見やれば彼も似たような顔。

 こてんと首を傾げれば壱号が面倒そうにライコウを促した。

 ライコウは頷き、口を開く。


「最近、おかしな虫を見るようになったという姫がいるそうだ。晴明には彼女の持つ情報と、そのおかしな虫について調べてきてもらいたい」


「おかしな虫……か」晴明は繰り返しからかうように笑う。


「ただの珍しい虫でなければいいがな」

「その辺りはたぶん大丈夫だと思うよ」


 和泉が聞いた話によると、その姫が少々風変わりな趣味を持っており、虫が好きで邸で飼っているそうなのだ。好んで愛でているのなら当然虫は見慣れている。それ故、その可能性は低い、と。


「ほぅ……、ならばいいのだがな」

「はは、とりあえず頼んだよ、晴明。今日は特に用事もないんだろ?」


 晴明は考える素振りを見せ、ややあって了承した。

 それに頷き、和泉はライコウに二つ目の依頼の説明を促す。


「次は蹴鞠の相手をして欲しいという依頼だが、源信殿と壱号、弐号に頼みたい」

「お? 蹴鞠かいな、壱号の得意分野やな!」


 今朝は元気の良い、丸い姿を見せた弐号が壱号を見上げる。昨夜は一体何処へ行っていたのやら……。

 笑顔の彼に対して壱号は怪訝そうな顔だ。


「なんでボクの得意分野なんだよ」

「まぁまぁ、細かいことは気にせんと。楽しそうな依頼やし、ここはひとつ遊んでやろうや? 何なら澪も――――」

「澪は止めろ」


 素早い拒絶である。
 源信が隣で苦笑を浮かべた。

 彩雪は首を傾げて壱号に問いかける。


「え、どうして駄目なの? 遊びなら澪も、」

「こいつ蹴鞠は全然駄目だ。加減が分からないから何処に行くか分かったものじゃない」

「……へえ」


 遊び全般なら良いだろうと彩雪は思ったのだろうが、澪にも出来ない遊びも当然ある。蹴鞠はその筆頭だった。
 健脚の彼女はまだ微妙な手加減が苦手で、鞠を蹴っても的外れな方向に飛んでいってしまうのだった。最悪、鞠が行方不明になる。
 澪が参加すればとても楽しく遊んでいられない。
 頑なに澪の参加を拒絶する壱号に、和泉やライコウも苦笑混じりだった。

 澪は彼らのやりとりをきょとんと見つめているのみ。かと思えば弐号を捕まえて羽に噛みついた。弐号の大袈裟な悲鳴が上がる。


「ちょ、いたああぁぁぁっ!! 歯! めっちゃ歯立てとんで澪! 源信ちゃんとご飯食わしたんか!?」

「ええ。朝の散歩の後に。いつも通り食欲旺盛でしたよ」

「せやったら何でいつも以上にごりごり噛まれてんねんわいの羽ぇぇぇっ!!」

「五月蠅い黙れ」

「い、壱号くん……! 澪も、弐号くん本気で痛がってるから! ……って、血出てない!?」

「ぎゃああぁぁぁ食われるううぅぅぅっ!!」


 慌てて澪から弐号を救出すると、弐号は泣いて彩雪に抱きつき、壱号に引き剥がされた。その辺に放り投げたかと思いきや足を大きく振り――――天へ向かって蹴り上げた。
 見る見る遠ざかっていく黄色く丸い球体に、晴明が小さく嘆息した。


「……じゃあ、話を戻そうか」

「うん。そうだね」


 彩雪は苦笑混じりに澪の側に腰を下ろした。己の袖で口周りに付いた弐号の羽を拭う。
 取り去ったところでさり気なく、源信が二人に唐菓子を差し出した。有り難く貰っておいた。


「では、最後は拙者と宮の担当ということになるが、宮の遠縁にあたる内親王の斎宮入りを護衛することになる」

「これで、仕事の説明は最後だね。式神ちゃん、気に入った仕事はあったかい?」


 そこで、彩雪は和泉とライコウ、そして澪を順に見る。顎に手を添えて思案し、


「えっと……じゃあ、晴明様と一緒がいいです」


 と、晴明を見た。
 彼は鼻を鳴らし少しだけ小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「そうだな。虫探しなら人手があっても困らん、好きにしろ」


 相変わらずぞんざいな扱いだ。
 緩やかに襞(ひだ)を成す袂を靡(なび)かせ身体を反転させる。

 彩雪は澪達に声をかけて、部屋を出ていく晴明の後を慌てて追った。


「――――と、なると、」


 澪は俺達と来るみたいだね。
 ちょっとだけ困ったように、ちょっとだけ何かを恐れるように、和泉は澪に笑いかけた。

 澪はこてんと首を傾けた。



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