澪は源信と手遊びに貝合わせに興じていた。
 と言っても、澪はどの貝がどの貝と対なのか容易く見破って、一般的な貝とは違う。敢えて、別々の貝を対にし、中には絵ではなく文字を書いている。そうして、出来上がった一つの言葉を言えればその貝は取れる、と言う風に澪の教育も兼ねて源信と和泉、そして弐号で作り上げた。また、覚えた言葉の物は除外し、新たに追加している。


「らーんーかーんー」

「ええ。欄干。簀の子の脇にある柵のことですね」

「らんかん、らんかん」


 確かめるように繰り返す澪の単調な声は、静寂の横たわるこの空間にはよくよく響いた。

 澪や源信以外、誰一人として口を開こうとしない。ただ、物々しい空気におよそ似つかわしくない澪の様子に微笑むことはあれど、それでも声を発することは一度とて無かった。

 と、澪が貝を捕ろうとした手を止めてすっくと立ち上がった。
 急傾斜の階段を見やり、源信を見下ろした。

 彼女の様子に、源信も貝を片付け腰を上げる。

 ややあって、足音が二つ。床を軋ませこちらに近付いてくる。
 最初に部屋に入ってきたのは壱号だ。面倒臭そうに後ろを振り返り、誰かを急かす。
 それから少し遅れて、彩雪。

 部屋の空気に気圧されて立ちすくむ彼女に、奥に鎮座していた和泉が腰を上げた。


「あぁ、これで全員そろったみたいだね」


 はっとした彩雪が和泉を捕らえ、呆然と彼の言葉を呟く。
 装いもさることながら、昼のゆったりとした気品ある姿とはまるで違う、厳かな和泉に彩雪は困惑を隠せなかった。
 彩雪はぐるりと周囲を見渡し、不安げに瞳を揺らした。
 ここにいる誰もが、昼とは様相を異にしている。
 澪までも、装いは違っていた。

 源信の法衣と同じ濃紺の外套に上半身から頭までをすっぽりと隠し、腕も地面に付こう程に長すぎる袖で隠している。左右上腕の内側に付けられた赤い紐はまくり上げた袖を止める為に付けられている。
 余談だが、この袖が長いのは、密仕の際澪がアヤカシを鷲掴みにするのを回避する為のものである。澪は何故か、漣以外のアヤカシや濃密な邪気に触れると肌が爛れてしまうのだった。

 下は狩衣。だが、その下には単衣の裾を膝上で切り落とした物を着ている。
 脹ら脛には熊の毛皮を紐でキツく縛り付け、踵までを保護する。この脛当ての裏地には晴明の護符が縫いつけられている。

 彩雪は澪が外套に取り付けられた頭巾を両手で掴んで顔を隠してしまうと、あっと声を漏らして口を手で覆った。誤魔化すように視線を逸らす。


「これって、いったい……?」

「式神ちゃんはまだ状況が分からないだろうけど、追々理解してもらうとして。まずは話を進めさせてもらってもいいかな?」

「え? あ……うん」


 頭に疑問符を浮かべる彩雪に謝って、和泉はライコウを促した。首を巡らせると、頭に被った冠の垂纓(すいえい)が揺らいだ。

 ライコウは大きく頷くと、一歩前に出た。和泉の後ろにいたのが、今度は彼の前に。
 その彼の腕や肩を補強する厚手の革。腕に止まる鷹――――普賢丸の鋭利な鉤爪が革に食い込んでいた。
 堂々とした彼は彩雪を見据え、翼を広げて高らかに力強く鳴いた。

 それが彩雪に向けられたものだとは、澪には何とはなしに分かった。


「本日の密仕は、九頭(くず)にての隠爾(おに)討伐だ」

「え? ……みっし?」


 ライコウが彩雪を見た瞬間、彼女の身体が強ばる。息を呑み、怖じたように自分の身体を抱き締めた。


「ここ連日、化野の罪人墓場にアヤカシが現れるという知らせは、皆の耳にも聞き及んでいるかと思う。澪も、化野については何かを感じ取っている」


 アヤカシの数は不明。だが聞くところによるとかつて見たことが無い程に数多くの、と言う報告もあるとのこと。化野を見た澪が一杯のアヤカシ、と話したことも同時に告げた。
 今回の密仕はそれらの討伐。


「各人、気を抜くことなきよう、事に当たってほしい」

「……申し訳ございません、源様、少しよろしいでしょうか?」


 源信が、口を挟む。


「構わんが……なんだ、源信殿」

「個々のアヤカシの強さについては、いかがでしょうか? 子鬼の類であるならば、いくら数が多くとも全員で向かう必要はないとも思いますが……」

「その“強さ”も不明なのだ。数が読めぬ、強さも知れぬ、ならば最悪の場合に備え全員で当たる……というのが、宮と拙者の考えだ」

「……そうでしたか。承知しました」


 得心した風情の源信は小さく頷き、眉尻を下げた。


「もとより、おふたりの判断と言うことでしたら心配は余計でしたね。差し出がましいことを申しました。お話を続けていただけますか?」


 ライコウは小さく頷いた。


「もう一つ。……今回の密仕だが、ただアヤカシを退治するだけではなく、可能ならば、その出現理由についても調査して欲しい。澪の言動から察するに、化野の何かが何かを失って嘆いている、ということだ」


 そこで、澪が小さくくしゃみをした。二度、三度。
 足下の漣が尾の蛇で澪の背中をさすった。
 この空気の中で自由にしていられるのは、恐らくは彼女だけだろう。

 涙を滲ませてうー、と母音を伸ばす澪が落ち着くのを待って、和泉が口を開いた。


「百鬼夜行。……魑魅魍魎が徘徊し、大害をふりまく――――」


 ライコウが無言で目を伏せ後退する。

 和泉は一旦言葉を区切り、にこりと笑った。


「な〜んて物騒なものでもないだろうけど、ね。……ただ、数え切れないほどのアヤカシが一か所に集まる理由、ってのも興味はあるよね?」


 瞬き一つ。
 一瞬の間に笑みは消え、和泉の瞳に冷徹な厳しさが宿る。


「それに……もし、なにか大きな災いの前触れであるならば、調べておくことにこしたことはない。……って、可能なら、でいいから。澪の言葉もいつもより曖昧だし、ただでさえ情報が少ない密仕だから、無理は禁物、でよろしくね。特に澪がアヤカシに触れないように。さて、と……」


 和泉は瞑目して息をすうっと吸って間を置いた。
 そうして――――息を止める。

 瞼を押し上げた彼のかんばせには一切の柔らかさは無かった。
 眼差しと同様に鋭い所作で笏(しゃく)を前に突き出した。


「御衣黄(ぎょいこう)の宮の名において命ずる! 仕事人達よ、九頭にて臨み、化野の罪人墓場に現れる隠爾を討て!」


 玲瓏(れいろう)な声は鈴の如(ごと)。
 尊厳を纏って空気を震わせる。

 彩雪が一歩だけ後退した。



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