静寂の横たわる部屋の奥に、和泉は鎮座していた。ずっと書物を読んでいたらしい。顔を上げて、晴明達から少し遅れて戻ってきた源信と手を繋ぐ澪の足を目に留め、眦を下げた。けれども源信が簀の子で転んだだけだと説明すれば安堵した風情で微笑んだ。

 和泉は彩雪達も部屋に入ってくると表情を引き締めて仕事人達を労った。


「お帰り。……みんな無事のようだね。澪は大内裏で転んじゃったみたいだけど」


 ライコウは和泉に一礼し、真摯な表情で報告を始めた。

 アヤカシの討伐が完了したことに始まり、澪が亡者が泣いている理由として示した人骨、そして罪人墓場が荒らされていたこと。
 それを聞きながら、和泉の思慮深い瞳は思案に沈み、噛み砕くようにライコウの言葉を反芻(はんすう)する。

 けれども、そこで彼は「ところで」と話を変えた。


「晴明の不機嫌の理由は、今回の一件に関係していることなのかな?」


 晴明に穏やかな視線を投げる。
 それをきっかけに、皆の視線が集中した。


「何の話だ……?」

「何の話、って機嫌が悪そうだったからね。何か隠し事でもしているんじゃないのか、とね? それに、晴明だってずうっと澪に気にされてるって気付いているだろう? 澪が他人の様子に異様に敏感なのは、皆分かってることだよね」

「……」


 晴明は無言で澪を瞥見(べっけん)する。
 簀の子でも晴明に張り付いていた澪は、源信の衣服を握り締めてずっと晴明を凝視していた。


「罪人墓場が荒らされた原因に心当たりでもあるのかと思ったんだけど、違うなら当てが外れたな」


 にこやかに、試すような口振りで晴明を挑発する。

 澪の視線と、和泉の真綿の圧力を受け、晴明はやがて諦めたように嘆息した。面倒そうな彼は、やはり心当たりがあるようだ。
 暫し沈黙を挟み、口を開く。


「……罪人墓場から遺体が集められている」


 和泉が目を細めた。


「……遺体が?」

「あぁ、澪は今回初めて気付いていたようだが……過去にも数件、同じようなことが起こっている。そうなると、分断された何者かの遺体を集めていると考えるのが自然だ」

「まぁ、罪人墓場をいくつも荒らしているんだったら、それくらいの目的があってしかるべき、か……。で、いったい何のためにそんなことを? ……見当、ついてるんだろ」


 晴明はまた沈黙した。
 ややあって、


「……反魂の相が訪れている」


 和泉が目を丸くした。「まさか……」呟き、晴明を凝視する。

 一人、彩雪が小首を傾げた。


「反魂の相を、利用しようとしている者がいる、と?」

「断言しているわけではない。そういう恐れがあるという話だ」


 目を伏せ、和泉は思案に沈む。軽く首を振りながら独白した。


「……でも、それなら辻褄が合う。むしろ、それ以外には考えられない……か」


 目を開け、俯きかけていた顔を上げる。


「……今の情報量からでは、行き着く答えはひとつしかない。とりあえず、反魂の相を利用しようとする者いる、と仮定しておいて……、集められている遺体は誰のものなのかをすり合せておきたい」


