終わっ……た……?
 彩雪は茫然と、目の前の光景を見つめていた。

 正邪、対極に在る力の波動がぶつかり合い、せめぎ合い生じた強烈な光に瞳を焼かれ、まともに見えていないのかもしれない。
 己の視覚を疑ってしまう彩雪の耳に、石同士が擦れるような少し耳障りな音が届く。

 ゆっくりと首を動かすと、そこには見慣れた――――大好きな姿。
 満身創痍に疲労困憊の酷い姿だ。
 熾烈という言葉すら生温い死闘を終えた彼は、衣を脱ぐように身に纏った光を落としながら、やや危うい足取りで、彩雪へと近付いて来る。


「……待たせたな」


 緊張した身体を解きほぐす、低い声。


「晴明様!」


 彩雪は己の胸の内で一気に膨れ上がるのを感じた瞬間、弾かれたように立ち上がり傷や痣だらけの身体に抱き着いた。

 晴明は一瞬呻き体勢を崩しかけたものの、その腕はしっかりと抱き留めてくれた。両腕で抱き締めてくれた。


「だから、許し無しに、勝手に抱きつくなと言っているだろう」

「だって……だって……」


 温かい……生き物の温度だ。
 密着していると鼓動も聞こえる。
 生きている。
 晴明様は生きている。

 嬉しい。
 本当に本当に嬉しい!

 嬉しさのあまり涙が目に浮かぶ。
 間を置かず大粒の涙が頬を零れ落ちしゃくり上げ始めた彩雪に、晴明は少し狼狽えるも一瞬のこと、やれやれと言わんばかりに溜息をついた。浮かんだ苦笑は、慈愛に満ちている。


「……泣くな、と何度言えばわかるんだ、お前は」

「だって……」

「……まあ、今は許そう」


 彩雪を優しく包む腕に力がこもる。
 思う存分、晴明の生を噛み締めた。

 ……離したくない。
 もう、この腕を離したくない。
 離れない――――。


――――ざ。
    ざ、ざざ。
        ざ。


 不意に、石を擦る音に重なり、金属が岩を擦るような音が聞こえた。
 彩雪は大きく肩を震わせ晴明の腕の中で身をよじった。

 そこに、光を纏う人影がもう一つ。
 ……否。纏っているのではない。
 光に焼かれているのだ。


「……道満、さん」


 かそけき声で、人影を呼ぶ。

 強大な力の波動を放つ剣、天羽々斬(あめのはばきり)を引きずりながらふらふらと歩む道満。
 苦痛に顔を歪めながら進む彼に、彩雪は息を呑んだ。

 終わってない。

 まだ、終わってない――――。

 晴明は彩雪を背後に押しやり、道満に向き直る。
 彼の姿に、晴明は憐れ身の眼差しを向けた。


「……まだ、収まらぬか。道満」

「……オレ、は」


 その声の、何とか細いこと。
 なのにその声に秘められた思いの強さに胸を締め付けられる。

 道満は、歩みを止めぬ。


「……止まらぬ」


 この身が、滅びるまで。
 道満の足が崩れる。
 すぐに立ち上がる。
 進む。


「止まるわけには、いかぬのだ……!」


 胸の奥底から絞り出された、血を吐くような思い。

 彩雪は胸の痛みに耐え兼ねて視線を逸らした。
 彼女の中で、彼と晴明が重なった。

 この人は、晴明様だ。
 人を信じられる、復讐のみに捕らわれたもう一人の――――。
 だから、道満さんを見ているとこんなにも胸が痛くなる。苦しくなる。

 晴明は、道満を見据えるのみである。
 黙って前に出る。

 す、と手を差し出した。


 道満に向かって。


「草薙剣を渡せ。同等の得物がなくては戦えぬ」


 そう、言った。

 仰天するも彩雪は咄嗟に出かけた制止の言葉をすんでのところで呑み込んだ。
 駄目。止めたら駄目。
 これは、わたしが止めていい戦いじゃない。
 わたしに出来るのは――――見守るだけだ。
 唇を真一文字に引き結んで、両手に堅く拳を握る。


「……その姿で戦うというのか、晴明」

「この姿でなくては、お前を止める意味がない。人に――――止めて欲しいのだろう、道満」


 道満の反応は、やや遅れた。
 彼の腕がついと持ち上がり、空に呪を描き出す。無骨な指先が辿る術式の流麗さに、彩雪はつかの間魅とれた。

 術式が完成すると、そこから二つの光が生じ、見覚えのある形状となる。
 光が、溶け落ちた。

 勾玉。
 剣。

 奪われた三種の神器が現れたものの、二つだけ。
 八咫鏡が無い――――。


「鏡は自ら、行くべき所へ行った」

「そうか」


 晴明は彩雪に一瞥をくれる。
 その意図を察した彩雪は小走りに彼らの間に入り、勾玉にを両手に握って背後に戻った。

 草薙剣は、晴明が取った。
 数度振って感覚を確かめた後、道満を見据える。


「……行くぞ、道満」

「来い、晴明」


 道満が応えた。

 これで、決着――――。
 また、死闘が始まるのだ。

 彩雪は胸の前で勾玉を握り締め、扉の方へ視線をやった。
 そこには標達がいる筈だ。
 晴明は勿論、道満も標への流れ弾すら許さなかった。彼女は傷つけてはならない、二人の間でそんな取り決めが交わされているかのように。

 だから標達に被害は一切無い。
 この戦いでもそうだろう。
 でも一応注意を促す為に彼らに手を振ろうとした彩雪は、


 あれ?


 人数が増えていることに気が付いた。
 黄泉に残った筈の男と、もう一人。
 小さな人影が、標に寄り添っている。
 獣の頭蓋を被り、濃紺の外套で全身をすっぽりと覆い隠した……性別は分からないがその背丈から察するに多分、彩雪と同年代だろう。

 その人物は、道満だけをじっと見つめているように、彩雪には思えた。



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