弐
澪の手を引いて朱雀門を訪れると、そこに仕事寮の仲間達が集まっていた。その中に和泉はいないようだ。
仕事寮には行かないのだろうか、その場に立って彩雪達を待っていたかのようにも思えた。
小走りに駆け寄ると、不機嫌そうな壱号が遅いと棘のある言葉を彩雪へと投げつける。
その側で、弐号が問いかけた。
「どこ行ってたんや? 朝、部屋におらへんから驚いたで、参号」
彼に答えようとすると、澪が彩雪の手を放して小走りに朱雀門を抜けた。漣も、それに従い後ろを軽やかに走る。蛇の尾が右に左に大きく揺れる。
漣が離れたのにほんの少しだけ安堵して、彩雪は視線を弐号達に戻した。
「早く起きたから、ちょっと散歩してたの。澪もその途中で会ったから一緒に。驚かせてごめんね。壱号くんもごめん」
両手を合わせて謝罪すれば壱号はそっぽを向く。
機嫌が悪そうにも、拗ねたようにも見える彼に、弐号が小さく笑った。
「……話は済んだか? 中に入るぞ」
「え? でも、ここって朱雀門ですよ?」
晴明の屋敷からの道程では、朱雀門とは別に仕事寮に近い門がある。普段は朱雀門ではなくこちらを通っているようなのだけれど、わざわざ朱雀門に集まって中に入る意図が分からない。
それを訊ねる彩雪に、晴明は短く答える。
「大極殿(だいごくでん)へ召集がかかった」
「……大極殿? って、どこですか?」
「朱雀門から入って真っ直ぐのとこやで」
「えっと……何をするところなの?」
「ん? そーやなぁ、なんやかんやと重要な行事がおこなわれることが多い場所やなぁ」
心の中で弐号の言葉を反芻(はんすう)する。
ということは、この召集はその『重要な行事』なのだろうか。
それも訊ねてみると、弐号も内容までは分からないようだ。他の者達も同様らしい。
そこで、晴明がすでに中に入っていることに気が付き、壱号にも促されて早足に大内裏の中へと入った。
彩雪達を置いて前を行く主は、弐号の言う通り真っ直ぐ歩いていく。曲がることは一度も無く、大きな建物の中へと入っていった。
と、その建物の中から飛び出した二つの影に彩雪があっと声を漏らした。
澪と漣だ。
仕事寮の方向へと駆けていく。彼女は本当に足が速い。瞬きを三度する前に姿は米粒になって見えなくなってしまった。
「ああ、源信達に仕事寮で待機しろ言われたんやな」
「どうして?」
「澪にとっちゃ粛々(しゅくしゅく)とした場所は肌に合えへんのや」
「そっか……」
建物を見、彩雪は眩しそうに目を細めた。
‡‡‡
大極殿は、大内裏の中でも一際目立ち、そして大内裏とはまた違っていた。
人の手によって作り上げられた内部に満ちる、大内裏の中に在りながらに一線を画す圧巻の雰囲気。
建造物の作りは同じだのに、どうしてこうも違うのか――――彩雪は万年氷のように重く厳しい空気に気圧され足を止めた。
大きい。
建物自体もそうだが、大極殿は全てが大きく、遙かなるように思える。
こんな場所にこんな自分が入って良いのだろうか。
大極殿の厳然たる佇まいを前に、自虐的な感情が彩雪の心を重くさせた。
「おーい、参号ー? さっさと入るで?」
「え……、あ……弐号くん」
圧迫感に負けた彩雪に、空気の重さとは正反対の軽やかな声がかかる。
彩雪ははっとして視線を落とした。
弐号は彩雪の足下で不思議そうにこちらを見上げている。鶏冠(とさか)の炎が傾いて靡(なび)いていた。
「なんや、ぼぅっとして。腹でもすいたんかいな?」
――――この空気に呑まれていたのかもしれない。
冴えていく思考に、彩雪は安堵に肩を下げた。
「う、うん、平気……入ろっか」
「おう! 行くで!!」
歩き出した彩雪は、己の胸を撫でる。
胸が、ドクドク言ってる……。
