漣と共に、貝合わせで時間を潰すのも、存外退屈なものだった。
 勿論漣がいることに不満がある訳ではなかった。ただ、この誰もいない仕事寮は静かで侘(わ)びしい。
 心細いと言う程でも無いけれど、いつもあった賑やかさが無いのが非常に物足りない。

 漣と遊ぶのは好きだ。
 でも、つまらない。とてもつまらない。

 味気ない遊びに興じ続けるのも苦痛で、澪は全ての貝を会わせる前に止めてしまった。
 澪専用の遊び(勉強)道具を収納する二階厨子(にかいずし)へきちんと戻し冷たい床の中に寝転がる。
 天井を見上げてごろごろと寝返りを打って部屋の中を移動する。漣は律儀に澪について行った。

 それもつまらなくて仰向けの状態で止まり両足をぱたぱたと徒(いたずら)に動かした。

 まだ源信達は戻ってこない。
 戻ってこないとつまらない。
 身を起こして立ち上がり、簀の子に出た澪はふと屋根を見上げ、緩く瞬きした。

 大内裏で屋根に上がるのは駄目だと言われている。
 けれど、屋根に登って源信達が何処にいるのか、こちらに戻ってきているのか、確かめたくて仕方がなかった。
 欄干に足をかけようとしたのを、彼女の心を察知した漣が着物を噛んで引き留めた。


「む……」


 不満そうに見下ろしてきた澪に、噛んだまま鳴いて駄目だと言い聞かせる。
 くいくいと着物を引っ張って欄干に近付こうとするが、漣が強く引っ張って中へ戻そうとした。

 端から見れば、少女が一人で何かと格闘しているまこと奇異な図である。だが幸い、未だ近くを通る人間は無かった。
 暫く攻防を続けていると、澪の耳に衣擦れの音が届く。
 ぱっと首を巡らせると、角に立った和泉が微笑んでいた。


「いずみっ」


 喜色に弾んだ声を挙げて澪は和泉に駆け寄る。和泉の名を呼んだ時点で、必要無しと漣は口を放していた。

 抱きついた澪を受け止めた和泉は漣を労い、彼女の手を引いて中へと入った。
 円座に腰掛ける和泉は澪の頭を撫でて「お早う」と。

 それに澪も挨拶を返して、こてんと首を傾けた。


「どうかしたかい、澪」

「……?」


 和泉の顔を覗き込み、瞬きを繰り返す。
 彼の微笑には疲労が滲んでいた。どうしてだろう。まだ、朝なのに。


「いずみ、疲れた? 辛い? 痛い? 悲しい?」


 和泉は瞠目した。
 ややあって、頷く。


「……うん、ちょっと、疲れちゃったかな。ありがとう」


 さらりと頭を撫でられる。
 苦笑混じりの彼は、何処か寂しそうにも感じられた。諦念も入り交じった雰囲気だ。
 澪は和泉の顔を凝視し、また抱きついた。源信が子供にするように背中に回した手でぽんぽんと軽く叩く。

 和泉は小さく謝罪し、同じように澪の背中を叩いた。

 その声は、より寂しげになっていた。



‡‡‡




 源信達が戻ってきた。
 和泉と遊んでいた澪は即座に源信へと飛んでいく。ほぼ突進に近い勢いで抱きついた。普通の少女よりも強い膂力(りょりょく)に負けて、源信は小さく呻き後ろに数歩後退した。


「澪、余程退屈していたんですね。お待たせしてしまってすみませんでした」

「仕事、常仕するわ、お役目」


 腕を引っ張って急かす澪に、源信は苦笑を浮かべて従った。

 その後ろで、ライコウが安堵したように微笑んでいた。


「お帰り」


 和泉は疲れたような笑みで源信達を迎えた。澪と共に興じていた遊びの道具を片付け、向き直る。決して澪との遊びで疲れた訳ではないと、誰の目にも明らかだった。俗世から切り離された澪との遊びから、強制的に現実へと引き戻されて一気に自覚した疲労にげんなりとしている風だった。

 彩雪が駆け寄って案じると、和泉は頷いた。


「心配してくれてありがとう、参号。慣れないことをしてちょっと疲れただけだから大丈夫だよ」


 彩雪は、和泉の浮かべた笑みを見て安堵する。


「さっき話したように、仕事寮も公式に魔王復活阻止のために動いてもらうことになるけど、詳しい話は夜にでもさせてもらうとして……いつもの仕事もこなしておきたいから、まずはそちらの話をしようか。……ライコウ、説明を頼むよ」

「わかりました」


 和泉の言葉に応じてライコウが一礼する。源信達の前に出て、声を張り上げた。


「では、今来ている依頼の内容と、担当する者だが……参号殿は初めてだったな。まずはひととおり聞いておいてもらえればいい」


 彩雪は和泉から視線を逸らし、ライコウを見上げて頷いた。安堵に弛んだ顔は一転、緊張に堅く強ばった。彩雪にとって、これは本当の意味での初仕事だった。

 まず、一つ目。
 雨乞いの儀を行えとのものだった。
 最近雨が少なく、先行きが懸念されたのだ。このままでは水不足になりかねない。
 この依頼は、晴明が担当する。名高い陰陽師である彼以外に適任はいない。そしておまけとばかりに弐号も同行する。

 二つ目。
 さる貴族からの依頼で、恋の歌の代筆である。それも、火急のもののようだ。
 担当は源信、そして壱号。……恋の歌とあって壱号は乗り気ではなかったが、彼の抗議はすげなく黙殺されてしまった。

 そして三つ目は、先帝が大切にしていた猫を探して欲しいという依頼。
 これは、和泉とライコウが担当だ。

 全てを話し終えたところで、彩雪が言を発した。


「あ、あの……ライコウさん」

「なんだ、参号殿」

「なんだっていうか……わたしと澪は何をすればいいんですか?」


 わたしも、澪も、名前を呼ばれていませんけど……。
 不安そうに訊ねられた問いに、ライコウは表情を弛めて、好きな依頼を選んで構わない、と。

 澪も、彼女がついて行きたい依頼に同行させるようになっているのだった。
 もっとも、彩雪に関しては仕事に慣れるまでという配慮からなのだが。


「えっと……誰の依頼でもいいんですか?」

「あぁ、構わん。澪も、好きな依頼を選んでくれ」


 彩雪は周囲を見渡し、思案した。
 一瞬澪が決めてからの方が良いかも、と澪を見たけれど、源信が「先に選んでいただいて構いませんよ」と優しい言葉をかけてくれた。

 暫しして、


「えっと……じゃあ――――」


 行きたいと思った依頼を口にする。



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