男の目は、闇のように暗かった。沼のように澱んでいた。彼の感情がそうさせているのだ。
 綺麗で不思議な目をしているのに、残念などろどろだ。

 側で男を見上げる漣が小さく鳴いた。それは男を慰めているようで、男に同情しているようで、物悲しい響きだった。


「貴様に……、貴様に俺の何がわかルとイうのだ? 何がわかりアえる――――だ。例えたったひトりでも、俺の心を知る者が現レれば、俺はこンな場所になどいなかっただろう」

「いったいどういうことですか……?」


 そこで男は鼻で笑った。


「俺の外見を誰もガ恐れ、そシて迫害した。誰も俺の存在を許さない。この国には、俺の居場所などなイのだ」


 源信は眉間に皺を寄せ、悲痛な眼差しで男を見つめた。口を覆う覆面の下では、口は歪んでいるだろう。
 もし、男がここに来る前に源信に出会えていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。

 沈黙する彼へ口角を歪める男は、ふと澪を見やった。


「お前は俺ト同じ異なる場所の住人……だが、お前には、分からんだろウな」


 澪はあまりに純朴すぎる。
 お前は運が良かったのだと、男は声色低く言う。
 その中にほんの少しの憧憬を感じた澪は源信から離れて男の腰に抱きついた。


「光の、人、遊ぶ、する」


 男の綺麗な顔を見上げると、男は一瞬だけ表情を和らげて澪の頭を撫でた。男は金髪、澪は黒髪。まるで昼と夜だ。
 純真無垢な澪には危害を加えるつもりはないようで、彼女をそのままにして源信達を見やった。


「いイだろう、話を聞いてやル。予想はつくが、貴様は何のたメにここに来た?」


 源信は言い澱んだ。眉尻を下げ、黙り込む。

 けれども澪は、それを振り払うように声を張り上げるのだ。


「遊ぶする! 光触る!」


 『何の為にここに来た』――――その問いに、反応してしまったらしい。何をして遊ぶと都合良く湾曲した解釈をした澪が男の着物を引っ張って明るい笑顔で遊びたいと繰り返す。
 それに呼応するように、漣も飛び跳ねて鳴き出してしまった。

 澪は完全に、男と遊ぶつもりでいる。

 男は困惑した顔を源信に向けた。
 胸元をばしばしと叩いて訴えてくる澪を剥がしてはまたくっつかれてしまう。

 そんな彼女を強引に引き剥がしたのは壱号である。


「澪……お前は空気読めって」

「遊ぶ、遊ぶするーっ!」

「任務を忘れたのか?」

「遊ぶ!」

「違う」


 ばっさりと斬り捨てて、彼は男を見やる。源信を一瞥して口を開いた。


「ボクたちは、お前をここから追い出すために来た」

「ぶーむぐっ」

「澪は黙ってろ」


 口を塞ぎ、男の返答を見やる。

 男は小さく笑った。


「やはり、お前たちも俺の居場所ヲ奪うのか?」

「否定が……できません。わたくしは貴方からこの場所を奪うために参りました。貴方を恐れる方がいる以上、わたくしは貴方を放っておくことはできません」


 居場所を奪う。
 ということはここにいられなくなる。
 なら、何処に行くんだろう。


「げんしんのとこ!」

「は?」

「学び屋に、行く」


 澪が顔を覗き込むのに、源信がまた微妙な顔をする。
 それを見逃さなかった男は澪に微かに笑いかけた。諦念の入り交じったそれに、澪は唇を尖らせた。


「ここでお前たちガ俺を見逃そうとも、俺を恐れた者たちは近イうちにここを訪れルだろうな。何処に行ったとシても、それは変わらない。いつモのことだ。ひとりでは恐レても、数が増えれば別だ。恐怖に後押シされ、危険だと俺を殺シに来る」


 俺の存在を知らレた以上、もうこコは俺にとっての安息とはなりえン。
 闇の奥を見つめ、男は自嘲めいた笑みを浮かべた。


「……わたくしが貴方にできることといえば、他の住居を用意することぐらいです」

「そのようなことをせずとも、出て行くことになル俺へ、気を遣ウ必要などあルまい? 罠デも仕掛けて、完全に葬り去ルつもりか……?」

「いいえ。わたくしたちの仕事は、都の方々を守ることです。ですから、この都にいる貴方のことも、できる限り助けたい――――一人の人間として、そう思っています」

「そレを……信じろ、と? 会ったバかりの貴様ラを?」


 源信は頷いた。


「遊ぶー」

「だからお前は黙ってろ」

「ぐゅー」


 袖を噛んで、強請るように男を見つめる。「光の人、遊ぶー」となおもしつこい。

 男はそんな澪を見て、静かな笑声を漏らした。


「光の人、か……そんなことヲ言う者は今までだれ一人イなかった。俺の髪ニ触れて喜ぶのも、お前が初めてだ。終いには俺なんぞと遊びたガる。奇妙な娘だ。馬鹿なのか、純粋なノか……これほど人間らしい扱いを受けるのは、いったい何年ぶりだろうな……」

「では……」


 男は了承した。ここを去ると告げ、澪に今度ははっきりと笑いかけた。
 澪はそれをみて、光の人と呼ぶ。やはり、彼は光の人だ。とっても、とっても綺麗。
 壱号が放すと澪は駆け寄って男に抱きついた。

 男は澪と漣を交互に見て、ふと離れた場所に置いてある木箱を指差した。


「あの中に、昔人間カら奪った《すごろく》がある。お前にやろウ」


 澪はしかし、喜ばなかった。
 じっと男を見上げ、離れた。


「……消える?」


 ぽつり、呟いた。
 男は苦笑めいた微笑を浮かべて、澪の頭に手を置いた。


 すり抜ける。


 さっきまでは感じていた感触が失われていた。
 見下ろせば、足から腰までが透けており、それは徐々に徐々に上へと迫る。
 遠くの景色が見えてしまう光景にが何を示しているのか、澪はすぐに分かった。分かって、落胆した。
 これでは遊べない。光にも触れない。

 しゅんと肩を落とす澪はすごすごと木箱の方へ歩き、それを持ち上げる。男に向き直って、


「ありがとー」


 と不満そうに礼を言った。

 それに、男はにこやかに、少しだけ苦みを持たせて頷いた。

 そこにはもう、黒の感情は微塵も無かった。



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