袖をめくって腕を撫でれば、はっきりと鳥肌が見える。
この張り詰めた空気の所為だ。
己の身体を抱き締めながら、彩雪は先行きに不安を感じた。
確かめるようにしっかりと踏み締めて中に入る。
大極殿は外見を裏切らず、広々としていた。敷居も少なく、朱塗りの柱が数本整然と並んで天井を支えているのみだ。
中の空気も厳かで、冷たい。
張り詰めた静寂の横たわるそこには、ずらりと並んだ官吏達が粛然とした姿勢にて、一様に何かをじっと待っている。一切の乱れ無く綺麗に並んだその様すら、大極殿の荘厳さを増幅させる。
確かに、あの自由奔放な澪には到底我慢出来ない空間だ。
眦を下げて内部を見渡した彩雪は、官吏達の中に晴明、そして仕事人達の姿を見つけた。
……だが、その中には和泉の姿は無い。召集がかかったのなら、彼もその中にいる筈。
周囲を注意深く見渡すも、あの気品ある鷹揚な青年を見つけることは出来なかった。
「お? どしたんや?」
「あ、ううん、ただ和泉がいないなぁ、って思って。どうしたのかな?」
「ん? そりゃあ、確かにそうやな。……まぁ、気にせんでもそのうち来るんやないか?」
曖昧に答える弐号と共に仕事人達の元へ歩み寄ると、やはり、和泉の姿は無い。
ライコウさんはいるのに……本当にそのうち来るのかな?
「どうしたんだろ……」
そう呟いた、その直後である。
「人数が増えているようだな」
「ふふ、ほんと。小さいお友達が一人ほど」
重い鋼のような声と、軽やかでしかし鋭い突風のような声。
それはこの静寂の中で瞭然と響いた。厳粛な空気などものともしない、いやに堂々とした声だった。
首を巡らせれば、自分達へと含みのある視線を向ける集団がある。
大極殿の中で、彼らの周りだけ空間が違うような気がした。
切り取ったみたいに、くっきりと異質なのだ。
妖しくも苛烈な雰囲気をまとう彼らに、彩雪の身に戦慄が走る。
頭の片隅で、彼らとは関わってはいけない。触れてはならないと警告を飛ばした。
その集団は四人。
片目を閉じた厳(いか)つい大男に、妖しい笑みを浮かべた女とも見紛う華奢な青年。
こちらへ言葉を発した二人から視線を逸らそうとすると、不意にライコウが小声で苦々しく呟いた。
「沙汰衆……」
「……沙汰衆?」
繰り返して問いかける。だが、誰も彩雪の疑問に答える人物は無かった。
「お久しぶりですね」
源信が、大男に対して頭を下げた。
大男は鼻を鳴らす。
「久しぶり、か……某を避けていたのではないのか?」
「避ける? おや、何か避ける理由がありましたか?」
大男が顔をしかめる。不服そうだ。
彼の目はまるで敵を見るかのように源信を睨みつけている。隙を見せれば首をへし折られてしまいそうな気がして……彩雪は唾を呑んだ。
どうしよう、と心の中で独白した彩雪は不意に、大男と青年の側に現れた小さな影に薄く唇を開いた。
「これこれ、場所が場所じゃ。藤原の面子もあろうて。血の気の多いのは勘弁じゃぞい?」
二人を窘(たしな)めたのは好々爺然(こうこうやぜん)とした老人であった。
腰に下げた瓢箪を揺らしながら、嗄(しわが)れた声で二人を制する。
彼も、沙汰衆なのだろう。
大男も、青年も、老人も、得体が知れない何かを感じさせる。
何なの、この人達……?
残るもう一人に目を向けた彼女は、次の瞬間目を剥いた。
暗い紅と、闇の黒。
その中でより輝いて見える銀の髪。
その下で強烈な光を放つ血のような瞳。
『……もう、転ぶなよ』 蘇るのは昨夜の記憶。
あの、妖しい月に誘われ辿り着いた橋で出会った男だった。
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