昨日の如(ごと)、奥の間で仕事人達の帰還を待っていた和泉は、にこやかに彼らを出迎えた。だが、源信の背中にて気絶したままの澪に瞠目し、腰を上げる。
 歩み寄って澪の頬に触れる。


「今回は、さすがに転んだという風ではないね」

「澪のことも、まとめてご報告を」


 ライコウが口を挟めば、和泉は静かに頷いて数歩後退した。


「では、みんな、おかえり。ご苦労だったね」

「ただいま戻りました、宮様」


 源信は和泉に頭を下げると、床にそうっと横たえた。それでも彼女は目を覚まさない。

 比較的明るい場所にいる為彼女の顔色が外よりもよく見えた。思った以上に良くない。
 澪の様子を暫く眺めていると、和泉に声をかけられて反射的に背筋を伸ばした。


「……大丈夫かい、式神ちゃん」

「……え?」

「顔色があんまりよくないよ?」


 言われ、顔に触れる。
 源信にも先程指摘されたばかりだ。自分では分からないけれど、そうなのだろうか。
 でも、わたしなんかよりも澪の方が重大な問題だ。全く、目を覚まさないのだから。
 澪を見つめながら不安に瞳を揺らした。


「なんとなく、理由は予想できるけど、あんまり考え込まないようにね」

「……うん」


 労るような仕種で髪を撫でられ、神妙に頷く。優しい手付きに全身の力が弛んだ


「……それじゃあ、そろそろ密仕の報告を頼めるかな? みんなの様子を見れば、結果は伝わってくるけどね」

「……わかりました」


 ライコウは言いにくそうに澪を見た。密仕の結果もそうだが、それよりも澪のこと、そして蘇った守護霊達と封印のことをどう説明するか、思案しているようだった。
 確かに、彩雪ですら今でもあの時のことは分からない。事象の中心にいた澪は気絶、漣も回答を拒絶、彩雪も何が起こったのか全く把握出来ていなかった。

 それでも、彼は和泉を見据え、報告を始める。


「……将軍塚を探索したところ、残念ながら、草薙剣らしき物の存在は確認できませんでした。また、将軍塚では沙汰衆の面々と遭遇。……封印のいくつかが破壊される結果となりました」


 和泉は目を細めた。


「やっぱり来た……か。さすがに動きが早い。抜け駆けをさせてくれるつもりはないようだね。……それで、封印についてはどうしたんだい? まさかそのまま放ってきた……ってことはないと思うけど?」


 そこで、気まずい沈黙が降りる。
 和泉を除く誰もが、一斉に澪を見た。


「澪が、何かしたのかい?」

「いえ……まだはっきりと彼女が関係しているとは言えません」


 澪の異変について報告したのは、源信だ。南蛮に扉を封印ごと壊された後勝手に内部に侵入し、何故か守護霊を従えていたこと、そして将軍塚を出た後にその守護霊のことで駄々をこねた澪の周りで守護霊が復活し封印も元の通りに戻っていたこと、更に彩雪が聞いた不可思議な声を、細かに伝えた。
 和泉の表情が厳しく変わっていくのに比例し、場の空気が緊張していく。


「不思議だね。澪が何に惹かれて塚の中に入ったのかもだけれど……どうして、守護霊に澪が抱きつけたんだろう」


 和泉が澪を見下ろしながら言うのに、彩雪はとあることを思い出した。
 そう言えば、守護霊には実体が無かった。
 あの老人――――東夷が守護霊虐殺の中で担っていた役割は、針で以て守護霊を実体化させることだった。
 そうでもしなければ物理攻撃が通用しなかった守護霊を、澪は抱き締めたのだ。

 あの時は突如現れた光のことで頭が一杯だったが、考えてみれば不自然だ。
 今更気が付いたのは彩雪だけだ。他の仕事人達は和泉に同意するような顔で思案に沈んでいる。


「それに、声。式神ちゃん、その声は『かえっておいで』の後に『おとうさまも、いもうとも、まっているよ』って、言ったんだよね?」

「あ、う、うん。それとね、何となく、澪の声に似ていたような気もするの。自信は、無いんだけど……」

「澪の声に似てる? じゃあ、澪が言ったって言うのか」


 胡乱げに、壱号が口を挟む。

 彩雪はすぐに首を左右に振った。


「ううん。違うと思う。澪が気絶してた時にも、耳元で聞こえてたから」

「澪に、家族はいないって聞いていたんだけど……漣」


 和泉が源信の横に座る漣を見やる。

 けれど弐号が、


「ああ、道すがら聞いたんやけど、漣にもよう分からんらしいで? 光に包まれとった時も無我夢中で叫んどったみたいやし。澪は赤ん坊の頃に糺の森に、自分の前に現れた。目の力に惹きつけられて、そのまま世話をするようになったんやて。せやから、漣もどうしてあの光が現れて、守護霊や封印が元に戻ったんか、皆目見当もついてへんねん」

「そう……漣にも分からないんなら、今度晴明に相談してみようか。封印が全て戻っているのなら、それに越したことは無い。今はそう思っておこう」


 結局は何も分からない。
 彩雪は澪に歩み寄り、側に座ってその頭を撫でた。早く起きて、と心の中で呼びかけながら。


「じゃあこの場で保留しておくとして……それで、他に何かある?」

「いえ、他には特にありません。以上となります」

「そっか。こんな時間まで本当によくやってくれたね、みんな。それじゃあ、みんなも疲れているだろうし、そろそろ解散にしようか? ゆっくり休んでくれ。澪も、いつのまにか寝ているだけだったりして」


 茶化すように言って和泉は彩雪に笑いかける。
 大丈夫だとでも言わんばかりの彼の優しい微笑に、彩雪も口角を弛めて頷いた。

 きっと、常仕にはまた元気な姿を見せてくれるよね。だって澪だもの。

 元気に澪と挨拶を交わせるように、落ち着いてゆっくり身体を休めようと立ち上がった。

――――が。


「……解散は少し待て」


 その場にいない筈の人間の声が、闖入(ちんにゅう)した。



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