捌
いけない。
彼らを祠に近付けてはならない。
未だかつて感じ得なかった危機感が澪の心臓を締め付ける。
土で作られた祠に近付くに連れ、澪の心臓の辺りがきりきりと痛んだ。駄目、駄目、駄目、と全身から警告が聞こえる。
駄目だと、引き返せと訴えたいのに、和泉は澪の身体を拘束し、口すらも塞いだ。
この祠にはろーたがいる。ろーたの家族がいる。ろーたの仲間がいる。
ろーたは言った。ろーた達は都の人間達には嫌われている、見つかれば最悪殺されてしまうと。
勿論和泉達がそんな酷いことをするなどとは夢にも思っていない。
ただ――――ろーた達が追い出された後、五日ごとの楽しみが無くなってしまうことが、この上無く寂しくて辛かった。
ろーたと遊ぶ時間を何としてでも守りたくて、澪は大好きな和泉から逃げようとする。大好きなライコウより先に行こうとする。
でも、出来ない。
全力で嫌がれば和泉の腕も簡単に逃れることが出来る。ただ、和泉が怪我をしてしまうだけで。
ろーたや、ろーたの大切な家族や仲間を守りたい。彼らが消えてしまうのは嫌だ。
でも、和泉やライコウと仲良く出来ないのも、それと同じくらいに嫌だった。
和泉に連れられて、祠の中へ入る。ろーた達が気付くよう、騒ごうとすればよりキツく口を押さえつけられた。小さな謝罪が降ってくる。
「――――さて、君たちはそんなところで何をしているのかな?」
「っ――――!?」
月明かりと、中の光と。
視認するに十分な明かりは、和泉達にその姿を晒させた。
今まさに祠に入ろうとしていた一人――――背の低い男がぎょっと振り返った。
胴の短さに似合わず、その手足は長い。痩せぎすの身体は骨が浮き上がり、他者に不健康で野卑な印象を与えてしまう。
「土蜘蛛……か」
ライコウが低く呟いた瞬間、男の目にある警戒の中に怯えを感じ取った澪は、とうとうやらかした。
口を塞ぐ和泉の掌の肉を強く噛んだのである。
「い……っ!」
「宮!? ……な、澪、何を!」
力が弛んだ隙を突いて和泉の手から逃げた澪は、男の前に立った。和泉達に身体を向け、両手を広げて立ちはだかる。
これには澪以外の三人が驚いた。
「澪……? 何故、」
「だめ!」
むうっと唸って和泉とライコウを睨む。
二人は困惑し、瞳を揺らした。
そして――――。
「親父? 誰か来て――――」
「!」
祠から、また新たな人間が現れる。
‡‡‡
「……澪? と……誰だよ、そこの奴ら」
現れたのはろーたであった。
澪の姿に驚き、和泉達に警戒心を露わにする。身形から、彼らが止ん事無き身分の人間であることは察せられた筈だ。更に、ライコウは抜刀こそしていないものの柄に手をやっている。
ろーたは澪の腕を引いて背中に隠す。澪よりも幼いくせに、男として友達を守ろうとしているのだ。
「澪、ここにいたら危ないだろ。どうしてここにいるんだよ」
「澪は、」
「ライコウ」
澪のとの関係を話そうとしたライコウを止め、和泉はろーたに話しかけた。その表情は、皇太子としての清廉なるそれだ。
「その子は、君のお友達、なのかな」
「……そうだよ」
「浪太! てめぇ、何都のもんと仲ようしとんじゃ。あれ程に言うとんに」
父親に叱りつけられ、ろーた――――否、浪太はうっと怯んだ。
「ご、ごめん……けど澪は俺んことそんな風に見ねえんじゃ! 友達じゃ言うてな、俺と遊んでくれたんじゃ」
必死に言い募る浪他を援護しようと澪も拙(つたな)い言葉で喚(わめ)く。
父親は五月蠅そうに垢や泥まみれの顔を歪めた。
浪太はしゅんと肩を落として眦を下げた。けれども澪を庇うその姿勢は崩そうとはしなかった。
そんな息子の態度に何を思ったのか、父親は吐息をこぼして和泉に視線を戻した。
「……貴様らは、俺達を殺しに来たんか。そんなら、俺達もただでは殺されん」
貴様らは敵だ。
父親は憎らしげに言う。
「敵……か」
「何をせずとも、迫害され、殺される。生き方が違うというだけで、我らは人間として扱われない。家族を傷つけられ、殺され……それを当然だと思う朝廷の者たち。理屈などではない。殺そうとする相手が敵というのは当然の話ではないのか?」
ライコウも和泉も、沈黙する。
やはり、『迫害』は良い意味ではないのだ。
辛そうに、申し訳なさそうに視線を背ける彼に、澪は緩く瞬きを繰り返した。
どうして、殺されるのだろう。
生き方が違うのは澪も一緒だ。だって澪は人間の社会を知らない。人間の常識が分からない。でも澪は、殺されていない。
今じゃなくて、いつか、殺される……?
「みおも……死ぬ?」
ぽつりと漏らした問いに、ライコウと和泉が表情を強ばらせた。和泉に至っては青ざめている。
自分がどれだけ残酷な質問をしたのか理解していない澪は、ただただ純粋な疑問を二人にぶつけた。
「みおもさざなみも、生き方違う。だから、は……はーくーがーい? される?」
「それは……」
一瞬、彼の泣きそうに揺らいだ。
すぐに表情を引き締め、澪の問いは聞かなかったかのような態度で土蜘蛛の父親に視線を向ける。
「……キミたちの見に起こったこと……。俺にはそれを想像することしか出来ないし、そのすべてを知っているわけでもない。君たちを傷つけてしまったとも、苦しめてしまったと思うけど、俺ひとりが謝罪したとしてもどうなるわけでもない」
父親は反発するでもなく、黙して和泉の言葉に耳を傾ける。しかし、その目にはしっかりと憎悪が渦巻いていた。
「俺たちの関係には長い時間が横たわっている。それを埋めるには君達が苦しんだ時と同じか、それ以上の時間が必要だ。だけど、いがみ合って傷つけあっているだけでは、その関係は永遠に変わらない」
和泉は土蜘蛛へと手を伸ばす。
「だから……調子のいいことだとは思うけど、その修繕のためにも歩み寄ってはもらえないかな? 人として、都の人間に交わって生きてもらいたい」
「……」
「……もし、それが出来るのなら、俺は君たちを受け入れよう」
浪太は不安そうに父親を見やった。
「親父……」
「……」
父親は何も話さない。無表情に和泉を見据えるばかりで、反感を抱いているのか、迷っているのか分からない。
澪の後ろからも、浪太の仲間達が不安そうにこちらの様子を窺っている。
和泉もライコウも沈黙し、土蜘蛛の返答を待つ。
が――――。
「――――ふふ、一族の誇りを……生き方を捨ててまで生きる必要があるのかい?」
転がすような笑声が、その場の空気を不作法に破壊する。
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