羅城門には昼夜問わず、更に朝にも近付いてはならぬと源信や仕事人達からよくよく言われていた。
 だから、澪が羅城門に来るのはこれが初めてである。

 彩雪が晴明に従った為に、自然と決まった依頼。
 澪は月明かりの下、茫々と浮かび上がる巨大な門を見上げ、爪先立ちになった。
 全貌を見ようと眼球を絶え間無く動かしていると、ふと視界に影が落ちた。

 天を仰げば真っ黒な雲が月を覆い、僅かな光すらも遮断してしまう。

 不穏な空気は冷たく肌を刺す。ままに雲の切れ間から落ちる怪しい月光は切れ切れで、生き物の不安を煽ろうとしているかのようだ。
 微かな腐臭を感じた澪は少し離れた場所の朱塗りの柱に目を向けた。
 判然とはしないが、柱の根元には大きな塊が寄りかかっている。夜闇の所為で墨のようになってしまったそれから、この僅かな腐臭が漂っているらしい。

 近付こうとすると、ふと後ろで突如光が生まれる。
 振り返ればそれは壱号の仕業で、掌にふよふよと小さな炎が揺らいでいた。
 炎に見とれているうちに源信が澪の腕を引いて歩き出す。向かうのは羅城門の内側、まったき闇の満ちた空間にある階段だ。彼の前には先を警戒する漣の後ろ姿。尾の蛇も左右を睨んでは細長い舌を覗かせた。

 澪は逆らいはしなかった。ぺたぺたと足音を響かせながら源信に従い、壱号の灯りを頼りに二階へと上がる。

 と同時に、先導していた漣が腰を下ろした。
 彼の前方には、影があった。

 壱号が漣の隣に立つと、その影はぐらりと傾ぎ、立ち上がった。

 そして――――。


「……なンのようだ、貴様ら」


 低い声が、聞こえたのである。



‡‡‡




 その言葉は、何処か発音がおかしかった。
 それに興味を持ってしまった澪は源信の腕を振り払って影へと駆け寄る。壱号が呼び止めても、影――――男が驚いてたじろいでも、お構い無しに前に立って彼を見上げる。

 折良く、月光が差し込み男の姿を照らし出した。

 そして、彼女は目を見開き弾んだ声を上げるのだ。


「光! 光!」

「なっ!?」


 飛びついて手を伸ばそうとすると男は澪を押し飛ばした。
 尻餅を付くと、男はうっと言葉を詰まらせて後退する。

 男は彫りの深い相貌をしていた。肌は白く、瞳も暗い水色とすっきりとしている。
 先程澪が光と表したのは淡い金色の髪だ。緩やかに波打って膨らんだそれはこの国ではまず見られない。

 澪は見慣れぬ容姿に好奇心を抱き心躍らせた。
 再び張り付こうとすると壱号に後ろから外套を掴まれて無理矢理に引き剥がされる。


「申し訳ありません。興味を持ってしまったようで……驚かせてしまいましたね。お怪我はありませんか?」


 源信が穏やかに話しかけると、男は困惑から一転警戒して眦を決した。一同を睥睨し、低く唸る。


「何をシに来たのだ……?」


 壱号は澪を押さえながら、問いに問いで返した。


「ここに住み着いてる鬼っていうのはお前か?」


 躊躇い無く発せられた言葉。
 澪は鬼、と反芻(はんすう)して首を傾けた。


「ふン、鬼……か」


 鼻を鳴らし、ぐしゃりと自嘲めいた笑みを浮かべる男に、漣が腰を上げて近付く。

 が、漣を見ても、男は困惑しなかった。彼にも見えるようにしているだろうに、怯える様子も全く無い。
 だからだろうか、漣は男の一歩手前で腰を下ろして不吉な声で鳴いた。そこに、敵意は微塵も無かった。

 鵺を穏やかに見下ろす男は、諦念の入り交じった声で言葉を続けた。


「と、いうことは貴様ら……俺を殺シに来たのか?」

「まさか、そんなはずはありません。まずわたくしたちの話を聞いてください。貴方は異国の方ですね? ですが、なぜ……」


 会話をしようと努める源信の言葉はすげなく一蹴される。
 敵意を剥き出しにして今にも襲いかからんとする男に、澪はぽつりと告げた。


「角、無い」

「は? 何言って」

「鬼、角がある。角無い、鬼、では、ない」


 己の額の左右に両手の人差し指を立てて見せ、澪は気が抜けた一瞬の隙を突いて壱号の拘束を逃れる。そしてまた男に近付いて顔を覗き込む。
 やっぱり、角は無い。


「鬼、角ある。怖い、の、顔」


 でも、今でこそ警戒心に厳しく引き締まっているけれども、この男はとても凛々しく、優しそうな顔をしている。
 良い人だ。それを拙い言葉で素直に口にする獣の少女に、男は再び困惑した。


「……貴様、いったイ何を考えている?」

「光、綺麗」


 手を伸ばして飛び跳ね、髪に触る。
 光に触る、した!
 興奮した風情で触った手を大事にもう片方の手で包むと、漣を呼んで彼の頭に髪に触れた手をぴたりと押しつけた。


「光!」


 男の髪から光を貰ったつもりなのだろう。
 見た目に似合わぬ稚児のような振る舞いに男も、次第に警戒を解き始める。


「何なンだ、貴様は……」


 奴らと、違う。
 気持ち悪い。
 混乱に震える声を絞り出して、男は澪の様子を茫然と見つめる。


「貴様らにとって……この国にとって俺は人ではない。ただの鬼なノだろう? 髪の色が違う、肌の色が違う、瞳の色が違う。俺の姿は異形。人とは違う……」

「澪、こちらに」


 戸惑いその場に座り込んでしまった男ははあと大仰な吐息をこぼす。
 源信は彼女を呼び自分の元へ引き寄せると、男へと微笑みかけた。


「……確かに、貴方の外見はわたくしたちとは違うかも知れません。ですが、貴方の心はわたくしたちと何の変わりもないと思います」


 そこで、男は顔を上げる。


「何……?」

「貴方にも、喜びや悲しみはあるのでしょう?」

「そンなもの……貴様には関係あルまい?」

「関係はありますよ。この子も、貴方と良く似ていますから」

「……そノ娘が?」


 源信はやおら首肯する。澪の頭を撫でると不可思議な引力の宿る目を細めた。


「この子は人間のいない深い森の中で、そこにいるアヤカシや獣達と育ったんです。なので人間社会のことを何も知りません。ですから、彼女達もまた異国の民なのでしょう。ですが、こうしてわたくしたちと共に生活しています」

「いこくー」


 間延びした辿々しい稚拙な発音。
 きちんと教えれば彼女は理解する。そして、抜きん出た感性を以て色んなことを源信達に報せてくる。
 まだ完全ではないけれど、澪が食べることが大好きで、漣とどんなことをしてじゃれ合うの一番好きか、源信達は知っている。
 ゆっくりと、確実に理解し合えていく。

 それを分かっているから、


「先ほど出会ったばかりのわらくしたちの間には、大きな壁があるかもしれませんが、それでもわたくしは貴方のことを知りたいと思います。そして、こうして言葉を交わすことができる以上、きっとわかりあうことができる。わたくしはそう思います」


 男は、沈黙する。口を真一文字に引き結び、源信と澪を見比べる。

 やがて、くつりと咽の奥で嗤ったかと思うと――――。


 徐(おもむろ)に、口を開いた。



.

[ 69/171 ]




栞挟