肆
一通りアヤカシを片付けた仕事人達は一様に目の前に広がった光景に絶句した。
惨い有様だ。
死の気に満ちた化野。
草の生い茂るその場所は、草の合間に墓がぽつぽつと見受けられる。
その墓の一部が、ごっそりと掘り返されていたのだ。
暴かれた墓穴は闇を湛える。そこからナニカが這い出てきそうで空恐ろしい。
されども、恐怖をまるで知らぬ澪は、息を呑んで固まる彼らの間を漣と共に通り、周囲を見渡しながら何かを探した。
源信が澪に歩み寄ると彼女は右に数歩歩いた先の墓穴の中に手にした人骨を入れ、盛り上がった土を被せた。
「寝てた」
「そこが、あの骨の持ち主のお墓なのですね」
源信が祈るように合掌すると、澪もそれに倣った。
「澪が言っていた一杯の泣く人というのは、やはり亡くなった方々のことでしたか。永久の眠りを妨げる行為、どうにも感心はできませんね……」
源信が澪を促して共に戻ると、ライコウが一瞬目を伏せ、墓場に視線をやった。その鋭利な目には、静かな怒りがある。
「まったく同感だ。……誰の仕業か気にはなるが、ここは一旦戻って宮に報告を行おう」
「そうですね……一度、宮様の判断も聞いてみましょうか。安倍様もそれでよろしいですか?」
「あぁ、戻るぞ」
晴明は思案顔で頷き、身を翻した。
颯爽と歩き出したのに彩雪が慌てて従った。
それぞれが歩き出すのに、澪も従おうとして、不意に振り返った。
緩く瞬きして、首を傾ける。
――――呼んでいるような、そんな気がしたのだ。
何処からだろうか。
化野全体のようにも思えるし、墓穴に溜まった闇の奥からのようにも思える。
特定しかねて視線を上げると月が視界に入った。
妖しい光を放つ月はこの化野では不穏にしか思えない。
それを見つめながら、澪は薄く口を開いた。
「赤」
それは、漣と源信以外の誰の耳にも拾われることは無かった、
漣は澪を見上げ、目を細める。思慮深い目は、悲しげに少しだけ潤んだ。
「澪。赤、とは?」
澪は無言で月を指差す。
源信が見上げても、常と変わらない月にしか思えない。赤、なんて何処にも見当たらなかった。
「わたくしには、見えないようです」
「……」
澪が源信を見上げる。
それに苦笑を浮かべてみせる源信も、こういった類のもので澪に見間違いなど有り得ないことなど分かっている。澪は源信達には見えないものが見えている。澪が月に赤を見たというのなら、きっとそうなのだろう。
「すみません。もしまた同じ物を見たら、わたくしに教えて下さい。その時に、安倍様にご相談致しましょう」
頭を按撫して言うと、彼女はこくりと頷いた。
‡‡‡
晴明の機嫌が悪い。
彼の周りの空気だけ、まるで針を何本も孕んでいるかのようだった。見えないそれらが無関係な澪達をちくちくと刺しては拒絶する。
晴明は化野を出てからずっと何かを思案していた。何を考えているのかは分からないが、時折眉間に皺が寄るところから、およそ良いことでないことは、澪でも察せられた。
大内裏に入ってから、彼を案じるように隣を歩いて顔を覗き込むと、晴明が鬱陶しそうに舌打ちして澪を見下ろす。
「何だ」
「痛い?」
「不調は無い。気にするな」
「……」
「……ええい、鬱陶しい」
ぱこん、と額を軽く叩かれる。いつもより力がこもっており、少しだけ痛かった。
額を撫でながらも澪は晴明を見上げ続ける。
そして、躓(つまず)いて前に倒れ込んだ。
唸るような声を上げて立ち上がると源信が飛んでくる。飛んでくるといってもすぐ側で澪を見守っていたので、数歩大股に寄るだけだ。
「源信。こいつから目を離すな」
