「何、心配するな」


 不敵に笑む彼に不穏なモノを感じた源信が表情を変えて一歩踏み出す。

 だが遅く、南蛮はその斧を振り上げた。ただ振り上げるだけの動作だけでも、強い風が巻き起こる。
 澪が飛び出そうとしたのを壱号が怒鳴って引き留めた。

――――破壊音。
 空気だけでなく、身体すら震わせる轟音に澪は身を縮こまらせた。
 けれど頭は絶えず警鐘を鳴らし続け、澪に行動を迫る。使命感のような強い衝動に、息苦しささえ覚えた。


「何ということを……」


 震えた声は、源信のものだ。
 澪は壱号にしがみついて南蛮の様子を窺った。
 砂埃が巻き上がる塚の扉周囲は見通しが悪く、その場から動いていない南蛮の姿も酷く不明瞭だ。ただでさえ夜闇で見えにくいのに、これでは扉の状態を確かめることは不可能だった。

 だが、澪にははっきりと分かった。
 壊された、と。

 砂埃が晴れる前に壱号から離れて扉に駆け寄った。
 ぽっかりと開いた穴は、土埃を孕んだ黒に塗り潰されている。
 中から、声が聞こえてくるような気がした。


「……声」

「澪、そこから離れなさい!」


 源信の鋭い声に、一瞬だけ振り返る。けれどすぐに穴に視線を戻した。

 この、鼓膜ではなく脳に直接響いてくる声はだろう。
 何かを言っているのではない。ただ、ただ、澪に声をかけてくる。
 誘っている。どうして誘うのか分からないけれど、澪に来いと声で言葉でなく意思を伝えてくる。

 澪はその闇を見つめ、もう一度源信を振り返って中に侵入した。
 後ろで源信達が呼ぶ声が聞こえたが、それよりもこの《声》が気になった。
 途中複数の生き物と擦れ違った。それは先程扉の向こうに感じられた気配そのものであった。
 小走りに彼らの間を駆け抜け、塚の奥を目指した。

 奥へ奥へと向かう都度、声は大きくなっていく。けれどもやはりそれは言葉を持っていない。裸の意思を脳に直接送り込んでくる。
 澪はそれに聞き入り進む。

 奥に何があるのか分からない。
 でも、確かに《何か》が《在る》。
 漠然としていても間違っているとは思わない。

 澪は己の行動の意味を理解せぬまま、ただひたすらに奥へと足を進める。



‡‡‡




 最奥に辿り着いたところで、澪は足を止めた。
 視線を下に落とすと、突如として周囲に光が生じる。何も無い場所に、青白い炎が生まれたのだ。
 それはまるで澪を迎えるように、彼女の視界を照らす。

 澪の目の前に広がっていたのは大量の副葬品だ。
 長い時を感じさせるそれらは、澪の目にはただの物にしか映らない。
 ここには、澪の目を引くような物は、一つも無かった。
 つまりは……外れだ。

 澪は副葬品を見渡し、緩く瞬きして振り返った。

 いつからそこにいたのだろうか。
 そこにはゆらゆらと陽炎のように揺らめく半透明の獣がいた。
 ぽつんと一匹、堅く冷たい地面に座り、澪を見つめている。
 何処か漣と似ているように感じて、澪は獣に歩み寄った。獣の前に屈み込んで顔を覗けば、鼻を寄せられる。半透明であるが故に、触れはしない。澪が頭を撫でようと手を伸ばしても、虚しく通過するだけだ。ぶらびらと揺れた長い袖がすり抜ける。

 獣は副葬品の側に移動して、まるで澪に敬意を表すかのように恭(うやうや)しくこうべを垂れた。

 澪はこてんと首を傾けた。


「誰?」


 問いかけても、獣は何も言わない。
 澪を誘った声の主は、獣ではないとは、漠然と察しが付いた。

 尊崇の念を澪へと注ぐ獣は、何かを求めるように澪を見つめる。
 されども澪にそれが分かろう筈もない。そもそも、どうして澪を崇拝しているのか、分からないのだ。
 獣に歩み寄ろうとして、背後に気配を感じた。

 身体を反転させると、そこにはぼんやりと朧気な輪郭の人影。白い霞がそのまま象ったようで、曖昧なそれは女性なのか男性なのか判別が出来ない。精々澪と同じ身長であることくらいだ。
 澪は人影に向けて足を一歩踏み出した。

 すると人影は澪が踏み出した分だけ後退してしまう。
 逃げるのなら、どうして澪の前に出てきたのだろう。近付けば近付く程、人影は逃げていく。
 駆け足になっても人影は一定の距離を保ち続けた。
 手を伸ばしても届かない。
 声をかけても止まってくれない。

 副葬品から離れ入り口の方へ戻っていくと、副葬品周囲の炎が消えた。が、光は消えない。
 前方に、松明の光が見えたのだ。
 頼り無く揺れる橙色の炎に照らされ、うっすらと壁の凹凸の陰影が浮き上がる。

 それに掻き消されるように、人影は消えた。


「……消えた、いない」


 人影がいた場所をじっと見つめていると、不意に急激に接近してきた気配に身を翻す。
 間近に迫った顔に悪寒を感じてその場から跳び退いた。数歩後退して松明の光に照らされ血色がやや良くなった彼らを視認した。

 沙汰衆だ。
 澪に急接近したのはあの気持ちの悪い青年だ。真っ赤な飴をからからと口内に転がして不吉な、なぶるような笑みを澪に向けてきた。

 その側で、老人がゆったりとした声を澪にかけた。


「おや……本当に中に入っておったのか。こんなところに一人でおっては危険じゃぞい」

「き、けん……危険、危険」

「おぉ。おぉ。我らが危険とな」


 老人は呵々(かか)と笑う。しわくちゃの顔はまさに気の良い老爺であるのだが、その目だけは澪を値踏みしていた。何かを、澪から見出そうしていた。
 それが非常に不快で、澪はたまらず副葬品の方へと再び駆け出した。


「あーぁ、逃げた。逃げちゃった」


 艶めかしい青年の声が、澪の背筋を撫で上げる。



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