拾参




 澪は、付き合いの短い彩雪から見ても分かるくらいに憔悴していた。いや、憔悴しているからと言っても、頬が痩(こ)ける程に窶(やつ)れているなどの単純かつ顕著な変化は無い。むしろ、羨ましいくらいの餅肌は健在だ。

 彼女の雰囲気が疲弊しきり、そのように思わせるのだった。

 身に纏う雰囲気という漠然としているものからでも、その憔悴の程は瞭然としていた。
 常と変わらぬ無表情であるにも関わらず、特徴的な強い引力を備えた目には全くといって良い程引き寄せられない。目の力を失った彼女は、元々痩せぎすな体型であったけれども、もっと肉が削げ落ちたような、不安定な印象を周囲に抱かせた。服も泥で汚れているものの、それよりも精彩を欠いた目力は、それだけで澪から生命力をごっそりと削いでいたのだ。

 アヤカシ邸から戻る道途にて、いやに慌てた風情の漣が通りかかり、弐号が通訳して晴明に耳打ちしたのは彩雪も見ていた。その耳打ちの内容は知れないが、澪に関わること、そして危険極まることは晴明や漣の様子からでも見て取れた。
 何かが澪の身に起きて、結果的に精神的に追い詰められたのかもしれない。

 源信にぴたりと張り付いて離れようとしない彼女を、仕事寮の誰もが気にしていた。何かを不安がっているようにも見える。

 何が遭ったのだろうと和泉を見やると、彼もまた、何処か消沈した風情で澪を見つめている。思い詰めたそれは、何かを言おうとして拒絶を恐れているそれであった。
 和泉がそんな顔をするなんて、と彩雪は少しだけ驚いた。

 けれども、和泉が彩雪に気付いた時にはその表情は消え、苦笑に変わる。


「それじゃあ、晴明から順に報告をしてもらえるかな?」


 彩雪の視線から逃げるように、晴明へと目を滑らせる。

 晴明は何処か責めるような目をして和泉を見据えると、億劫そうに口を開いた。


「……河原院には神器の痕跡はなかった」

「そっか……。じゃあ、アヤカシについては?」

「凶暴化はしていたさ。己の身の程もわきまえず、この私に襲いかかってくるほどだからな」


 尊大不遜。唯我独尊。
 晴明らしい態度である。
 されどもそれは己の力に自信があるからであり、彩雪も、それを直に目にしている。
 腹が立つことはあるけれども、こういった恐ろしい仕事に於いてはとても頼もしかった。

 和泉も、それは同じようで。ほんの少しだけ笑った。


「なるほどね……それでその理由はわかったのかい?」

「……わからんでもないが、確信のない話をする気はない」

「それなら、確信している範囲で状況を説明してくれないかな? とりあえず、情報の共有だけはしておきたいからね」


 微笑んだまま彼は言う。彼なりの妥協案だ。

 晴明は肩をすくめた。


「……アヤカシに影響を与えた原因は、怯えだろう」


 和泉は晴明の言葉を反芻(はんすう)する。思案につかの間視線をさまよわせた。


「あぁ、それだけの力を持った者が河原院を訪れたのだろうな」

「そう……」


 顎に指を添え、和泉は思案を深める。
 晴明はそこで話を終わらせた。それ以上は、確証が無いのだろう。和泉の言葉などあい待たずして壁際に歩み寄って寄りかかる。完全に傍観の姿勢をとってしまった。
 彩雪は苦笑を禁じ得ない。

 和泉も思案を打ち切り苦笑で流す。それからつと源信達に視線をやった。
 それに答え、源信が澪の頭を撫でながら報告を始める。


「丑寅にある不吉な気配についてですが、結果的に報告させていただくと、こちらも神器の影響ではありませんでした」

「そう……。元々、神器が関わっている可能性はそれほど高くなかったけど、やっぱりそっちもはずれか」

「はい、残念ながら」


 源信は申し訳なさそうに、伏し目がちに首肯した。


「でも、それじゃあ、気配の原因はいったいなんだったんだい?」

「では、そちらの報告をさせていただきます。不吉な気配の出所は、貴船神社の林でした」


 貴船神社。
 貴船川の上流にある、水の神タカオカミノカミを祭神とした神社である。
 恋に悩んだ和泉式部が参詣し詩を詠んだことで知られるが、古くから丑の刻参りなどの伝承の場所でもあった。
 暗い伝承を知る和泉も、自らの中でその気配の原因に行き着き、表情を暗くさせた。

 沈んだ心を払拭するかのように、心なし強い口調で続きを促した。


「では、わたくしたちが発見したわら人形ですが、その中には百年ほど前にかけられた呪いが未だに残っていました」

「百年前? それは……ずいぶんと昔の話だね」

「えぇ、呪い……、といいますか、そのわら人形へ呪詛を託した相手が、死霊となった今も呪いに囚われていたというのが本当のところでしょうか…」


 人を呪わば穴二つ。
 まさに、それだ。
 哀れには思うが、同時に自業自得だとも思う。
 いやそれよりも、誰かを呪ってまで殺そうと思うことが、とても悲しい。もっと違う方法を思いついていたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。


「でも、そんなに呪いの影響が続くなんて普通じゃないね」

「はい、禍々しい気配が出始めたのが最近ということを考えると、何か別の原因があるのかもしれません」

「そうだね……。最近はおかしな事件も多発していることだし、もしかするとすべての現象がつながっているのかもしれないな」


 軽く肩をすくめ、和泉は深く息を吐き出した。

 今京に起こっている全ての剣呑な事象の根源にあるモノが同じだとすれば――――。
 彩雪は悪寒を感じて己の身体を抱き締めた。何か、途轍も無く大きな存在を感じてぞっとした。
 根源をどうにかしないことには、一つ一つに事件に対応していても無意味だ。
 早く、根源にあるモノを見つけ出さなければならないだろう。

 あくまで神器の捜索が優先事項であるけれども。


「とはいえ、ここでいくら話し合っても想像しかできない。それについてはまた今度にするとして、他にも何かあったなら報告してくれるかな?」


 そこで、源信は沈黙した。
 一瞬だけ眉間に皺を刻み、もう一つ、彼は話すべきと判断したことを語った。

 曰く。
 貴船の林で、沙汰衆の南蛮と顔を合わせた、と。

 和泉も、瞳を鋭利に細めた。


「顔を合わせた、ってことは、戦ったわけじゃないみたいだね」

「はい。少しだけお話しすることにはなりましたが、神器もないためか、すぐにお帰りになりました」

「そう……」


 和泉は、伏せ目がちに再び思案に沈む。
 源信に呼ばれるとすぐに首を左右に振った。けれども表情は重く、硬い。


「いや……まずは、ライコウの話を聞いてからにしよう。それからの方がいい。源信たちのところは他に何かある?」

「いえ、他には特にございません。……ですがわたくしから一つだけ質問を。宮様達の方で起こったことに、澪の様子は関係しているのでしょうか」


 和泉は澪を見下ろし、首肯する。それ以外に明確な返答はせず、ライコウを呼んで促した。

 まるで逃げるような態度に、源信も何かを感じたらしい。
 澪を見下ろし、和泉と見比べた。



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