今宵の演奏会の為に準備されていた楽器の中で紛失したのは琴。
 ありふれた琴一つでも十斤(約六キログラム)程の重さがある。それに加え、無くなったそれは金や玉などに装飾され、余程の重量であった物だと推測される。簡単に持ち出せる物ではなかった。

 であれば、まだ宮中の何処かに隠されている可能性もある。ただ、人一人分の長さのある大きな楽器の上装飾されているので見つかりやすい場所には無いのだろう。

 和泉の話を聞いてみると、宮中を探すにもなかなかに骨が折れそうだった。


「うーん、よし! 悩んでてもしかたない。まずは行動だよね。わたしさっそく探しに行ってみる」

「うん、そうだね。こんなところでいくら推測したところで、机上の空論に過ぎない」

「だよね! それじゃあ、せっかくみんなより先に依頼の説明をしてもらったことだし、悪いけど先に探しに行くね」


 立ち上がると、澪も同様に立ち上がる。その際、手を使わず足の力だけで立ったように見えたのだが、気の所為だろうか。


「はは、張り切ってるみたいだね? でも、がんばるのはいいけど、怪我はしないようにね? ああ、あと、式神ちゃんは澪とは上手く意志疎通が出来ないだろうから、澪の手を握って、何があっても外さない方が良いよ」

「うん、ありがと! 行ってきます!」


 和泉に言われた通りに澪の手を握って、仕事寮の皆に頭を下げた。
 だが、そこでふと思い至る。
 和泉との会話に、誰も口を挟んでいなかったように思う。澪の呼び方について源信がほんの一瞬言及したくらい。依頼の話になれば誰もが黙りだった。

 彩雪と澪に与えられた仕事だから、だろうか?
 そんな疑問が片隅に生じ、間も無く沈んでいく。
 まあ良いかと、彩雪は澪を連れて急ぎ足に仕事寮を後にした。



‡‡‡




 琴が無くなったという宮中を訪れた彩雪は、通過する部屋を濡れ縁から覗き込む。
 だが、やはり装飾されたそれらしい琴は見当たらない。


「うーん、やっぱりそう簡単にはいかないよね……」


 部屋を覗く程度で見つかるのならとうの昔に見つかっている。
 吐息を漏らして足を止め周囲をぐるりと見渡してみる。


「何処にあるんだろうね、澪」

「こと?」

「うん、琴」


 どうやって探そうか……。
 ああ、考えるだけでも吐息がこぼれる。
 早くも詰まってしまった彩雪に、背後から声をかける者が在った。


「どうかしたのですか? 参号さん。ため息などつかれて……」


 振り返って、瞠目。


「源信さん!?」


 彼は――――源信は、両手を合わせて軽く会釈した。


「こんにちは、参号さん。何かお困りのようですね」

「そう……見えますか?」

「えぇ、少しだけ眉が下がっていますよ?」


 思わず額の辺りを片手で隠す。澪が不思議そうに彩雪を見上げた。
 ほんの少しだけ頬を赤くして俯くと、


「少しお話ししましょうか? わたくしでよければ」

「お話、ですか?」


 上目遣いに源信を窺えば首肯が返ってくる。


『もちろん、多少の助言くらいは出来るから、困った時は誰かに話を聞いてみるといいよ』


 脳裏に和泉の声が蘇る。
 それに促されるように彩雪は素直に頷いた。


「あのですね、依頼の琴のよい探し方が分からなくて。とりあえずこうして、片っ端から部屋を見て回ってはいるんですけど……」

「あぁ、それでそのような顔をしていたのですか」


 ……まさか、変な顔でもしていたのだろうか。
 頬や眉の辺りを触って確認してみる。
 すると、源信は慈父のような笑みで否定した。


「いえいえ、そんなことはありませんよ。いつも通り可愛らしいお顔です」

「……からかってますか?」

「いえいえ、まさか」


 にこにこと首を横に振るが、まさか和泉だけでなく源信にからかわれるとは意外である。これはこれで、結構恥ずかしい。
 彩雪は照れを誤魔化すように笑みを浮かべて、話を戻す。


「……そ、そんなことより琴がなくなるって、源信さんはどう思いますか?」

「どう、とは?」

「なんていうか、ある日突然、琴が急になくなったっていうのも不思議っていうか……」


 源信は顎に手を添え、暫し思案する。


「そうですね……。琴はそう簡単になくなるような大きさではありませんからね。まさか、足が生えて独りでにどこかに行ってしまったわけでもないでしょうし。それに、いまだ宮中にあるのならば、部屋をのぞくだけですぐに見つかりそうなものです……」

「さっき、やってみました。……でも、そもそも、それだったらわざわざ仕事寮に依頼なんてされないですもんね」

「えぇ、それはもちろんそうでしょうね」

「じゃあやっぱり、」

「無い」

「え?」


 くんくんと袖を引かれる。
 澪だ。
 今まで彩雪と一緒に歩くだけで何もしていない彼女は強い引力を彩雪に向けて静かに言を発した


「無い、琴」

「え、無いの?」

「澪は、そう察しているみたいですね」


 源信が補足する。


「察す?」

「澪の言葉は、無視しないであげて下さい。彼女はこの通り、単(ひとえ)には向きません。ですが、野生の本能と言うのでしょうか、わたくし達が察知出来ないことを察知することがあるのです。それが、何かしらの助言となるかもしれませんよ」

「わたし達が察知出来ないこと……」


 澪を見下ろし、彩雪は源信の言葉を反芻(はんすう)する。
 何も出来ないけれど、この能力が仕事寮では高く評価されているのかも知れない。


「じゃあやっぱり、もう宮中には無いってこと……ですね」

「そうですね……。もしかするとすでに持ち出されている恐れも高いでしょうね」


 澪の言葉を信じて大内裏に捜索の手を伸ばしてみた方が良いのだろうか。
 だけど……本当に宮中には無いのかな?


「……それじゃあ、宮中が終わったら大内裏を調べることにします。話聞いていただいて助かりました」


 深々と頭を下げて、彩雪は澪と共にきびすを返した。

 歩き出すと源信が呼び止めた。
 身体を反転させると、


「装飾が施された琴が重くて、なかなか持ち運べないのは、宮様とのお話でご存じですよね?」

「あ、はい。金や石で装飾されている、とか……」

「えぇ、それに運ぶことが出来る者も限定されます。そうですね……、女性や子どもが一人で琴を運ぶのは、少し無理があります」

「あ、そっか! じゃあ、男の人か、何人かで一緒に持ち出した可能性が高いってことですね」


 掌に拳を落として声を張り上げる彩雪に源信は首を縦に振る。
 彩雪はもう一度一礼して謝辞を口にした。


「ありがとうございます!! なんだかちょっと見つけられそうな気になってきました!」

「いえ、お役に立てたのなら光栄です。さて、お引止めしてしまって申し訳ございませんでしたね。わたくしも自分の仕事に戻るとしましょう。澪のこと、どうかよろしくお願い致します」

「はい、ありがとうございました」

「失礼いたします」


 互いにお辞儀し合って、彩雪は源信に背を向けて急ぎ足に歩き出す。
 澪が「お疲れ、です?」とひらひらと源信に片手を振った。
 『お疲れ様です』って言いたいのかな?



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