参
大垣(おおがき)に囲われた大内裏。
《やんごとなき》身分の者達があらゆる部署に勤め行政を敷く他に、儀式や神事なども執り行われる。
更に奥には、内裏という帝の居住区もあった。
平民には到底足の踏み入れない――――否、近付くことすらも憚られるまさに雲上の世界がそのまま地に落ちたかのような、そんな場所であった。
その中を、晴明と源信は歩く。
源信の手には、物珍しげに周囲を見渡す少女の小さく細い手が握られ、何処かに行こうとすると少しだけ強めに引いて止める。側を歩く鵺も咎めるように鳴く。幸い、鵺は自分達以外には見えていないようだった。
入り組んだ複雑な回廊を慣れた足取りで進み、彼らはとある間に入る。
そこにすでに集っていた者達が彼らを見、怪訝に眉根を寄せた。
「……源信殿、その、娘は」
腰を浮かして恐る恐る訪ねるはライコウ――――源頼光。精悍な武人である。
源信は彼に一礼して、晴明を手で示した。
「安倍様が、糺の森で保護された方です。わたくしが引き取ることなりましたが、暫く弐号さんのお力をお借りしたくて」
「んん? わいか?」
ぴくりと小さな身体を震わせて立ち上がったのは黄色てまるまるとした鳥である。鳥と言っても桃色の袴を着、首には赤と桃色の数珠を連ねた首飾りをはめ、鶏冠(とさか)に当たる部分は炎だ。風も無いのにゆらりゆらりと揺らめいて火の粉を散らす。
そして、人語を話している。その小さな嘴(くちばし)で。
弐号という名前らしいその奇抜な鳥はぺたぺたと少女の足元で立ち止まった。
少女はこてんと首を傾けて源信の手を剥がした。
そして興味深そうに弐号の身体を両手で持ち上げると――――。
はむ。
「うぎゃあああぁぁぁぁ!?」
弐号の羽毛に歯を立てた。
あっと源信が声を漏らしても遅く、獣のように育ってきた少女は弐号を食料と捉えてしまったようで、弐号の肉をぎりぎりと噛み切ろうとする。
弐号があられもない悲鳴を漏らし遮二無二もがく。黄色の顔が青ざめ緑に近くなっている。
「その方は食べ物ではありませんよ。ですから、放して差し上げて下さい」
鵺を見やれば、彼は源信の言葉を聞き届けて少女の前に回り込んで鳴いた。
すると、少女は鵺を見、口を開けて弐号を放す。
「な、何やねん……まさか肉食系か……!? アカン、アカンでそれは相性最悪やん!」
「手を放すべきではありませんでしたね。すみません、弐号さん」
弐号の身体を放すと、彼はぱたぱたと飛び、赤一色の少年の肩に止まって噛まれた部分をさする。が、赤い少年は弐号を無情に叩き落としてしまった。
「何すんねん壱号!」
「晴明、そのアヤカシは何」
「無視かいな……っ!」
嘆く弐号は黙殺され、壱号と呼ばれた赤い少年の言にライコウが反応を示した。
「アヤカシ? そのようなもの、何処に――――」
鵺が、小さく鳴いた。
刹那――――ライコウと、その後ろの青年が表情を変えて鵺を捉えた。
ライコウが刀を抜いたのに、少女が目を見開いて鵺に抱きつく。ライコウの表情から危険を察知したようで、首に腕を巻き付けて警戒するようにライコウの動向を注視する。
その目力にライコウが一瞬だけ怯んだ。
無理もない。
この少女の目にはそれだけの力がある。見た目は何処にでもいるような少女なのに、目だけがあまりに異質すぎた。
「ライコウ。怯えさせては駄目だよ」
「し、しかし、アヤカシがこの大内裏に……」
「ライコウ」
ぴしゃりと、はたくように名を呼べばライコウは言葉を詰まらせ、渋々と刀を鞘に収めた。
青年が少女に笑みを向けるが、警戒は解かれなかった。鵺に張り付いたまま、ライコウを見据える。
「あーぁ。ライコウの所為で警戒されちゃった」
「っぐ……、申し訳、ありません。宮」
「それで、晴明。この鵺は何なんだい」
「これの付属品だ。弐号、こいつと会話をしろ」
こちらに背を向けて床に何かを描いていた弐号は晴明の声にくるりと振り返り、こてんと首を傾げた。されど鵺が小さく鳴くと、それに納得した風情でぽてぽてと鵺に駆け寄った。
「なーるほど。わいとあんたでだぶる通訳するっちゅう話やな。よっしゃ、任しとき!」
「ええ、お願いします。彼女が人の言葉が分からないうちはこの鵺さんと弐号さんに対話していただく他無いんです」
「おおう! 大船に乗ったつもりでいぃや!」
先程少女に食料と間違えられて噛まれたことなど忘れてしまったかのように、己の胸だか腹だか分からない部分をぽんと羽で叩いて見せた。
「えー、何々……『この度は、澪を引き取って下さりし儀、深く、深く感謝つかまります。わたくし、漣(さざなみ)がそちらの陰陽師にお願いする運びと相成りましたのは』――――ああもう堅っ苦しいねん! こっからは砕けて通訳するわ」
「何でも良い。会話を続けろ」
「分かっとるがな。『糺の森にて澪を守り続けていたが、故あって澪を人の世に移すことと致した。澪に関することは追々明かしていくつもりではあるから、どうか今は何も訊かず、澪に人間としての知恵を授けていただきたい』……やって」
どうする、と視線で青年――――和泉に問いかければ、彼はやや考え込む素振りを見せた後に笑顔で頷いた。
「うん。良いよ。じゃあ、仕事寮の皆で面倒を見ようか」
「宮! そのように簡単に……」
咎めるライコウの言葉など、和泉は聞こえていない風を装い澪と言う名の少女の前に屈み込む。視線を合わせて笑いかけた。
「初めまして。俺は和泉。言えるかな。い、ず、み」
澪は首を傾ける。
それを諭すように鵺が鳴いてやると、難しそうな顔をして、口を動かした。声を出そうとしているのだが、的外れな音ばかりだ。
和泉が口の動きを大きく、ゆっくりしてみせると、何度か失敗してようやく。
「……ぃ、うい?」
「そうそう。その調子。ほら、い」
「い」
「ず」
「ぅ……うー……じぅ?」
「惜しい。ず、だよ。ず」
「……じゅ、じゅ……ず」
「み」
「……み?」
「い、ず、み」
「い、ず、み? ぃ、いずみ?」
「うん。よく出来ました」
頭を撫でてやると、片目を眇め上目遣いに和泉を見上げる。
いずみ、と何度も繰り返した。
まるで幼い子供に言葉を教え込んでいるかのようだ。
己のうちから沸き起こる温かい気持ちを認め、和泉は苦笑を滲ませた。見た目で言うなら、さほど離れている訳でもあるまいに。幼児を彷彿とさせる純白の無垢さが、少しだけ眩しかった。
「じゃあ、次は――――あの人は、ライコウ」
「……」
澪がライコウを見る。
そして即座にぷいっとそっぽを向いた。
――――ああ、完全に嫌われちゃってる。
無表情にライコウを拒絶する澪から、引き締めた顔が僅かに落胆の色を滲ませるライコウへと視線を移し、和泉は小さく笑声を立てた。
「残念。自業自得だね、ライコウ」
「……」
妹と年が近い故に、意外に心に来たようだ。
目を伏せて沈黙するライコウは、いつもよりも小さく見えた。
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