 促された晴明はほんの少しだけ言いにくそうに、応える。


「荒らされた墓……、分断された遺体がそのすべてに埋められている罪人……そう考えれば、ある程度は推測できる」

「そうだね……。それで晴明の辿り着いた答えは誰なんだい?」


 和泉も、その答えには感づいているのだろう。
 されども敢えて晴明の口からそれを導き出そうとする。

 晴明は一瞬長い睫毛を震わせて、ゆっくりと告げた。


「将門……かつて都に攻め込もうとした逆賊、平将門である確率が高い」


 平将門。
 桓武平氏の出の武将である。
 関東にて新皇を名乗り乱を起こし誅された。
 その名を彼は声色低く口にした。


「将門……ね。やっぱり晴明もそう考えるか」


 静寂の訪れた部屋の空気は一瞬にして堅く張りつめ、澪ですら源信にぴたりと張り付いて唇を引き結ぶ。
 愕然として言葉を失う面々を見渡し、晴明は和泉に視線を戻した。


「まだ確定したわけではないがな。その確率が一番高いだろう」

「……そうだね。反魂の儀を行おうとしている黒幕にもよるだろうけど……よりによって、その名前を聞くことになるとはね」

「だが……復活させるわけにはいかない。魔王と呼ばれるほど強大な……」


 和泉の言葉半ばで、晴明は攫う。


「……本当に異様な力を持った相手だ。復活を許してしまえば、その脅威を防ぐことは難しい」

「だろうね。絶対に許しちゃいけない。時を経た今でも、都にはその魔王の爪痕が残っている。人々の心に根付く恐怖という形で。でも……復活を防ぐ方法はあるのかい?」

「……そうだな。ない……こともない」


 晴明は暫し思案し、勿体ぶるようにゆっくりと言葉の速度を弛める。


「黄泉の扉を閉じる、……それが確実な方法だろうな」

「……黄泉の扉? 確かに、扉を閉じてしまえば、如何に反魂の相とは言え、復活を為すことはできないだろうけど……なかなか無茶なことを言うね、晴明も」

「可能だ。……容易なことではないがな」


 そこで、晴明は一旦言葉を止めた
 寸陰間を置いて和泉へと歩み寄る。


「……三種の神器」


 試すように発せられたその言葉に、その場のほとんどの人間が反応を示した。


「それを正当な皇位継承者が使うことにより、黄泉の扉は閉ざされる」


――――直後。
 澪が不意にぶるりと身体を震わせた。

 三種の神器とは、皇位の象徴として歴代の帝が受け継いでいく三種の法具。
 八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)――――或いは天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも――――そして八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。
 これら神器は遙か古、アマテラスオオミカミが孫ニニギノミコトに与えたと『記紀』に伝承される。

 勿論、皇位継承に必要な宝物のことなど澪が知っている筈もない。
 だが――――。

 澪は源信にしがみつき、口の動きだけでその三種の神器の名をそらんじるのだ。
 それに気付いたのは、漣だけ。彼女を制すようにすり寄って鳴く。

 晴明が口を閉じれば、沈黙がまた、つかの間訪れる。
 彼は目を半分に据わらせて押し黙る和泉の様子を見つめ、促すように確認した。


「将門を復活させるわけにはいかない。それについては同意するのだろう?」


 和泉は、視線を床に落とした。


「それは……もちろん」

「ならば迷う必要はなかろう?」


 また、沈黙。
 和泉が何かを迷っている。
 澪はそう察し、源信から離れて慎重な足取りで和泉に歩み寄る。ちょい、と袖を引っ張る。

 和泉は澪を見下ろして弱々しい笑みを浮かべるのだ。
 再び袖を引くと、源信が後ろから澪の手をそっと剥がした。


「安倍様、事を急いては、歪みが生じかねません。今はまだ……」

「ふん、危機を打破するのに早すぎるということはあるまい? ――――いや、すでに後手に回っているのだ。早急どころか遅いくらいではないのか?」

「しかし……」


 晴明の言うことを正論と認めながらも、源信は和泉の様子を気遣って難色を示す。

 ライコウは、和泉から少し離れた場所で、何も言わず己の主をじっと見つめていた。

 この場の空気は、澪にはとても苦しかった。
 重い。重すぎる。
 澪はまた源信に抱きついて和泉を見やった。
 晴明の言う三種の神器が必要であることで、和泉は何かしらの葛藤をしている。辛そうな顔をしている。

 三種の神器、その宝物が、和泉を苦しめているのだろうか?

 ならば悪い物なのだと澪の中で認識しようとした刹那――――。


「う? う、ぅぅ……?」


 頭を、何かに貫かれたような激痛に襲われたのだ。



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