澪は源信から離れて頭を抱えた。その場にうずくまり、苦悶に低く唸る。
 脳を鋭い刃に貫かれたが如き凄絶な痛みだ。耐え難い。

 澪の突然の異常に誰もが和泉から目を離して彼女に注目した。

 源信が彼女の側に屈み込んで背中を撫でる。


「澪、どうしたのです。頭が痛いのですか?」

「うぁ、あ、ぁ……」


 源信が頭に手をやろうとしたのを、澪は大きく手を振って拒絶。呻きながら逃げるように部屋を飛び出した。背後で仲間達が呼び止めていたが立ち止まることも振り返ることもしない。

 暗い大内裏の中を走り抜け、朱雀門を潜る。それでも足は止まらなかった。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 痛――――。


「……に゛っ!」


 痛みに無我夢中だった澪は、何かにぶつかってようやっと足を止めた。反動に負けて後ろに尻餅を付く。
 頭はまだ痛い。頭を直接、何度も何度も刺されている。
 また身を屈めようとした澪は、ふと視界の端で何かが動いたような気がした。

 直後、頭を撫でられる。
 二度程叩かれたかと思えば何かの呪文。


「うぅう……、う……。……う?」


 痛みが、消えた……?
 呪文はまだ続いていた。
 ぱっと顔を上げると、無表情な男の顔がある。
 片目を隠す髪は真っ白だ。肌も、月光の下では死人のように青白い。それが、衣服の黒と赤をより禍々しく見せてしまう。
 こんな夜でなければ、彼の目ももっと違う印象を抱けただろうに。
 澪はその目が澱んだ血の色だとしか思えなかった。

 不気味だ。恐ろしい。
 けれど、――――近しい気がするのはどうしてだろうか。
 澪は首を傾けて男をじっと仰視した。

 男は何かに気付いたように一瞬だけ目に感情をよぎらせて手を離す。見逃しかけたそれは、驚愕であったように思う。


「……お前ともあろう者が、黄泉の気に憑かれ苛(さいな)まれたか」

「よみ?」

「……」


 男は澪を見下ろして目を細める。探るような眼差しは彼女の目に注がれた。
 魅入られない。何かを見定めるように、澪の瞳に宿るものを見る。


「何も覚えておらぬか。ならば、それで良い。好都合だ」

「……?」


 男は澪の頭を撫でると、緩慢な動作で背を向けた。

 澪は男の背中を見つめ――――ぽつりと呟いた。


「無い」


 男の足が止まる。


「無い、泣く?」

「……」

「無い……悲しい。泣く」


 問いかけているような拙い言葉に、男は何を感じたのだろうか。
 肩越しに澪を振り返り、異様な程に平坦な目で見つめてきた。


「変わり果てても……お前は、同じ問いを投げかけるか」


 希薄ながらに感慨のこもった独白を漏らし、男は歩き出す。
 それを追いかけようとした澪はしかし、袖を何かに引っ張られて前に進むことが出来なくなった。
 下を見下ろせば、追いかけてきたらしい漣が悲しげな目をして澪の袖を銜えていた。

 澪は緩く瞬きして首を傾げる。屈んで漣の猿の頭を撫でてやれば袖を放した。


「さざなみ? 悲しい?」


 不吉な鳴き声が返ってくる。


「……行くわ、駄目。行かない」


 小さく頷けば漣は安堵した。澪の身体に頭を押しつけすり寄る。

 漣は、男を追うなと言った。
 漣の言うことがいつでも正しいのは分かっている。
 だから、疑うことも無くそれに従った。


「頭の痛い、無い。故に帰る」


 頭をふるふると振って、周囲を見渡す。
 すると漣が鳴いて駆け出した。付いてこいということなのだろう。
 澪は漣を呼んで地を蹴った。

 もう痛くない。
 だから彼女は頭痛がどうして起こったのか、深く考えようとはしなかった。



‡‡‡




 大内裏の仕事寮に戻って顔だけを覗かせると、中にはまだ源信と和泉、ライコウがいた。
 澪に気が付いて一様に安堵する。

 和泉が手招きした。

 部屋に入って源信の隣に座って和泉を見つめると、頭痛が起こる前とは全く違う、いつもの穏やかな笑みを浮かべた和泉が、案じるように問いかけた。


「澪。もう大丈夫なのかい?」

「……?」


 首を傾げる。

 咽元過ぎれば何とやら。澪は大内裏に入った時点で痛みのことなど忘れてしまっていた。


「頭が痛かったのでしょう?」

「……、んうー……う?」


 源信の言葉で思い出す。


「痛いわ、もう、無い」

「……それは良かった。皆驚いたんだよ。源信の手を振り払って飛び出してしまうんだもの。漣が話を続けていろって言ってくれたけど、心配で気が気じゃなかったよ」

「痛い、無い」

「うん。でも今日はもうお休み」


 源信を促す和泉に、澪はふと、違和感を覚えた。漠然とした感覚的なもので何が違うのかは分からない。
 けれどもどうしてもそれが気になって、立ち上がった源信の袖を引いて歩み寄った。

 不思議そうな顔をする和泉の頭に手を押いて、撫でる。
 源信を見上げて手を退ける。
 途端に彼は苦笑めいた微笑みを浮かべた。澪が何を求めているのか分かったのだろう。されでも何が難しいのか、躊躇って言葉を探している。


「げんしん」

「……ふふ、良いよ。澪。澪が頭を撫でてくれただけで十分」


 急かす澪を宥め、和泉は立ち上がる。その細い手を握り、ライコウを振り返った。


「二人を朱雀門まで送る」

「承知しました。では、拙者も参ります」


 和泉はうん、と短く頷き、澪を見下ろした。


「ありがとう」


 たった一言だ。
 だが、その一言の中に色んな感情が渦巻いているように思えて、澪は和泉を呼ぶ。

 彼は、何も言わなかった。



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 この夢主、恋愛フラグ立てられるか今の時点で不安です。でも私の中では、このサイトの夢主ランキング上位です。書きにくいですが、かなり気に入ってます。



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