横の繋がりが弱い大内裏の役所の代わりに、様々な要素を含む案件を処理するのが仕事寮という組織である。
 と、言いつつ、実際には夫婦喧嘩の仲裁や恋文の代筆なんてこともしているようだし、都の各所に目安場所を設置し、庶民からも依頼を受けているらしい。所謂、何でも屋。
 一応、彩雪は明日から仕事に加わることとなる。今日は挨拶と説明だけで帰された。


「ええと……仕事をこなす際に一人で臨む場合は単(ひとえ)、二人は双陣、三人は重層、仕事寮全員で臨む場合には九頭(くず)……」


 和泉に教えてもらった単語を反芻(はんすう)しながら、彩雪は夕暮れに赤らんだ都を歩いていた。
 これから暮らす京の都。ある程度の知識は刷り込まれているものの、実際に目にし触れて体感するのは初めてだ。
 それもあって、帰るついでに弐号に案内をしてもらっているのだった。

 けれど市に到着して、彩雪は足を止める。
 左京市はとても賑やかだ。道沿いに様々な店がずらりと並び、それぞれ店主が快活な声を上げて客寄せをしている。夕方だのに、活気に溢れていた。

 されど、彼女の足を止めたのはその活気ではなく。
 棚を見ながら行き交う人波の合間に、澪を見かけたのだ。
 彼女は腕に野菜を抱えて何処かへと走り去っていた。咄嗟に追いかけようとしたけれど、身は器用に人を避けて素早く姿を消してしまう。こちらには全く気付いていない

 すぐに人に遮られてしまったが、裸足で土を蹴り上げるその様は、まるで猫のようだった。


「んん? どないしたんや? 参号」

「今、仕事寮で見た女の子が野菜を抱えてあっちに……」

「あー。澪な。源信にお使いを頼まれたんやろ。ホント、一人でお使い出来るようなって……成長したなぁ」

「成長? ……そう言えば、あまり喋るのは得意じゃなかったみたいだったね」


 晴明とライコウの衝突を止めた時の澪の拙(つたな)い言葉を思い出し、彩雪は澪の走り去った方を見やる。
 そんな彼女に、弐号はうんざりしたように片羽をひらひらと動かし、己の苦労を語る。


「澪はな、糺(ただす)の森におってん。ずーっと獣同然に育っとってな、仕事寮で保護した時には言葉がまるで通じへんかったんや」


 彩雪はきょとんと首を傾けた。


「ずっとって、もしかして生まれた時から森で暮らしてたの?」

「せや。世話しとった獣が言うには、やけどな。で、わいらがあれこれ根気良く教えたって、ようやっとあそこまでなったちゅー訳や。そりゃあもう、涙も出ぇへんくらいにキツうてなー……あの澪がお使い出来るようになってほんま嬉しいわぁ」

「へえ……」


 涙ぐむくらい、大変だったんだ。
 彩雪はさめざめと泣いてみせる弐号に苦笑を浮かべた。


「澪は源信んとこで生活しとるさかいな、一番源信に懐いとるんや。次は、……多分和泉やな。澪は和泉からしょっちゅう菓子もろてるし」


 だが、彼女も仕事寮の一員なのだ。
 あの子も和泉がちらと言っていた危険な仕事もしているのだろうか。
 そう思うと、気が楽になるような、むしろ劣等感に胸が重くなるような……。

 と、思わず胸に手をやった、その直後だ。


 ざわり。
 市の奥から大きなざわめきが聞こえた。


「……何かあったのかな?」

「……みたい、やな?」


 少し歩いてざわめきの元を確かめようとするが、人垣が何とも分厚く、中心を視認すること叶わなかった。
 何かの店の前だけれど、何か掘り出し物があったのかな?


「なんやおもろそうやな。見に行こ〜や」

「あ、待って弐号くん!」


 素早い身のこなしで人々の足の間を潜り抜けていく弐号を追いかけ、彩雪は駆け出した。

 その近くの店の屋根からこちらを見下ろしている少女がいることにも気付かずに――――。



‡‡‡




 澪は、人垣の中に果敢に入っていく少女の姿を眺めながら、こてんと首を傾げた。
 己の胸を撫で、不思議そうに呟きを漏らす。


「――――同じ」


 せーめー、と、同じ。
 胸。
 在る。
 隣に座って澪を見上げた漣が、促すように不吉な声で泣いた。

 澪は彼を見下ろし、


「帰る。急ぐ。げんしん、辛い?」


 問いかける。
 帰ってきた漣の声は肯定だ。

 澪はこくりと短く頷いてくるりときびすを返した。

 されど、ふと空を仰いで緩く瞬きする。周囲を見渡して、とある方角を捕らえた。


「泣く、する。一杯……」


 彼女のが見るは西――――小倉山の麓に広がる化野(あだしの)の方角である。
 その方角に何かを捉えた彼女は熟視していたかと思えば屋根を降りて、驚く通行人には目もくれずに地を蹴った。
 その後を、漣は黙して追いかけた。



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