捌
何の前触れも無く部屋に響いた声は、傲岸不遜そのものの色を持っていた。
階段を下りて大股に現れたのは、今回の密仕には参加しなかった晴明である。用事があった筈だけれど、何かあったのだろうか。
和泉は驚いたのもつかの間、すぐに薄く笑みを浮かべた。
「晴明じゃないか。用事があるから、今夜は出ない……と聞いてたはずだけど、何か問題でもあったの?」
晴明は鼻で笑う。
「まぁ、そんなところだ」
壁に寄りかかり、普段と変わらない偉そうな佇まいの彼は、ふっと笑みを消す。扇を掌に落とし、軽く握る。
「今夜、お前たちが探索へ向かった草薙剣だが、将門を討った、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)殿が所持している可能性がある」
「秀郷殿が?」
ライコウは驚いたような声を上げた。
晴明は首肯し、言葉を続ける。
「あぁ、草薙剣は代々、武に優れた者が手にしてきたという経歴がある」
「剣に選ばれる、っちゅー話もあるしなぁ」
「魔王と恐れられるまでの存在である将門を討った者ならば、草薙剣を得ている可能性もないとは言えぬのだが……どう考える、和泉?」
和泉は暫し思案に沈む。目を伏せ、沈黙。
目を開けた彼は小さく頷いて同意を示した。
「平貞盛(たいらのさだもり)と協力して将門を討ち取り、乱を平定させたほどの相手だからね。……調べる価値はありそうだ」
彩雪は漠然とした理解の中、ああなのだろうそうなのだろうと推測して話について行くのが精一杯だ。
そんな彼女に説明の手は伸ばされず、話は進んでいく。
「じゃあ、藤原秀郷については、俺が動いておくよ。もう摂関家が手を打っている可能性もあるけど、正式な手配をすれば止められはしない。結果が出るのは明日以降だろうけど、今日はとりあえず十分休んでくれ。……お疲れ様」
これで、本当に解散となる。
ほっと胸を撫で下ろし、彩雪は晴明を見上げた。
すると、彼は大股に澪に歩み寄るのだ。
目覚めぬ澪を見下ろし、柳眉を潜めた彼に、源信が声をかけた。
「安倍様。澪は、」
「話は聞いていた。これは、私が預かろう。……壱号」
呼ばれた壱号が、無言で澪を背負う。
源信は晴明に頭を下げた。邸までついて行くことを願い出ると、けんもほろろに許可が出た。謝辞を述べて一礼する源信に背を向け、
「……帰るぞ」
「おー! ほれ、参号も行くで!」
「あ、うん……。そうだね」
大丈夫だよね。きっと。
うん……。
晴明が澪を見てくれる――――そんな安堵感に気が抜けてしまったのかもしれない。急激に瞼が重くなってきた。意識も霞がかかり、身体の動きが鈍くなって来ていると自分でも分かる。
このまま、歩けるか分からない。
「なんや、参号? 目がとろーんってしとるで?」
「え? ……そう?」
心なし身体が重いような気もするし、早く休んだ方が良いかな。疲れを残していたら常仕の時に失敗しちゃうし……。
「転ばないようにね、式神ちゃん」
「あっ、うん、気をつけるね。また明日ね、和泉」
「早くしろよ、置いていくぞ、後輩」
「すぐ行くー。源信さん、行きましょう。漣もちゃんと付いてきてね」
「はい」
源信が頷くのを見て、漣の鳴き声を聞いて、和泉に頭を下げる。
「じゃあ、和泉、おやすみなさい」
「おやすみ、式神ちゃん。気をつけてね」
「うん、ありがとう」
すでに出て行ってしまった晴明や壱号達を追いかけ、二人と一匹は部屋を後にした。
いつもの部屋に出ると、晴明達が彩雪達を待っていた。不機嫌そうに。
「遅い」
「なんだ? 下でひと眠りしてきたわりには、まだ眠そうではないか」
「ね、寝てないですよ!」
「ほぅ、それならば、せっかくだ。眠気覚ましに桶の水でもかぶらせてやろうか?」
「そ、それは……いいです」
……本当にやりかねない。
「そうか? 亀の真似でもしているのかと思ったからな。亀と間違えられたくなければ、もう少し急げ。……澪のこともある」
最後の言葉に、彩雪ははっとする。
そうだ、晴明様に澪のことを診てもらうのだ。
こんなところで時間を無駄にして良い筈がない!
己の頬を両手で叩き、彩雪は声を張り上げた。
「は、早く帰りましょう! 晴明様」
「五月蠅い」
「きゃっ」
扇で軽く叩かれる。
晴明は「分かっている」と冷ややかに言い放ち、歩く速度を上げた。
澪にだけは、優しいんだ、晴明様。
澪に向ける優しさをもう少し分けてくれたって良いのに。
心の中で恨み言を言って、彩雪は源信に肩をすくめ苦笑して見せた。
大丈夫、大丈夫。
澪は絶対に目を覚ます。
だって晴明様が診てくれるのだもの。
そう自分に言い聞かせ、主と先輩の後を追いかけた。
漣が、黙して月を見上げていたことには、誰も気が付かなかった。
●○●
夢主の秘密の一部がここでちらりと。
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