澪が行き着いたのは、源信のまなび屋である。
 追いついた源信の腕をぐいぐいと引っ張って中に連れ込むと、長屋の奥には数人の子供達が。気まずそうな、不安そうな顔をした彼らは源信達に気付くなり表情を一瞬明るくし、俯いた。
 そして、その側に寄り添うように彼らの親が。子供達以上に表情が暗い。

 澪は源信を子供達の前に連れてくると、自身は近くに座って欠伸を一つ。

 澪が連れてきた以上、何か意味があるのだろう。
 源信は子供達を見下ろし、親を順に見やった。


「さて……どうか、なさいましたか」

「あの……」


 一人の親が言いにくそうに話を切り出そうとして、しかしすぐに口を噤んでしまった。惑うような眼差しに、源信はあくまで表面は穏やかに、心中ではそこに不穏なものを感じていた。何か、ある。

 親は暫く迷っていた。
 けれども唐突に、


「橋飾り。丸いの」


 澪の抑揚に欠けた言葉に身体を大きく震わせて、俯いた。


「橋飾り……まさか、神泉苑の橋の飾りについて、何かご存じなのですか?」


 また、身体が震える。
 源信は暫し思案し、一つ頷いて澪の隣に腰掛けた。


「では、話せるようになったら、仰って下さい。それまで、ゆっくり待ちましょう」


 澪の頭を撫でながら、鷹揚に言葉をかける。

 それに、彼らはほんの少しだけ表情を弛めるのだった。



‡‡‡




「ひとつお願いがあるんですよ」


 ようやっと話を切り出したかと思えば、そんな前置き。
 縋るような眼差しをしつつも、何か譲れないことがあるのか源信の応(いら)えを待っている。

 源信は少しだけ沈黙して、


「お願い、ですか?」

「えぇ、無茶は承知の上なんですが……源信様を見込んでお願いします。これを聞いてもらえないのなら、協力は出来ません」

「……それは困りますね」


 源信は悩ましげに顔を歪めた。

 それを側で見つめながら、澪は足をばたつかせる。


「……では、そのお願いというのだけでもまずお話いただけますか? さすがにそれがわからない状態では、気軽に頷くことも出来ません」

「は、はい!」


 彼女は大きく頷いた。


「源信様が探しているものですが、それがどこにあるのか……わたしはそれを知ってます。そしてそれを持ってきてしまった者もわかります。ですが……その者を罰しないで欲しいんです」

「……」


 必死に言い募る彼女に、源信も表情を陰らせていく。
 きっと、この母親にとってその橋飾りを持って行った者は親しい人物なのだろう。その為に、ここまで必死になるなんて、余程の事情があるのかもしれない。
 さりとて罪をこのまま秘匿するのは出来ない。嘘をつくのは悪いこと。源信は常に澪に言い聞かせている。

 そんな源信が、どんどん苦渋を帯びていくのに、澪も気付いた。


「も、もちろん持ってきてしまった物はきちんと返させます! だから……」

「……」


 迷っている。
 優しい源信は葛藤している。役目と情と、その間で苦しんでいるのだ。
 澪は源信と母親を交互に見、口を開いた。


「橋飾り拾った」

「……え?」


 子供達と親、そして源信が同時に澪を見る。
 ぼんやりとしながら、しかし澪ははっきりと告げた。


「みお、神泉苑で、橋飾り、拾った。水、の、中。あった。落ちてた」


 源信を凝視していると、彼は一瞬だけたじろいだ。澪の目に気圧されたのだ。
 澪の言わんとしていることを察したらしい彼が口を開くよりも早く、子供達が謝罪と謝辞を口々に放った。

 それに、暫し口を閉ざしていた源信も、やおら息を吐いて短く頷いた。


「……わかりました。きちんと飾りを返していただけるのなら、澪の言うように、わたくしが何とかしましょう」


 何処かほっとしたような風情で表情を和らげた源信に、澪はぽふっと倒れ込むように抱きつく。
 彼は澪に小さく謝罪し、親達に飾りを持ってくるように頼んだ。

 願いを聞き届けてもらった親は泣きそうな笑みを浮かべて大きく頷き、頭を下げてまなび屋を飛び出した。



‡‡‡




「――――そういうことですので、壱号さんも、話を合わせて下さいね。……もちろん、宮様を騙せるとは思っていませんが……」


 合流し、事の次第を手短に説明した源信に、壱号は無言で背を向けた。


「和泉は、融通の利く男だ。適当にだまされてくれるだろ? それに、澪が言い張るのならあまり突っ込んでこない」


 澪が言い張る以上、頑固に変えないのだから何を言っても無駄なのだ。
 真実を闇に隠してしまうその行為はとても好ましいものではないが、それでもあのまま犯人を明るみに出すことも憚られた。
 澪は源信の心を悟った上で、あのような嘘を付いたのだった。それは彼女の成長だった。


「では、澪。参りましょうか」

「神泉苑、行く」

「神泉苑に? 何か、あるのですか?」


 澪は答えず、ぐいぐいと源信の腕を引いた。
 強引に神泉苑と向かう彼女に従いつつ、源信は壱号と顔を見合わせる。



 そこで、澪が池に飛び込んで全身を濡らすという暴挙に出るとも、思いもせずに。



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