朱雀門を抜け、乱れた息を整える。
 広大な大内裏の奥、宮中にまで足を運んでいたのだ、朱雀門まで止まらずひたに走れば咽が痛むくらいに呼吸が苦しくなるのも当然だ。
 けれどもこうしている間にも時間は過ぎていく。姫の命の為、一旦脇に置いた仕事の為、一刻も無駄に出来ない。

 胸を撫で、息の少しも乱れていない澪の手を握り直して走り出した。

 その直後である。

 澪が唐突に力強く腕を引いた。
 それに体勢を崩して尻餅を付いた彩雪は襲った衝撃に小さく呻いた。思いの外強く、頭が揺さぶられるような感覚にくらくらした。


「ど、どうしたの澪……」

「大丈夫か、参号殿」

「え……」


 それは澪の声ではなかった。もっと低く、落ち着いていながらに威風を孕んだ重厚な声だ。
 聞き覚えのある声に彩雪は弾かれたように顔を上げた。

 心配そうに見下ろす目と視線が交差した。


「ら、ライコウさん?」


 困惑した風情のライコウが、彩雪へと手を差し伸べた。


「そんなに慌てて……参号殿らは、どこに行かれるのだ?」

「あ、あの、わたし……ごめんなさい!」


 手を借りて立った彩雪は、がばりと身体を折った。澪もその真似をした。

 ライコウは驚き、怪訝そうに眉根を寄せる。


「何がだ……?」

「よくないことっていうのはわかってるんです! で、でもやっぱり放って置けなくて……」

「だから、何のことだ?」


 いよいよ当惑するライコウに、彩雪は貴人のこと、彼に頼まれた薬のことを手短に離した。
 その間ライコウの精悍な面立ちに苦みが加味されていくのが、酷く恐ろしく、申し訳なくなった。だが、それでも受けた以上は何としても間に合わせたかった。

 話し終えると、ライコウは厳しい表情で沈黙し、一つ吐息を漏らす。


「そうか……事情はわかった。だが、依頼はどうする?」

「それは……」

「……あれが、どんなに大切な仕事なのか、参号殿は理解しているのか?」

「わ、わかってます」

「ならば、大内裏に戻られるが良かろう。“大きな荷物”が外へと持ち出されたという知らせは、まだ無いのだから」

「で、でも……」

「自分の失敗は自分だけのものではない。自身が所属する組織のことも忘れてはならない……」

「そ、それもわかってます。わかって……るんです」

「……人殺し」


 不意に、澪が物騒な言葉を口にする。
 彩雪とライコウは揃って彼女を見やった。
 無表情の彼女は、彩雪の手を揺らして、また繰り返す。

 ライコウは驚いたように澪を呼んだ。


「人殺しわ罪。死ぬ、悲しい。仲良し、の、人わ、悲しい」


 要領を得ない拙(つたな)い言葉は、しかし彩雪を庇っているようで。
 何処か、ライコウを責めるように見上げる。

 今度は彩雪が沈黙する番だ。
 分かっている。
 けれど、人の命がかかっていて、それを見過ごせるだろうか?
 答えは否だ。
 すぐにでも薬を届けなければ死んでしまう人がいて、今更仕事寮のお仕事に戻るなんて、わたしには出来ない。
 決然とライコウを見据え、


「ごめんなさい、ライコウさん」


 はっきりと、謝った。


「……参号殿。承知の上で、それでも行く、と?」

「……行きます」


 強く頷く。

 ライコウは目を細め、暫し思案した。吐息を漏らす。


「そうか……わかった」


 そこまで覚悟しているというのなら行くがいい。
 突き放すような言葉に、彩雪は胸を締め付けられるような感覚に襲われた。

――――失望されたんだ、わたし。
 初仕事で、我が儘を言って押し切って、仕事寮の皆に迷惑をかけて。

 彩雪は胸を押さえ、ライコウに頭を下げた。


 されども。


「あの、……ありがとうございます」

「礼を言われるようなことではない。それより、急ぐのだろう?」


 降ってきた声は、存外に柔らかで。
 振り仰いだ彼は安堵したように微笑んでいた。
 既視感を覚えた彩雪は、昨日の夕方に左京市で見たライコウの優しい表情を思い出した。あの顔と、同じだ。

 呆気に取られていると、ライコウは澪の頭を撫で、彩雪に向き直って背筋を伸ばした。


「……“不安”などと申してすまなかった。……では、気をつけてまいられよ!」

「は、はいっ!!」


 えっ、え? え、何?
 打って変わったライコウの激励に彩雪は反射的に頷いて、彼の見送りを受けながら走り出す。
 分かってくれたの?
 我が儘だったのに。
 わたしの気持ちを尊重してくれた?

 だとすれば、なんて優しい人なんだろう。

 ……嬉しい。
 とっても嬉しい。
 涙腺が熱くなったのを誤魔化すように、彩雪は澪を呼んだ。


「澪! 急ごう!!」


 振り返ると、澪は緩く瞬きして、首を傾けた。



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