漆
――――不意に、ライコウが足を止める。
すかさず澪が隣に並んだのを和泉が窘(たしな)めながら退がらせた。
前へ前へと出ようとする澪に、二人の中で不信感は募るばかりであった。確実に、彼女は祠について何かを知っている。そして、和泉達に隠している。
張り詰めた空気に不穏なモノを感じ取ったらしい彼女は、二人よりも先に進みたがっていた。何かを守ろうとしている風にすら見える。
そんな澪の様子を疑いながらも、ライコウは愛刀の柄を握り締めた。怪しい気配が在ればその瞬間にも抜刀して果敢に斬りかかってしまいそうな、押し潰されそうな気迫が後ろ姿からも感じられる。
澪はその姿に――――そして闇の向こうに聳(そび)える建物に懸念を感じているのだった。
ばたばたと逃れようとする澪を後ろからしっかりと抱き締め、その口も手で塞いだ。
「静かに、澪」
「んー、んんーっ」
「……宮、あれが」
「だろうね。こんなところに建物があるなんて話、聞いたことがない」
ややあって、澪の身体が大きく震えた。
祠から光が漏れたのだ。
光は中に人がいるという証だ。
ライコウの周囲の空気がぐっと凝縮されたように堅くなる。警戒を強めたのだ。
「宮、澪。気をつけてください」
二重の意味が込められたライコウの言葉に和泉は表情を引き締め頷いた。澪は両手を振って何かを訴えようとしている。が、拘束を弛めてしまえば簡単に逃れてしまう。
「……祠の中だけ?」
「いえ……、外にもいくつか……祠の中と似た気配があります。今はまだ我々の存在に気づいてはいないようですが、……それも時間の問題でしょう」
「……なら、今のうちにちょっと隠れようか? 囲まれるより全部の気配が祠に集まってからの方がよさそうだ」
ライコウは「では、」と周囲を見渡し、一際太い幹をした木を指差した。朽ちかけているものの、幸い側に辛うじて葉を残す木が数本集まっており、濃いめの闇を落としている。あそこならば三人が隠れてもまず見つからない。……騒がない限りは。
和泉は頷いて澪をキツく抱き締め口を塞いだまま半ば強引に闇の中に潜んだ。
澪は不安そうに祠を凝視している。何かを懇願しているような目は、とても珍しかった。
ライコウと顔を見合わせ、和泉は澪を見下ろした。
今でこそ沈黙しているけれどまたいつ暴れ出すか分からない。
何かが何処で蠢いているかも分からぬ夜の冷たい闇。見通しの悪いその先を見据えながら和泉は唇を引き結んだ。
そんな折である。
ぱきり、と枝を踏み締めるような音がした。ずりずりと足を引きずり歩くような足音に加え、衣擦れの音もした。
澪がまた震える。恐怖でも驚きでもない。
「俺達には、気付いていないようだね」
「はい」
微かな光りをこぼす祠が、つかの間光量を増す。
扉が開かれたかのようなそれに吸い込まれるように幾つかの影が身を投じていく。まるで闇の化身が光に還っていくかのようでもある。
だが和泉もライコウも、そのような神秘的な印象はただの楽観的な逃避でしかないと分かっていた。
僅かな時間に見えた輪郭。あれは――――。
「――――そろそろ行こうか。何者かはわからないけど、勝手にこんなところに住み着かれてしまったら困るし。みんなが不安がるからね」
低い声で言うと、途端に澪が暴れ出す。
それを何とか抑え込んで闇の中から出ると、二人の前にライコウが立った。
「宮は澪と後ろに……」
「ライコウは心配しすぎなんだよ。まだ相手が何者なのかもわかってないんだから、もう少し落ち着きなよ」
「しかし、何かあってからでは……」
「大丈夫、大丈夫。澪がこんなだから俺は戦えないし、無理だと思ったら澪と一緒に引くよ」
「本当ですか……?」
じとり、目を半分に据わらせてライコウは信じられないとでも言いたげな声を出す。
和泉はそれに苦笑めいた笑みを浮かべた。
「もちろん」
神妙に頷いてみせる和泉を渋面で見つめるライコウは、やがて諦めたように吐息をこぼした。
「わかりました……が、くれぐれもご自愛ください。……澪の様子の理由も分かっていない為、どのような事態に転がるか予想は出来ません」
「予想の上を行っちゃうからね。澪は」
今もほら、こんなにも暴れている。
必死に和泉の拘束を逃れんとする澪を見て、ライコウは眉根を寄せる。今一番の不安要素は、彼女だった。
「澪、宮に怪我はさせないでくれ」
「うー、んうーっうー!」
「こらこら、静かに」
言うことを聞かない獣を宥めるように頭を撫でてやりながら、お菓子をあげるからと言う。
が、しかし。
澪はそれでも大人しくならなかった。
これまた奇妙で不穏な違いである。
……澪を、連れてくるべきではなかったかもしれない。
和泉は澪を見下ろし、探るように目を細めた。
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