参
澪がいないと大騒ぎした彩雪は、主人に扇で叩かれ叱咤された。
預かった澪がいないことを必死に訴えても、晴明は素知らぬ風情で放っておけと冷たく返すだけ。漣が共にいるのならさほど問題にはなるまいと、そう言った。
それでも気が休まらなかった彼女は、弐号を連れて一足先に邸を飛び出した。出仕の時間に間に合えば良いのだ。ぎりぎりまで捜したって良い筈。
とにかく澪と漣の無事を確認したかった彩雪は、真っ直ぐに糺の森を目指した。糺の森は彼女らの故郷だ。もしかしたらそこにいるかもしれないと、そんな希望めいた推測を抱いた。
弐号は糺の森ということで気が進まない様子ではあったが、途中まで来てくれれば良いと言う彩雪の言葉に渋々了承してくれた。
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の鳥居の側で弐号に待機してもらい、澪は階段を駆け上がる。
澪がいてくれれば良いんだけど……。
捜すと良っても、時間を考えればここを捜すだけでもうぎりぎりだ。ここにいないならば、そのまま大内裏に行かなければならない。
この不安感を抱えたまま、仕事になんて出られないよ……。
澪を任されていながら、こうして何処かに行かせてしまったのは彩雪の責任。だから、澪を見つけて安全を確認しておきたかった。
糺の森を目指し、息が上がるのも構わずに階段を上っていく彩雪は、ふと前方から紅白の塊がこちらに降りてくるのを見つけた。
赤から白、そして黒。
下から上へと見上げた彩雪は足を止め、あっと声を上げる。ややあって、止まった足を動かした。
「澪! 漣!」
良かった! 見つけた!
やはり彼女は糺の森にいたのだ。
彩雪は安堵に軽くなった胸の中で膨れ上がる感情のままに、階段を駆け上がって、澪へと近付く。
澪は彩雪に気付くときょとんと首を傾けた。その後ろには漣がいて、隣に出てくると尻尾の蛇がゆらゆらと揺らめいた。
「さゆきー?」
「良かったぁ!」
澪に抱きつき、弾んだ声を上げる。
しっかりと立った彼女は彩雪の突進に体勢を崩すことは無く、不思議そうに彩雪を呼んだ。彩雪の行動が、心底理解出来ないようだった。
彩雪が離れると、力のある双眸で見上げてくる。一瞬その力に圧されるが、初めて見た時に比べるとだいぶ慣れたかもしれない。
「澪、もう大丈夫なの?」
「だいじょーぶ?」
「澪、昨日の夜倒れたんだよ? ……何が遭ったか、覚えてない?」
「ん」
「……そっか……」
素直な首肯に、彩雪は少しだけ落胆した。
だが、澪は至って普通である。それだけでも十分だ。
そう自身に言い聞かせ、彩雪は澪の手を握った。
「じゃあ、源信さん達が待ってるから、大内裏に行こっか。……あ、それと鳥居の側で弐号くんも待ってる」
「ん」
握った手を握り返され、彩雪は吐息を漏らす。
本当に良かった……。
漣に笑いかけて――――前足で跳ねて応えてくれた――――階段を下りる。
鳥居にまで至ると、弐号が鳥居の影から身を乗り出して羽を広げた。
「おー、澪と漣おったんか」
「うん! ごめんね、弐号くん。仕事寮に行こう」
「おう」
弐号が片羽を上げて澪に話しかけようとしたその直後。
澪が彩雪の手を離して弐号に駆け寄った。
そして。
かぷり。
「ぅぎゃああぁぁぁ!!」
弐号を拾い上げるなりその羽に噛みついたのである。
彩雪は仰天した。
「な、なんっ、澪!? 駄目! 弐号くんは美味しくないよ、お腹壊しちゃうよ!!」
「何やねんそれ!? 参号はわいが不味い思てんのかいな!」
「とにかく駄目だってーっ!!」
……余程お腹が空いていたのだろうか。
澪は大内裏に着くまで、弐号をかじって放さなかった。
何か、軽く食べられる物を持ってくるべきだったのかも。
朱雀門を潜る頃にはすっかり死んだようになっていた弐号を見、彩雪は苦笑を禁じ得なかった。
‡‡‡
仕事寮に入ると、先に来ていた源信が腰を上げて彩雪達に駆け寄った。
澪も弐号を投げ捨て源信に抱きつき、猫のように顔をすり寄せる。
「澪。何処か不調はありませんか? 痛いところがあれば、隠さないで下さいね」
「痛いわ、無い」
「嗚呼……わいの魅惑のぼでぃーが……。漣にも確かめたったけど、何も問題はあらへんみたいやで? 密仕のこともけろっと忘れてしもうとる」
弐号が唾液で濡れた身体を嘆きつつ、説明する。
源信はそれを聞いて安堵したようだ。
「それは良かった。安倍様、それに参号さん達も、本当にありがとうございました」
「あ、いいえ! お礼なんて……朝邸を出ていっちゃったのに気付かなくって……」
ごめんなさい、と頭を下げると、源信はにこやかに首を左右に振った。
「いいえ。澪は、朝はいつも散歩に出かけていますから。参号さんがそのように気に病まれることはありませんよ」
澪の頭を撫でながら、源信は慈父のように温かく、優しい言葉をかけてくれる。
それに彩雪は小さく頷きながら、表情を弛めた。
それを見計らって、
「じゃあ、皆揃ったところで仕事の話をしようか」
和泉が笑って切り出した。
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