くしゅん、と可愛らしいくしゃみが地下の部屋に響く。
 むずむずする鼻を啜りながら、澪はその場に座り込んで長い袖を噛んだ。
 それを見ながら和泉は苦笑し源信を見やる。肩をすくめる彼から、『そこまでしなくて良いのにね』なんて声が聞こえてきそうだ。

 源信はそれに眦を下げ、頭を下げる。漣ですら予想し得なかった行動に、澪はしこたま怒られた。だが本人は間違ったことはしていないと思っているようで、全く耳を貸さなかった。
 これで風邪を引かなければ良いのだが……とは、仕事寮全員の思いである。


「全員集まったようだから、そろそろ状況の説明をさせてもらおうかな」


 今夜集まってもらったのは、引き続き神器の捜索をしてもらうためだ。
 全員の姿を見渡しながら、和泉は言う。

 次第に張り詰めていく空気を、しかし澪のくしゃみは容赦なく壊した。今度は二回連続だ。
 何とも締まらぬ雰囲気に、ライコウがいかめしい顔で咳払いをして空気を戻そうとする。が、また澪がくしゃみをして、無駄になってしまった。

 ライコウの肩を叩き、和泉は話を続けた。


「それで、昨日晴明に言われた件――――藤原秀郷には書状を送っておいたんだけど、まだ返事がなくてね。平行して他の場所を探してもらいたいんだ」

「他の場所……と言われると、何かお心当たりがあるのですか? 宮様」

「心当たり……というか、最近おかしな事件が起こっている場所を調べてもらうことになる」


――――曰く。
 多くはアヤカシ関連の事件ではあるものの、それらに何らかの力が作用しているらしい。可能性低くとも潰しておきたいとの意向であった。

 一つ。
 これは晴明への依頼だった。
 場所は、河原院のアヤカシ邸。元々アヤカシの住むと言う剣呑な噂のあった邸ではあれど、五人の被害者が出たらしい。
 被害者は邸の側を通りかかった貴族の牛車に従っていた従者達だ。貴族のみは牛車の中にいた為に難を逃れたが、他は全滅。確認はされていないが、アヤカシに食われてしまったかもしれない。
 依頼内容からも、これは晴明が適任であった。

 二つ。
 壱号と源信に当てられた依頼は調査である。
 丑寅の方角より不穏な力が入り込んでいるらしく、それを調べてきて欲しいとのことだった。
 鬼門より都に侵入する気配があるという情報以外には無く、壱号の感覚頼みとなりそうだった。ただ、澪か漣がいれば容易く見つかるかもしれないけれども。

 そして、三つ。
 これも調査である。和泉とライコウが担当する。
 右京の北外れに怪しい祠があるそうだ。これもまた、この程度の情報しか無い。

 ……が、最後の依頼に、澪が異様な反応を示した。
 依頼の内容を反芻(はんすう)し、即座に和泉のライコウについて行くと騒ぎ出したのだ。幾ら問うても理由は言わないが、譲る姿勢を見せない。


「行く、みお、いずみ、と、行く」

「……うん。分かった。じゃあ、今夜は一緒に行こっか」


 頑なに理由を話さぬ和泉は折れた。頷き、何故か必死について行くと言い張る澪を宥めた。
 けれども、


「澪……怪しいと言われるくらいだ、何があるかわからんぞ?」

「行く! 行く!」


 仕舞いにはライコウの首元を叩き出す。

 和泉は苦笑を浮かべてやんわりと澪の身体を剥がし頭を撫でてやった。


「大丈夫。もしもの時は俺が守ってあげるから。澪の身体能力に俺が付いていけるか分からないけどね」

「……宮も澪も、極力拙者の背に隠れていてください」


 ライコウは和泉と澪を交互に見、溜息混じりにそう言った。非常に、不安そうである。

 が、澪はそれを気にした風も無く落ち着きを取り戻して袖を噛んだ。
 漣が、気まずそうに鳴く。それを見た和泉が目を細めるのに、彼女は気付かない。



‡‡‡




 強い風に揺れる草が不気味な曲を奏でた。
 この荒野にあると言う祠を探しつつ、和泉は澪の行動を注視していた。
 漣が源信についていったから彼の代わりに、などではない。澪はずっと静かだ。不安そうな色に目力をくすませ、いつになく挙動不審である。

 彼女に一体何があって和泉達に同行したのか、何も話さないので全く分からない。が、彼女にしては珍しく何かに焦っている風には見えた。
 ……何か、知ってるのかもしれない。
 都の外にまで遊びに出掛ける程の行動力を持つ彼女のことだ、この辺りにまで足を延ばしていたとしても何ら不思議は無い。

 ただ、その祠に何があるのか知っていると仮定して、和泉や仕事寮の仲間達、あまつさえ源信にすら教えなかったことは問題だった。


「澪」


 道すがら、和泉は澪を呼ぶ。
 澪は顔を上げない。返事もしない。
 だんまりを決め込む彼女に、和泉は苦笑を浮かべつつ、眼光を鋭くした。
 澪は自由な娘だ。人間社会の都合など関係無い。
 けれども今の状況下で、だから放置しておこうなどとは出来なかった。昼間の常仕の報告を信じたフリをしたような、柔軟な対応は不可能であった。

 もう一度呼んで、頭を撫でる。


「何か、知ってるよね。澪」

「……」

「何か事情があって俺達に言いたくないのは分かる。でもね、教えて欲しいんだ。件の祠に、何があるのか」


 澪はふるふるとかぶりを振って拒絶する。


「ごめんね。じゃあ、どうして言いたくないのかだけでも教えてくれるかい?」


 これも、拒絶。
 頑なに全ての問いを拒む澪は、逃げ出そうと走り出す。

 が、前方を歩くライコウに捕まった。


「澪。何があるか分からない。勝手な行動は慎むんだ」

「うにゃー!」

「静かにしてくれ」


 暴れる澪を押さえつけ、ライコウは和泉を振り返る。彼も今までの一方的な問答は聞いていた。だが、彼女に返答を強いれない。そうすれば躍起になって逃げ出す結果が目に見えているからだ。
 和泉は肩をすくめ、澪に謝罪した。


「もう訊かないよ。ごめんね」


 澪は和泉を見つめ、ぷいっとそっぽを向いた。



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