※痛い表現入ります。



「終わったでー!!」


 ……終わった。
 歓心に弾んだ弐号の大音声に、彩雪は全身から力を抜いた。
 小綺麗とは言い難いけれど、普通に読める文ではある……だろう。

 結局は大半を源信が書き写してしまったけれど、結果的にはそのお陰で日暮れ前に写本は終わっている。申し訳ないけれども、有り難くも思う。

 源信はふうと吐息を漏らし、ゆっくりと腰を上げた。墨が乾いているのを確認し、紙を集めていく。


「では、まとめて依頼人のところに持って行きましょうか?」


 紐で器用に纏(まと)められ、一冊の《珍しい本》が出来上がった。見栄えは周囲の本と何ら遜色無かった。

 それを感慨深く見つめ、彩雪は深呼吸を一つ。胸を撫で下ろし達成感に口角を弛める。何とか、出来た……。
 それを持って、四人で依頼人のもとに行こうとすると、不意に壱号が外の築地を見てあっと声を上げた。

 視線を追って築地の方を見た彩雪も、同様に声を上げる。


「澪!」


 築地の屋根に腰掛けてぷらぷらと手持ち無沙汰に足を振っているのは、間違い無く澪だ。強力な引力を持ち、隣に鵺を置いている少女なんて、京どころかどの国を探しても彼女しかいない。
 晴明様と一緒に六道珍皇寺に行っていたんじゃ……?
 終わったから別行動を取ったのかな。

 源信が本を持ったまま庭に降りそちらに歩み寄る前に、澪が飛び降りて源信に抱きついた。


「ぐー、ぐー」

「え……ああ、お腹が空いたのですね。帰る際に、何か買いましょうね」


 何かに安堵した風情の彼は澪の頭を撫でながら微笑んでそう言った。

 けれど。
 彼女の両手が泥塗れなのに気付いて怪訝に眉根を寄せる。
 駆け寄った彩雪に本を手渡し、澪の両手を握った。


「これは……土いじりでもしていたのですか?」

「まいそー」


 まいそー……埋葬。
 それが誰なのかは、彩雪にも察しがついた。
 多分《ろーた》だ。
 昨夜和泉達と向かった祠にいた土蜘蛛の子供。

 あの後弐号に訊いたのだけれど、土蜘蛛とは帝にまつろわぬ民の蔑称であるらしい。人間社会についてまだ何も言わない澪にはそれは関係ないから、普通に遊んで、普通に仲良くしていたのだ。
 それが、北狄に殺されて――――今もなお、遺体が野晒しになっていたとしたら。

 源信から人間としての教えを受けている澪が放っておく筈も無い。

 まさか晴明様と別れた後に一人――――じゃない、漣と一緒に土蜘蛛達を埋めてきたのだろうか。


「……爪が剥がれてしまっていますね」

「えっ!」


 ぎょっとして覗き込むと、土に赤い液体が浸透している箇所がある。源信の言う通り、爪の部分だ。
 全部が全部ではないが、大半の爪が剥がれている、或いは剥がれかけている。

 は、早く手当てしなくちゃ。
 彩雪は狼狽えて源信を呼んだ。


「あの、私達で報告してきますから、源信さんは澪と仕事寮に戻って下さい」


 源信は彩雪を見下ろし、首を左右に振った。


「いえ、報告はわたくしがしておきましょう。参号さん達に澪をお願いしてもよろしいですか」

「でも源信さんの方が……」

「わたくしは、元の日記もお返ししなければなりませんから」


 もう一度、丁寧に頼まれては、彩雪は渋々と頷く。
 一番心配してるのは源信だろうに。

 本を受け取り壱号達にも深々と一礼して、源信は澪に彩雪の側にいるように言い聞かせて簀の子に上がった。

 彼が歩き出すと同時に壱号が「後輩」


「さっさと戻るぞ」

「せやで、源信が戻ってくるまでにはちゃんと手当てしとかな」

「あ、う、うん……行こっか、澪」

「ぐー、ぐぅー」

「えと……後で仕事寮にお菓子が無いか探してみようね」


 澪は痛がる素振りも無く、澪は両手を挙げて「唐菓子(からくだもの)ー」と僅かばかり弾んだ声を上げた。

 けれども手首を握ろうとすると手を握るものと勘違いしてついと避けるので、表情に出ていないだけで痛みは感じているようだ。
 袖を掴むことにして四人も簀の子に上がった。



‡‡‡




 仕事寮に戻るとすでにライコウ達の姿があり、晴明も退屈そうに鎮座していた。
 ライコウも和泉も澪の両手を見るなりぎょっと腰を浮かせた。


「澪! その両手は一体……!!」

「その前に、水を持ってこい。爪が剥がれているぞ」


 一瞥しただけで状態を把握した晴明に舌を巻く。
 そうしながら和泉の側に座らせ、水を用意する為に立ち上がったライコウに頭を下げて自身は薬を探そうと二階棚を探った。

 が、晴明に呼ばれて振り返れば、額に何かがぶつかる。貝の入れ物だ。
 何かと思って開けてみると、軟膏が入っている。真新しいところを見るとつい最近購入した物のようだ。
 晴明を見やれば、彼は涼しい顔で、


「そいつがどうするか、予想はついていたからな」

「あ、ありがとうございます」

「参号殿。水と手拭いを」

「あ、はい! じゃあ、まずは……」

「おい馬鹿爪を剥がすな!」

「ぎゃああぁぁぁ!! ぐろてすく生々し〜!!」

「べりっ、した、すると、痛い」

「当たり前だ! ……って、爪を食べるな!」


 獣でもこんなことはしないんじゃないかな!
 彩雪はわたわたと澪に駆け寄ってライコウを呼んだ。



 暫く、仕事寮は騒々しかった。



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