咆哮は長く続いた。
 鼓膜を容赦なく貫く高すぎるそれに耳は痛いし頭がくらくらとする。

 けれど、その咆哮が上がってより、徐々に徐々に光が弱まっていた。

 完全に消える頃には光はもう跡形も無く失せた。
 キンキンと痛む耳に顔を歪めていると、彩雪の側に源信が膝をつく。いつもの穏やかな表情は緊迫に強ばっていた。


「大丈夫でしたか、参号さん」

「へ? ……あ、は、はい。あの、でも澪が気絶しちゃって……」

「……っ、澪」


 源信に澪を渡すと、彼は澪の細い首に手を当て、ほうと溜息を漏らす。脈はありますと吐息混じりに呟いて額に手を当てたりして澪に異常が無いか調べる。
 漣が、案じるように彩雪に寄ってきた。申し訳なさそうな彼に、彩雪は笑って首を振って見せた。耳は痛いが、漣があそこで咆哮を上げなければ、まだ不可解な光に包まれて、混乱を極めていたかもしれないのだ。彼が何をしたのか分からないが、それでも感謝した。


「参号殿、今のは一体……」

「分からないんです。肩に手を置いたら、いきなり地面が光り始めて、変な声が聞こえたと思ったら、澪が倒れてきて……」

「彼女は、本当に気を失っているようです」


 ぐったりとする澪を抱き上げ、源信は目元を和ませる。きっと隠された口は、アンドに微笑んでいるに違い無い。


「後輩、変な声って何だよ。ボク達には聞こえなかったぞ」

「え? そんな……あんなにはっきり――――」


――――いや、確かにはっきり聞こえたけれど、あれは彩雪の耳元で囁いていた。壱号や源信達に聞こえないのも無理もないことだ。
 彩雪は自らが聞いた声のことを話す。なるべく、詳しく。

 怪訝そうに歪む彼らの表情に、上手く伝えられなかったかと不安になると、不意に弐号が声を上げた。


「ちょい待ち! あの守護霊いてへんで!」

「え? ……ああ!」


 本当だ!
 澪が抱き締めていた筈の半透明の獣は、忽然と姿を消していた。あの光の中、倒れた澪と声にばかり気を取られていて気付かなかった。
 彼は一体何処に――――首を巡らせて彩雪は頓狂な声を上げる。


「と、とと扉が閉まってる!!」


 千切れた注連縄も綺麗な状態でかかっていた。
 扉も壊された形跡も見られないそれは、完全に来たままの姿だ。
 もしかして、今の光で閉まったの?
 事態に頭が追いつかない。
 今の光は、一体何だったというのだろう。


「何が、起こったの……?」


 驚きはそれだけではなかった。


 ……ぽつり。

 ぽつり。

 ぽつり。

 ぽつり。


 封印の扉の前に、小さな光の球が生じる。
 ライコウや壱号が身構えるが、それは形を変え、それぞれの形を取った。

 既視感。


「まさか……これは、」

「守護霊、でしょうか」

「え?」


 彩雪は目を丸くした。
 守護霊、なの?
 いや、でも、守護霊は一体を残して全部沙汰衆に殺されたじゃないか。あんなにも、無惨に。

 彩雪は戦き、息を呑んだ。咽が乾燥して張り付くかのようだ。

 予想だにしない状況に緊張し張り詰めた空気を破ったのは、意外にも守護霊達だった。

 彼らは一斉にこちらにこうべを垂れたのだ。
 ……ああ、いや。『こちら』と言ってしまうと語弊があるだろうか。
 彼らの向く先には、源信に抱かれた澪がいた。
 守護霊達は、まるで澪を崇めているような風情で頭を下げているのだ。

 ……何故?

 彩雪は仰け反ってまじまじと彼らを見つめ、首を傾げた。


「え、な、何……?」

「害意は……無いようだな」


 確かに、彼らに敵意は見られない。ただただ、ひたに澪を敬っている。


「けど、これって澪が何かしたってこと? まさかさっきの光も、この封印も……」


 自然、絶入(ぜつじゅ)した澪に視線が集まる。
 一向に目覚めない彼女は、規則正しい呼吸を繰り返すのみだ。

 次に視線は漣に向けられるが、彼は首を横に振って回答を拒絶する。


「……こればかりは、安倍様にご相談する他ありませんね」


 源信が言うのに、その場にいた誰もが同意した。


「……ではそろそろ戻るか」


 ライコウがそう言うと、守護霊達がふっと消える。灯台の火を吹き消すように一瞬で跡形も無く。

 奇怪に過ぎる現象に、彩雪はざわざわと胸がざわめくばかりである。
 何が起こったのか分からないが故に、一層澪のことが心配だった。

 仕事寮に帰るまでに、目覚めて、くれるだろうか。



‡‡‡




 夜明け前には、仕事寮に戻ることが出来た。
 だが、澪は未だに目を覚まさない。
 もう、彩雪の中不安が爆発してしまいそうだ。

 このまま目覚めなかったらどうしよう――――そう思うと心臓が握り潰されたように苦しくなる。
 キツい山道を下り、長い距離を歩いた身体は疲労に重たいけれども、それ以上に胸が大きな岩でも入っているかのように重たかった。

 不安に感じているのは、彩雪だけではなかった。
 口には出さないだけで皆表情は暗いし、時折澪の様子を気にしている。
 仕事寮にいる間に目覚めれば、こちらもひとまずは安堵出来るのに――――。

 我知らず、吐息がこぼれた。


「大丈夫ですか? 参号さん」


 そんな彩雪に気付いた源信が、彩雪に近寄って顔色を覗き込んでくる。


「あ……、源信さん……」

「あまり顔色がよろしくないようですね」

「もう日が昇るまで一刻もない。澪のこともある。報告は手短に済ませて解散としよう」


 澪のことで彼らも気が重いだろうに、源信もライコウも、彩雪を気遣ってくれる。
 その優しさに申し訳なく思いながら嬉しく思い、彩雪は背筋を伸ばした。
 澪は、大丈夫。きっと明日になれば元気になってくれる。
 そう前向きに思い直して己の両の頬を叩いた。

 気持ちを改めて、報告へと臨む――――。



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