肆
消えていく。
消えていく。
消えていく。
光が闇に混じって――――消えた。
男がいた場所をじっと見つめる澪はいつまで経ってもその場を離れようとはしなかった。
双六の入った木箱を大事に抱え唇を引き結んでそこを凝視している。
澪の頭の中には男の笑みがあった。
そしてその隣には、ろーたの無邪気な笑み。
見た目が違うから、男は排他された。
生き方が違うから、ろーた達は殺された。
澪には、和泉達とその違いが分からなかった。同じ人間だと認識していた。見た目も生き方も、どうでも良かった。源信に人は違って当たり前だと教えられていたから、それは些末な問題であると認識していたのだ。
だから、澪もいつか――――。
「みおも殺す?」
「澪?」
源信が怪訝に澪に歩み寄った。肩に手を置くと、爛々と煌めく不可思議な力を持つ双眸が源信を見上げた。
「みおとさざなみわ、生き方、見た目、違う。違う、と、殺すする? 仕事寮、から……追い出す、する?」
「――――」
源信の閉じられた瞼が震えた。
純粋故の残酷な問いかけである。
安易に、貴女が殺されることはありませんよ――――そんなことは言えない。ついさっき、男と似ていると言ったばかりだのに。
かつて人攫いに襲われ怖い思いをした澪にはまだ、人間社会の澱みを教えたくはなかった。まだ、見て欲しくはなかった。
けれども、彼女は昨夜最悪の形でそれを知ってしまった。友人を殺された理由が、土蜘蛛……まつろわぬ民だからだなんて。
人間の穢れを知って、人の世を、ひいては和泉達を嫌ってしまったら……。
いつから教えておかねばならぬとは言え、願わくば、彼女にはずっと純真無垢なままでいて欲しかった。
源信は何も言えず、澪を抱き締めた。
彼の哀傷を察したのだろう、漣が源信を慰めるように蛇の尾で背中を撫でてきた。
壱号は何も言わない。振り返らずとも彼が苦々しい顔をしていることは容易に想像出来た。
「……源信、戻ろう」
「……はい。澪、漣。また今度、弔いに参りましょう」
「ん……」
身を離して手を差し出すと、彼女は何かを思案するように伏せ目がちに動きを止め、手を重ねた。引かれるままにぺたぺたと歩き出す。
壱号が木箱を持ってやると言うと、神妙に手渡した。
澪の頭をぎこちなく撫でる壱号の手は、少しだけ震えているように思えた。
‡‡‡
仕事寮に戻ると、澪は壱号から木箱を受け取って部屋の隅に置いた。古びたその蓋を開けて双六盤や白黒の石、そして賽子(さいころ)と筒を取り出した。どれもが傷つき草臥れ、長い年月を感じさせる。
仕事寮には誰もいない。和泉達も晴明達も、まだ戻っていないようだった。
澪は源信の袖を引いて双六の駒を差し出してくる。他の仕事人達を待つ間、双六で遊んで欲しいらしい。或いは、この遊戯を通して男と遊んでいる気分になりたいのかもしれない。
源信は笑顔で頷いて、盤を挟んで座った。
ここで余談を挟むが、この双六、現在に通ずる物とは全く違う遊戯である。
発祥は遙か西、エジプト。紀元前三世紀に起こった遊戯が西はヨーロッパに渡ってバックギャモン、東は中国に渡って双六と変じ、七世紀末頃に遣唐使によって囲碁と共に日本に伝わった。
二人用の遊戯であるこちらの双六は、馬と呼ぶ白黒の石各十五個を、十二に区分された盤上の自陣に並べ二個の賽子を筒から振り出す。その目数で石を進め、十五の石を敵陣地内に全て進めた者が勝利となる。
ちなみに、現在の双六は江戸時代以前に始まったとされる絵双六。代表的な双六は、東海道五十三次などの街道を絵に描いて区画し、賽子の出た目の数だけ進んで旅を終えた者が勝利と言うものである。
白の馬を自陣に並べ、源信の馬だと示す。
それに頷き、源信も黒の馬を自陣に並べた。黒が、澪の馬だ。
「では、先行は澪で構いませんよ」
竹で出来た筒を手渡し、澪を促す。
澪は賽子を筒の中に入れてカラコロと振った。
口を斜め下にして盤上の中央に落とす。数に応じて馬を進めた。
この双六は、頭を使う。計算的な思考を鍛える為にも最適な遊戯だった。
暫く進めるうちに、澪の顔が気難しそうに歪んでいく。うー、うー、と唸っては首を真横に傾けた。
すると、横合いから漣が助け船を出して澪の代わりに蛇の尾を使って賽子を振り器用に馬を動かすのだ。知性のある漣も、こういった遊戯は好むらしかった。
けれど、そうすると壱号が呆れた風情で溜息を漏らした。
「それ、卑怯だろ。後でお前がやれば良いじゃないか」
漣が反論するように尾を振る。蛇がくわっとあぎとを開いた。
壱号はまた溜息。「好きにしろ」と蛇を小突いて自身はすぐ側の柱に寄りかかって鎮座した。腕を組み、遠目から二対一の対戦を傍観した。
「では、次はわたくしの番ですね」
ん、と賽子を入れた筒を手渡してくる澪に礼を言って、カラコロと振った。
和泉達が帰ってきたのは澪と漣が源信に二敗した頃のことである。
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