「……良く考えたら宮中に入れるってことは、それなりの身分ってことになるよね?」

「宮中……内裏」

「うん。そうだよ。天上が住んでる場所。……そんな人がなぜ、わざわざ琴を持ち出す必要があるんだろ?」


 自分なりの仮定を作っては破棄し、琴の行方の見当を付ける。
 例えば、身分の割に金銭的に苦しい貴族。
 例えば、その琴に強い思い入れを持った人物。
 どちらも有り得そうで、有り得なさそうだ。
 ともすれば何処かに行ってしまいそうな澪の手をしっかりと握り締め――――源信と別れた直後うっかり手を離してしまったら大内裏の中を走り回り出してしまった――――独り言を延々とこぼす。

 すると、


「何をぶつぶつ言ってるんだ?」

「……?」


 前方から聞こえた若い声に、俯き加減になっていた顔を上げてあっと声を漏らした。


「……壱号くん」


 欄干に寄りかかって彩雪を観察していたらしい彼は、にやりと口角をつり上げ意地悪く笑う。


「ひとりごとを言えるほど余裕なのか? まさか現実逃避したくなるくらい、まったく進んでいないとか言わないだろうな?」


 ちくり、ちくり。
 形無き針で、壱号は彩雪の身体を容赦なく突き刺す。
 こっちだって色々考えて、何とか見つけ出そうと頑張っているのだ。その小馬鹿にしたような物言い反発を覚えた。


「……べ、別に独り言なんて言ってないよ! ただ、考えをまとめようと、……思ってただけで」

「理由はなんであれ、ひとりでぶつぶつ言ってるのを独り言っていうんだぞ? 知らないのか?」

「そ、そんなのしってるよ! もうっ!」


 言い返すと、壱号は鼻で一笑する。
 けれどすぐに笑みを消し、片手を腰に当てた。


「それで、どうなんだよ?」

「……え? 何がどう?」

「だから琴だよ。見つかったのか?」


 面倒臭そうに補足してくれた壱号に、彩雪は短く謝罪した。


「探し回ってるんだけど、特に収穫らしい収穫はないかなぁ……」

「ふん、悠長なことだな。それで本当に見つけられるのか?」


 上から目線で偉そうに、小馬鹿回ししてばかりの壱号に、ほんの少しだけ、苛々した。
 多分先輩として仕方なくなのだろうけれど、途中経過を気にしてくれたのは嬉しい。
 けれどそんな言い方しなくても良いじゃないか。
 時間が無くなっているのは彩雪自身良く分かっている。

 それでも見当すら付けられなくて、徐々に焦りが大きくなっていた。


「宮中の部屋も大体調べてみたけど、どこにもなくて……」

「ちゃんと探してるのか?」

「探してるよ!」


 思わず声を張り上げた。


「もう! 冷やかしにくる暇があるなら、壱号くんも自分の仕事をすれば!」


 突っ慳貪に言うと、壱号は目を逸らす。

 それに眉根を寄せると、今まで黙りを決め込んでいた澪が源信の時のように彩雪の袖を引っ張った。


「喧嘩わだめ。言葉、選ぶの失敗、鋭い、なる」

「あ……」


 澪が壱号を指差して、その手で彩雪の首元を二度叩いた。
 晴明とライコウの言い合いを止めた時と同じだ。

 彩雪は口を手で押さえ、壱号を見た。
 一瞬でも感情的になったのは自分。
 ……言い過ぎた、かも。
 澪に小さく謝って、彩雪は壱号の様子を窺った。


「あ、あの……」


 壱号は彩雪を一瞥し、小さく呟いた。


「――――人に聞けばいいだろ」

「え? 何?」


 微かにしか聞き取れなくて、聞き返す。


「……部屋を探しても見つからないんなら、持ち出されたってことだろ? だったら人に聞けよ」


 今度ははっきりと声を大きくして助言する。


「でも……ちょうど持ち出す所を見たなんて人、そんなに簡単に……」

「人、いっぱい?」

「え? 人が一杯? あ……そうだね。重い琴を運ぶってことは沢山の男の人達が――――あ!」


 そうか!
 弾んだ声を上げれば、やっと気付いたか、と言わんばかりに壱号が吐息を漏らした。


「あんなにでかい物を誰にも見られずに運べると思ってるのか?」

「そう、だよね。きっと誰か見てるはずだよね。……だけど、見られてたならなんで見た人は止めなかったの?」

「あのな、琴をそのままむき出しにして運んでるとは限らないだろ? むしろ、そのまま運ぶ阿呆なんてなかなかいない」

「そっか! 布とかかぶせればいいんだ」


 そうすれば誰にも琴を運んでいるなんて知られない。不審に思われない。
 琴を、じゃなくて『琴のように大きな物』を持ち出した人を探せば、或いは――――。

 ようやっと光を帯び始めた思案を打ち切って壱号を見上げてれば、彼は微笑んで彩雪を見ていた。さっきまでの小馬鹿にしていたものとはまるで違うそれに、自信と希望が膨れ上がる。
 もしかして、壱号くんはこれを教えたかったの?


「……ようやくわかったのか?」

「うん! ありがとう、壱号くん!!」


 満面の笑顔で、彩雪は謝辞を口にする。心からの感謝を弾んだ声に乗せた。

 が、壱号は一瞬固まって、頬に朱を走らせて怒鳴った。


「っ、べ、別にお前のためじゃない! 勘違いするなよな!!」

「でも、それを教えに来てくれたんじゃないの?」

「そ、それは……ただお前に失敗されると、ボクや晴明が恥をかくことになるからで……だ、だからお前のためとか、そういうんじゃないからな!!」

「……うん、わかった」


 少しだけ圧倒されながら、首を縦に振る。

 壱号は安堵したように息を吐いた。落ち着いても、顔は依然赤いままだ。
 彼を見ていると、口元が弛んでしまうのが止められない。
 ……優しいし、可愛いなあ。


「わ、わかったならいい」

「わかったけど、……ありがとうね。壱号くん」


 今度は刺激しないように、穏やかに謝辞を再び。
 されど壱号は更に真っ赤になって、仕事に戻ると彩雪を一喝して背を向けた。大股に歩き出す。どすどすと足音が。彼の胸中の乱れの程を如実に表していた。

 彩雪はそれに、


「本当にありがとうね」

「うるさいって言ってんだろ!」


 また、くすりと笑いが浮かぶ。
 彼の背中が曲がり角で見えなくなるまで、彩雪は見送り続けた。
 そして、ぐっと拳を握る。

 『琴の大きさの何か』を持ち出した人間を捜す。
 明確な目標を定められた彩雪は大きく頷いた。
 源信さんも壱号くんも、仕事の途中なのにわたしを気にかけてくれて、助言をくれた。
 何が何でも、絶対に、琴を見つけ出さないと!

 自身に活を入れ、彩雪は澪を呼んで足を踏み出した。

――――そんな彼女の決意を挫くように。


「す、すみません、そこのお嬢さん」


 焦ったような声に、足を止めざるを得なくなった。



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