「すみません、安倍様」
目を離していなかったことなど分かっているだろうに、晴明は苛立ちをぶつける。
理不尽な晴明に頭を下げて源信は澪の手を握って不機嫌な彼から離れた。今の彼女は、晴明を苛立たせるだけであろうと判断した為だ。
彩雪の側にまで退がり、源信は澪に問いかけた。
「澪、大丈夫ですか?」
「血」
「ああ、擦りむいてしまったんですね。後で、ちゃんと手当てをしましょう」
一旦足を止めてひょい、と右足を上げてみせる。
膝頭を擦ったようで、うっすらと血が滲んでしまっていた。だが、簀の子だったのでさほど酷い傷ではないようだ。
源信は吐息をこぼす。
それを見ていた澪はふと、彩雪へと視線を向けた。
彼女は月を見ていた。
驚いたような、怖がるような、揺らぐ感情を瞳に映し出した彼女は、歩みが遅くなって自然と後ろに退がっていく。
澪が源信の手を二度程引っ張って気を引く。
源信も、彩雪の様子には気が付いていたようだ。
「どうかなさいましたか、参号さん」
彩雪ははっとし肩を跳ねさせ源信を見、ぎこちなく首を左右に振った。
「い、いえ……」
不安そうな彩雪は俯く。
月に何かを感じ取ったらしい彼女に、しかし不機嫌な主は冷たい言葉を放った。
「なんでもないのならば、無駄な時間をとらせるな」
「あ、晴明様……」
「お前の勝手に他人をつき合わせるな」
「え、えっと……ごめんなさい」
悄然とし、彩雪は素直に謝罪する。落胆した風情の彼女を庇うように、ライコウが晴明を咎めた。
されども晴明はそれに挑発的な言葉を返す。
澪はむー、と小さく唸って二人に駆け寄ろうとした。一歩進んだところで源信に制止させられたが。
昨日のように険悪になりかけた二人を取りなすように、源信が口を挟んだ。
「はいはい、その辺りで終わりにしましょう。ね? おふたりとも。……あまり喧嘩をなさいますと、澪に《お仕置き》されてしまいますよ?」
最後の言葉を強調すれば二人は口を噤む。一様に澪を見て、吐息を漏らした。
「……そうだな。こんなことで宮を待たせるわけにはいかん」
気を取り直すようにライコウが言うのに、晴明は何も言わなかった。
歩き出した二人を見つめながら、澪は呟く。
「……お仕置きー」
その言葉に、二人の肩が同時に跳ねた。
澪は緩く瞬きして源信を見上げると、困ったような苦笑が降ってくる。
源信は彩雪を見やり、案じながら促した
「……大丈夫ですか?」
「え? 何がですか?」
「やはり危険なお仕事ですからね。疲れていらっしゃるんじゃないですか?」
彩雪は目をしばたたかせて、首を横に振って否定した。
それに、
「この程度のことで疲れたのか? 情けないやつだな」
背後から、壱号が声をかける。呆れたような声音だが、澪の目にはそれが全てでないことなど分かっていた。
彩雪が顔を歪めて振り返った。
「ちょっと怖いな……って思っただけで、別に疲れたわけじゃ……」
壱号は軽く瞠目した。「怖い……?」彩雪の言葉を反芻(はんすう)し首を傾げる。
彩雪はあ、と声をこぼして慌てて誤魔化した。
「な、なんでもない! そんなことより、もうすぐ仕事寮につくよ!」
逃げるように大股に歩き出した彩雪は、しかし源信の脇で足を止める。
「あ、わたしは別に、疲れてるってほど疲れてないですからね?」
だから心配しないで下さい、と言外に言って、彼女は笑う。
源信は小さい笑声を漏らしながら頷いた。
その足下で漣が尻尾を揺らし、その横で澪がくしゃみを一つした。
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