漆
仕事寮に着くなり、澪は先に戻ってきていた源信に抱きついた。何かを察知して求めるように期待に輝いた眼差しで自分の保護者を見上げた。
源信はそれを朗らかに受け止め、懐から紙包みを取り出して澪に手渡した。
それから香る甘い匂いに、澪は更に更に顔を輝かせる。今の彼女に犬の尾があれば、千切れんばかりに振れていたことだろう。
源信の隣に端座して澪の手には少し大きい紙包みを開く。
中には梅枝(ばいし)が入っていた。梅枝とは、米の粉を水で練り、茹でた後梅の枝の如く成形した物を更に油で揚げた物である。
依頼人から貰った物だとライコウに話し、源信は茶を淹れようと腰を上げた。
澪は早速漣に一本梅枝を与え、自らも一本口に入れた。無言で鵺ともぐもぐと唐菓子(からくだもの)を食べる様は少々奇妙だが、仕事寮の面々には見慣れた、極めて平和な光景だった。
「相変わらず、食べるのが好きなのだな」
ライコウがしみじみと言うのに、澪は気付いていない。すでに意識は唐菓子に夢中だ。
澪が三本目を取ったところで、ふと漣が簀の子を振り返った。
見える渡殿(わたどの)を、晴明が歩いてきている。彼の身体に隠れてしまっているが、弐号や彩雪も一緒の筈だ。彩雪は、晴明との常仕を選んだのだった。
ちなみに、壱号も源信との依頼を終えた後に晴明達に合流している。源信達の依頼は、すぐに終わったらしかった。
漣が源信に鳴いて知らせると、澪も気付いて梅枝を銜えたまま簀の子を振り返った。
暫くして晴明達が入ってくる。
「ただいま戻りましたー……って、澪、それって唐菓子?」
「……」
澪はこくりと頷き、一本彩雪に差し出す。彩雪はただ問いかけただけだったのだけれど、彩雪も食べたいのかと勘違いしたのだった。
彩雪はえっとなって首を左右に振った。
「そんな、わたしは良いよ。それは澪のでしょ?」
「ええやんええやん。澪が自分の食べ物分けるって、漣以外には滅多に無いんやで?。めっちゃれあなんやし、素直に受け止めてやり」
弐号がぽてぽてと歩み寄り、澪の手から梅枝を取って彩雪に差し出す。
彩雪は困ったように眦を下げたが、見かねたライコウの口添えで遠慮がちに受け取った。申し訳なさそうに澪に謝罪した。
澪は首を傾けた。
「唐菓子わ、嫌い?」
「え? あ、ううん。ただ、澪から貰いたいなんて思ってなかったから悪いなって思って。ありがとうね、澪」
澪は頷いて、漣にもう一本分け与えた。
細長い菓子を器用に食べ鵺を、彩雪は感心したように見つめた。
漣が気まずそうにライコウの後ろに隠れると、慌てて謝罪する。
そんな彩雪を見て。今度は弐号が首を傾げた。
「何や、参号。いつの間に漣見えるようになったん?」
「え? 見える?」
「漣、今まで参号を怯えさせんようにずーっと参号にだけ見えへんようにしとったんやで?」
「そうなのっ?」
驚いて声を少し大きくしてしまった彩雪は、すぐに口を押さえ、漣を見やった。
「朝、澪に漣について訊いたら普通に澪の側にいたんだけど……私に気を遣ってくれてたんだ」
「ほな、びっくりしたやろー。アヤカシっぽくないアヤカシで」
「う、うん」
漣を見る彩雪の眼差しは、未だ微かな怯えがある。
澪は唐菓子を咀嚼しながらそれを不思議そうに眺めた。今まで漣と糺の森で生活していた彼女にとって、漣は身内。怖がられる意味が分からなかった。けれども彩雪が漣に害意を抱いていないとも何とはなしに分かるので、敵とは思わない。
ライコウは己の後ろから出ない漣を振り返り、慰めるようにその身体を撫でた。漣の毛並みはどの獣よりも良い。
「そのうち、参号さんも慣れますよ。漣は面倒見が良くて賢い子ですから」
「あ、源信さん」
きちんと晴明や彩雪の分までお茶を用意した源信が戻ってくる。
それぞれに配りながら、彩雪や晴明を労(ねぎら)った。
「お帰りなさい。参号さん、壱号さん。安倍様も、お疲れ様でした」
「ありがとうございます、源信さん」
お茶を受け取りながら、彩雪は源信に頭を下げる。澪の隣に座って唐菓子を一口食べ、ぱっと表情を輝かせた。
「美味しい……!」
「美味しー」
「喜んでいただけたようで何よりです」
源信は柔和な笑みを浮かべ、緩慢に頷いた。
「さて……澪。今はそれくらいにしておきましょうね。あまり食べ過ぎてしまうと、夕餉が入りませんよ」
「そいつの腹なら普通に入るんじゃないのか」
澪は食べるのが好きなだけあって、非常に大食らいだ。何でも食べるし、何でも食べたがる。それでそうして彼女がいつまで経っても痩せぎすなのか、本当に不思議なくらいだ。
それを指摘する壱号に、源信は苦笑した。
「それでも、です。何事も程々が丁度良いでしょう?」
「澪に程々なんて微妙な加減が出来るとも思えんがな」
帰りにまたせがんでくるんじゃないのか。
晴明が鼻を鳴らして言う。
誰も、否定が出来なかった。
有り得そう――――いや、確実に有り得るだろう。
澪は、本当に自由な娘なのだ。
○●○
この夢主、多分仕事寮が無ければ食っちゃ寝生活だったと思います。
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