夜になれば、澪は濃紺の羽織に身を包む。
 源信に手を引かれて訪れた仕事寮奥の間に、すでに和泉とライコウが佇んでいた。
 ついて早々欠伸をする澪に、和泉はくすりと笑う。しかし、夜に於いては彼女に膝を貸そうとはしなかった。

 定位置に立つ源信の横に並び、目を少し乱暴に擦る。
 それをやんわりと咎められて止めるが、どうにも眠い。
 欠伸を繰り返して緊張感を全く持っていない澪は、この仰々しい場所では非常に浮いていた。仕方がないとは言え、こうも暢気な姿を見ていると、今から危険な仕事をすると言うのに気が抜けてしまう。

 手持ち無沙汰な澪は意味も無くぱたぱたと腕を揺らし袖で床を叩く。
 源信が暇潰しの玩具を持ってこようかと動いたところで、階段から彩雪達が降りてきた。が、その中に晴明の姿は無い。

 澪は袖を動かすのを止め、不思議そうに三人を見た。
 そんな彼女の頭を撫で、和泉が軽く手を叩いて注目を集めた。


「やあ、ご苦労様。これで全員集まったみたいだね。じゃあ、みんなも気になっていると思うから、それから説明を始めようか」

「せーめー、無い」


 澪が和泉に訴える。それに同意するように彩雪がこくこくと頷いた。


「あぁ、そういえば言ってなかったね。晴明は別の用事があるから、今夜は出られないらしい。でも、状況は伝えてあるから大丈夫だよ」

「別の用事……?」

「うん、詳しいところは話してくれなかったけどね」


 「そっか……」彩雪は少し落胆した風情で肩を落とす。
 けれど、さして多くはないものの、晴明のこういった行動はままにある。澪もいないことを確認すればそれだけで口を閉じた。


「それじゃあ、話を続けるけど……澪と漣以外のみんなは今朝――――大極殿のでの話を覚えているかな?」


 和泉は笑みを消し面々を見渡す。厳しさを湛えた彼の目に、部屋の中の空気が重く堅く張り詰める。
 澪もまた身体に不愉快な重圧を感じ、源信にしがみついた。
 漣が彼女に寄り添い、源信が背中を撫でて和泉の問いに言葉を返した。


「魔王復活の阻止、というお話だったと思いますが……、それが今回の密仕に関係しているのですか?」

「あぁ、今夜からは、魔王復活を阻止するためにある物を集めてもらいたいんだ。今朝の一件で、うちも公式に動ける状態にしたしね。――――じゃあ、詳しいことはライコウから説明してもらおう。では頼むよ」


 和泉の目配せにライコウは厳粛な面持ちで力強く頷く。
 彼は大きく一歩前に出た。一呼吸の間を置いて、全体に話が行き渡るようやや声を張り上げた。


「収集すべきもののひとつ、古の剣が将軍塚に祀られているという情報が入った。今夜はそれを確かめ――――場合によっては回収してきてもらう」

「将軍塚に祀られている剣……となりますと、武に長けた方の下にあったものということですか」

「あぁ。古くは日本武尊(やまとたけるのみこと)、近いところでは坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)などの元にあったものだという」


 その剣の名は――――草薙の剣。
 別名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも言うそれは、遥か昔スサノオノミコトがヤマタノオロチの尾より得た剣である。日本武尊が東征の折、敵の火攻めにあったその際に草薙剣草を薙ぎ払い難を逃れたという伝説が名の由来となった三種の神器の一つである。

 反魂の相を抑え、魔王復活を阻止するために必要となるだけではなく、王権の証として、皇位継承者によって所持されるべきもの――――ライコウは語る。

 これらを正当な皇位継承者が所持することで、魔王復活が可能となるのだ。


「王権の証なら、どうして今宮中にないんですか?」


 彩雪の問いは、あまりに直球で考え無しだった。
 ライコウが口を噤み、渋面を作った。どう答えようか考えあぐねた。


「さすが天然やなぁ〜、参号。答えにくいところをずばーっと突いてまうなんて」

「え? わたし、何かいけないこと聞いた?」


 慌てたように弐号を振り返る。

 彩雪は怖々と、苦笑めいた微笑みを浮かべている和泉を見やり、肩を縮める。不安になったのか、口を真一文字に引き結ぶ。
 と、和泉は身振りでライコウに返答を許可した。

 ライコウは寸陰躊躇い、ゆっくり口を開く。


「……三種の神器は、もともとは宮中で管理され、代々の皇により引き継がれてきていた。だが、戦乱や政争に巻き込まれ、神器は分断され、今ではただの一つも宮中には残っていない。当然、過去にも捜索の動きはあったが、残念ながら発見には至っていないのが実状だ」

「あの……皇位継承は、どうしてたんですか?」

「それは……」

「ライコウは嘘や誤魔化しなんかは苦手だからね、勘弁してやってよ。もう想像付いているかもしれないけど、不在の間は模造品で代用しているよ」


 彩雪は和泉を見つめ、言いにくそうに言い掛けて、その先を呑み込んだ。さすがに、それ以上は言ってはならないと自制したようだ。

 それを汲み取ったの和泉は冷たく皮肉げに、自嘲するように口角を歪めた。


「まがい物? でも仕方がないんだよ、天照皇という“記号”は必要だからね。たとえそれが摂関家の傀儡だったとしても」

「宮!?」


 直後ライコウが血相を変えて声を荒げた。

 源信も、澪の背中を撫でていた手を止めて厳しい眼差しを和泉へと送り、首を横に振る。
 澪だけが、きょとんと間の抜けた顔をして彼らを見つめていた。そんな彼女も剣呑な空気をちゃんと感じ取っていた。

 剣呑な二人に、和泉は降参を示すように両手を上げておどけてみせた。


「……わかったよ。この話はここまでにしよう。どっちにしろ集めなければいけない、ってことには変わりないからね」

「せやな。今まで和泉に渡しとうなくて、真面目に探索してこなかった摂関家も、公式な動きまで邪魔することは出来へんしな」

「え、それって……?」

「弐号! その話は今は関係ない。我々が先に見つけ集める、ただそれだけの話だ」


 鋭く弐号を咎め、ライコウは太刀に手をやり威嚇する。

 弐号は彼の剣幕に負けて青ざめた。


「へいへい。おとなしゅーしとるから、先に進めたってーや」


 彼は逃げるように壱号の後ろへ隠れ、羽を振ってライコウを促した。


「……今日の密仕に話を戻そう」


 ライコウは一つ深呼吸し、今回の密仕について説明を再開する。

 澪は彼を見つめたまま、


「しょーぐんづか……」


 ぽつり。
 辿々しく反芻(はんすう)した。

 馴染みがある訳ではない。
 行ったことはあるが、そのことに起因する既知感ではない。
 もっと別の、胸騒ぎのようなものだ。
 正体の掴めぬ感覚に、澪は一人渋面を作った。



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