肆
「皆さん、お疲れじゃないですか? お茶入れてきちゃいました。あ〜、茶柱立ってますよ、ほら」
ゆったりとした穏やかな声に、空気が弛む。
同時にその場にいた全員の気が抜けた。
瑠璃色の法衣を纏い、伏せられた目を微笑ませてその僧は盆に乗った人数分のお茶を見せつける。
それに、澪が駆け寄って茶を覗き込む。僧侶の袖をくいっと引っ張って微かに弾んだ声を発した。
「茶柱。きっちょー」
「そうです。丁度二つありますから、お一つは貴女に差し上げましょう。良いことがあると良いですね」
盆から湯呑みを一つ取って、澪に渡す。
澪はそれを大事そうに両手で持って一足先に円座に行儀良く座った。
それが誘い水だったのか。
澪の左右に和泉と僧侶が座り、他の者達もそれぞれ円座に腰を下ろした。そこで気が付いたのだが、部屋の中に弐号の姿が無かった。壱号はずっと黙りを決め込んでいたようだが、絶対に口を閉じていられないだろう弐号が何処にもいない。先に大内裏に来ていると聞かされていたのだけれど……。
「貴女も。喉、渇いてませんか?」
円座にお茶を配る僧侶が、立ち竦む彩雪を手招きする。
物腰柔らかな僧侶は、その場にいるだけで人徳が溢れ出している。まるで真綿のような、そんな優しい雰囲気の人だ。
招かれるままに円座に座りながら、ちらりと僧侶を見る。
この人は、誰なのだろうか。
思い切ってこちらから自己紹介してみようかなどと考えると、
「興を殺ぐような真似をしないでくれないか、源信」
お茶を飲みながら、晴明が吐息混じりに抗議した。その後に、小さく「つまらん」と呟いたのを、彩雪は聞き逃さなかった。
「そう言われましても。冗談が通じる相手と通じない相手がいると、そろそろ安倍様はご理解なさるべきですよ?」
「源信の言う通りだね。ライコウは血が上りやすいんだから」
「宮までそのような……」
「それに、澪も少しだけ怒ってたしね。晴明に」
「……」
晴明がちらりと澪に視線をやる。
ちびちびと、湯気立つお茶を飲む彼女は晴明に視線をやって、背を向けた。源信がやんわりと注意して姿勢を戻させた。
和泉が「ほら」と笑うと、晴明は鼻を鳴らして目を伏せる。
もしかしてちょっとは気にしてる……?
意外である。
あの人を虐めて楽しむ主が、無表情な少女を少し怒らせただけで?
もしかして怒らせると手に負えないとか。
……そう言う風には、見えないんだけどな。
「さて、安倍様。よろしければ、わたくし共に改めて紹介を願えませんか」
晴明は露骨に億劫そうに吐息を漏らした。
「……それは必要か? 正直、面倒だ」
「そうですか。すみません。でもお願いします。澪の為にも」
「……」
「……」
「……」
「……安倍様?」
「ああ、わかったわかった。まったく……」
晴明様を負かした!
凄い、この人。
素直に心の中で賞賛する。口に出しては絶対に言えない。
「明日から出仕させる私の式神だ。名を参号。能力については先日説明した通りだ。我が名をもって保証しよう」
口早に言う。
能力、という単語に引っかかりを覚えたけれども、僧侶、源信に顔を向けられてはっと背筋を伸ばした。
「……見極めさせて頂いても、構いませんか?」
「構わん、好きにしろ」
素っ気無い了承に小さく頷き、源信は彩雪の方へ身体を寄せる。
彼の顔を見上げた刹那、ほんの少しの圧力を感じた。
ライコウの威圧するような重圧とは違う。まるで、閉じられたまなこで彩雪の奥すらも見透かしてしまいそうな――――。
その瞼が微かに震えたのに、彩雪の口が微かに開いた。
ゆっくりと、開き始める。
彩雪は声が出なかった。
威圧されている訳でもないのに、気後れしてしまう。どうして、こんなにも重圧を感じてしまうのだろう。雲のような柔らかな雰囲気に変わりが無いというのに……。
息を呑んで身を堅くして視線を受け止めると、不意に和泉が口を挟んだ。それは思わず聞き流してしまいそうに、滑らかにするりと二人の間に入り込んだ。
「……その子なら、大丈夫だよ」
「宮様?」
驚いたように源信が見やれば彼は彩雪を見つめながら肩をすくめた。
「まぁ、なんとなくだけどね。なんていっても、こんなに可愛い子だからね。心配するような問題なんてないよ」
彩雪は唇を噛んで俯いた。軽やかに流れる彼の言葉が擽ったくて恥ずかしくて仕方がない。どうして平然とした顔で言ってのけてしまうのか。
「宮、そういう話では……」
「大丈夫だって。稀代の陰陽師も名をもって保証してくれるって言ってるわけだし。それに……俺の勘、結構あたるんだよ? それでもライコウはまだ不満?」
「……不満というわけでは、」
そこでライコウは渋い顔して彩雪を一瞥する。暫し思案し、和泉に頭を下げた。
「……わかりました。宮が、直々にそこまで言われるのなら、お言葉に従います。ですが、背中を預ける間柄となるのに、不安は残ります。それに、我々の……一部の仕事は、女性にとってはあまりに危険です。澪のような体捌きが出来るのであれば話は別ですが……」
「まあ、澪は俺達と違って野生の本能で動けるからね」
「ゆえに、諸手を挙げて賛同するわけにはいかぬと、ご理解願いたい」
凛然と言い放つライコウは、厳しい声音の裏で彩雪のことを案じてくれているのだろう。それだけ、彼の言う『一部』の仕事は危険なのだ。
……大丈夫なのだろうか。
ざわり。
彩雪の心臓を、不安が舐め上げた。
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