依頼人は、とろけるような優しく温かい笑みがよく似合う、たおやかな女性だった。
 澪はライコウと共に部屋の端に座り、漣とじゃれ合いながら和泉が女性との話を終えるまで待った。

 彼女が選んだのは、猫の捜索である。単純に人間以上に親しみのある動物が好きだから猫に反応しただけなのだが、和泉やライコウとしても、野生児の彼女の同行は有り難いようだった。
 漣の咽を甘噛みしてごろんと転がると、ライコウが苦笑混じりに身体を起こさせる。澪と漣は几帳の影に隠れているので、女性からは見えない。だからこそ、ライコウも無理に大人しくさせようとはしなかった。


「お願いを聞いてくださってありがとうございます」

「いえ、俺に出来ることなら、いくらでも協力しますよ」

「ふふ、お優しい方ね」


 転がるような、可憐な声だ。
 澪は几帳から顔を出し、和泉の後ろ姿を見つめた。

 親しげに見えるが、澪は二人の間にズレのようなものを感じて首を傾げた。
 何がズレているのかは分からない。されど、確かにズレていた。
 ほんの一瞬だけ垣間見えた和泉の笑顔も、違和感がある。朝見たような疲れたものでも、寂しそうなものでも、いつものものでもない。
 どうしてそう思うのか自分でも分からなくて、澪は漣の頭にかぷりと噛みついた。勿論、力はこもっていない。が、歯の隙間に漣の太い毛が挟まったので、すぐに放して毛を取ろうと苦心する。ライコウが小さく噴き出したのに、澪は気付かなかった。

 ようやっと抜けたところで、


「わかりました。きっと探し出すので、安心してお待ちください」

「えぇ、お願いしますわ」


 話を終えたようだ。
 和泉が腰を上げ、こちらに歩み寄ってきた。
 漣の身体と澪の服が、転々と濡れているのに苦笑して、


「待たせたね、皆。そろそろ宮中へと猫探しに行こうか」


 と、簀の子に出た。
 その時の笑顔は、いつもの笑顔だった。



‡‡‡




「ねーこ、猫ー猫ーねーこーねーこー、猫っこー」


 本人にその気があるのかは分からないが、下手な歌を口ずさみながら澪は屋根の上を歩く。
 その後ろにはとてとてと漣がついて歩き周囲を見渡す。

 更に後方では、漣と同じように周囲を見はるかしながら、澪の一挙一動にも注視するライコウがいた。澪が跳ねたりすれば大袈裟なくらいに反応する彼は、余程彼女を危なっかしく思っているようだった。

 何故彼らが宮中の屋根に登っているのか。


『あの猫は高いところが好きだから、その辺りを重点的に探していこう』


 和泉の提案に従ってのことだった。
 この時ばかりは屋根に登ることを許可された。が、ライコウにとってはこの依頼に於いて野生児である点は頼もしく感じられても、澪のような小娘が屋根の上で跳ねたり走ったりするのは不安で仕方がないらしかった。猫顔負けの身軽さは密仕の中で十分分かっているだろうに。


「澪、見つかったかい?」


 下からの和泉の呼びかけに、澪はその場から跳躍し、軽々と着地した。
 少し離れた場所にいた和泉に駆け寄り、首を左右に振る。

 和泉は「そうか……」と周囲を見渡す素振りを見せ、ふと袂を探った。澪が覗き込もうとすると悪戯っぽく笑ってさっと隠してしまう。
 彼が取り出したのは紙だ。上質な紙。
 それを目にした澪は、魅惑的な瞳を輝かせた。


「折り鶴!」


 和泉は澪に片目を瞑って見せて、濡れ縁に腰を下ろして一枚を取って丁寧に折り始めた。
 それを和泉の隣に座って食い入るように見つめる澪は、期待にわくわくと落ち着かない。和泉の作業が終わるのを今か今かと待っている。

 和泉の繊細な指が、紙をしっかりと折り曲げていく。それは平面から立体にゆっくりと切り替わり、その果てに一つの形を作り上げる。
 先刻澪が言った、折り鶴だ。
 一つの紙から生まれた鳥を澪は凝視した。

 作業を終えると、和泉はそれに何かを折り込み、ふっと息を吹きかけた。

 すると――――。


 飛んだ。


 ただの一枚の紙から生まれた鶴は、まるで微かな息吹きで命を吹き込まれたかのように、自らの力で作り主の掌から飛び上がった。
 小さな光の粒子を散らしながら、鋭利な羽を動かしてふわりふわりと宙を飛ぶ。

 澪は立ち上がって手を伸ばした。掴もうとすると小さな鶴はするりと逃げてしまう。

 和泉は無邪気な子供のような澪に目元を和ませた。

――――織神、と言うものがある。
 式神の一種とも言えるそれは、多少の気を与えて作るものである為さしたる力も持たず、長時間の使役は出来ない。
 和泉はそれを使って、猫を探させるつもりのようだった。

 和泉が腰を上げれば織神は和泉の周りを飛び回る。澪はそれを楽しそうに眺めて、時折捕まえようと飛びかかっては逃げられた。彼女には、本気で捕まえる気が無いことは明らかだ。


「宮」


 ライコウが漣と共に屋根から飛び降りてくる。
 織神を見て納得した風情で澪を見た。


「織神に探させるのですか」

「ああ。依頼人からもらっておいた猫の毛を折り込んだからね。猫の気配を探れる。朝寂しい思いをさせていた澪もやっとご機嫌だよ」


 す、と和泉が片手を動かす。
 それに応じるように織神は低空飛行で何処かを目指して飛んでいく。

 澪はそれを追いかけ、後ろを歩いた。またその後ろに漣が。


「では、追いかけましょう」

「ああ。さすがにもう猫の毛はないからね。見失ったら大変だ」


 最後の言葉には澪にも向けられていることなどは、暗黙の了解であった。



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